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2020-11-22 [twitter投稿]



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ジュズサンゴ(数珠珊瑚)! [ヘッダー画像]

201118no54.JPG
撮影日:2020.11.18
散歩道
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勤労感謝の日は「十一月中卯の日」から [かわうそ@暦]

■勤労感謝の日は「十一月中卯の日」から
 本日は11/22、日曜日。明日は11/23、月曜日で勤労感謝の日です。ということで、本日は勤労感謝の日の話を一つ。勤労感謝の日の日付(曜日)を見て お、ハッピーマンデー!なんて思ってしまった方がいたら、違いますよ。形の上では確かに月曜日になってしまっていますが長い歴史と伝統を持つ由緒正しい祝日である「勤労感謝の日」を、どこの馬の骨ともしれないぽっと出の祝日とは格が違いますから、ハッピーマンデーだかなんだかの訳の分からない制度の影響を受けません。

 ※話の流れから「ぽっと出」なんて言ってしまった祝日の皆さん(成人の日・海の日・スポーツの日・敬老の日)ご免なさい。

 さて、由緒正しい祝日と言いました勤労感謝の日とはいったいどんな日でしょうか? 国民の祝日に関する法律の条文には「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」とあります。「勤労を尊び」という祝日の意義は分かりますが、ではその日がなぜ11月23日という日付になったのでしょうか?

◇11/23 は戦前は祭日
 日付の手がかりは戦前の祝祭日にあります。現在勤労感謝の日がおかれている11月23日は戦前の法律では「新嘗祭(にいなめさい)」という祭日となっています。この新嘗祭が勤労感謝の日と姿を変えたものなのでしょうか。戦前は祭日であった新嘗祭とはどんな日なのかというと「天皇が新穀を天神地祇に勧めて神を祀り、自らも食す」というものでした。なにやら天皇陛下が行う行事のようですが「新穀」の文字が見えています。勤労感謝の日の「生産を祝い」とつながっていそうです。勤労感謝の日の日付の意味を知ろうと思ったら、新嘗祭の日付の意味を知れば良さそうです。では新嘗祭とはなんぞやと云うと、これはたいそう古い行事。日本書紀によれば仁徳天皇の四十年には行われていたことになっています。「仁徳天皇」となると少々神話めいてしまって本当か否ということになりますが、神話ではなく史実となる時代でも天武天皇六年(AD 677)に新嘗祭の記録が残っています。

◇ちょっと寄り道
 さてここでちょっと寄り道。宮中で行われる新嘗祭の行事とは?宮中で行われる新嘗祭は、現在は宮中三殿の西の神嘉殿で身を清められた天皇が御一人で新米の御飯と粥、粟の御飯と粥、酒、鮮魚と干物、果物等々を天皇みずから竹の箸で柏の葉に盛り付け神座に供され、その後にこれを天照大神から新しくいただいたものとして、これもまた天皇自らが召し上がられるというものです。なお、この儀式は夕べの儀と暁の儀の二度行われるそうです。夕べの儀は午後6~8時、暁の儀は午後11~翌日午前1時に行われます。どちらの儀式も天皇のみが行うもので、皇太子ですら隣接した隔殿に陪席するのみという、大変神聖な行事です。私達の知らないところで、天皇陛下はいろいろな儀式を執り行って下さっているのでした。

◇新暦の日付に固定された新嘗祭
 さて、寄り道から本道(?)に復帰です。仁徳天皇時代には既に行われていた新嘗祭は、その頃からずっと、「十一月の中卯の日」に行われていました。「中卯」というのは、その月に入って 2度目の卯の日と云うことです。卯は十二支の一つですから卯の日は12日ごとに巡ってきます。

 11月 1日が卯の日だとすると、中卯の日は13日。
 11月12日が卯の日だとすると、中卯の日は24日。

 つまり、中卯の日は11月の13~24日の間にあることになります。1300年以上も続いた新嘗祭はその大部分は旧暦時代に行われていたわけですから新嘗祭の日付、「十一月の中卯の日」を考える場合には、旧暦の十一月の日付を考えなければいけません。では、旧暦の十一月とはどんな月か?日刊☆こよみのページの読者の皆さんならご承知のことでしょう。冬至を含む月であり、翌年の暦の計算の起点となる月です。日本の旧暦のお師匠様である中国の暦では、正月をどの月にするかということに関しては古い時代には王朝によって考え方に違いがあって、何度か変更があったのですが、正月をどこにするにしてもその元となる計算の最初に行われるのは「冬至を含む暦月はいつか」を求めることでしたから、暦の真の起点は「冬至を含む暦月」であったと考えられます。旧暦時代の暦で考えると、二十四節気の中気の一つである冬至の日付は平均すると11月の15日付近に来ることになります。勤労感謝の日の元となったと考えられる新嘗祭の日付「十一月の中卯の日」とは、大変重要な意味を持つ「冬至の日」を意識して定められたものだと考えられます。冬至の日は、太陽の南中高度が最も低くなる日。昼の時間も最も短くなる日ですから、太陽の力が最も弱まる日と考えらられました。この日に行われる新嘗祭の「天皇が新穀を天神地祇に勧めて神を祀り、自らも食す」という行事には、そんな弱まった太陽の力を復活させるために、今年一年の太陽(神)の恵みによって得られた新穀を捧げ、神と共に食することで、復活する太陽(神)の力を受け取るという意味があるのでは無いかと考えられます(共に食する天皇は太陽神、天照大神の子孫ということになっていますからね)。ちなみに十二支の「卯」は「草木が茂る、草木が芽吹き地を覆う」という意味を象徴するものですから、今年一年の太陽の力を復活させ、新しい歳の豊作を願う新嘗祭の行事に冬至に近い卯の日が選ばれたと言うことには呪術的な意味があったのでは無いかと私は考えています。

◇明治改暦後の新嘗祭の日付
 明治 5年まではこの通りの日に行われていましたが、明治 6年に日本の暦は太陰太陽暦から太陽暦へ改暦されました。いわゆる旧暦から新暦への改暦です。 改暦の影響は、いろいろなところに現れますがこうした伝統行事の日付をいつにするかも影響を受けることのひとつ。このとき新嘗祭の日付はどうなったかというと、「十一月の中卯の日」をそのまま新暦に当てはめたのです。そうしたところ、明治 6年の11月の中卯のが23日であったことから、明治 6年の新嘗祭は11月23日に行われました。さてそれ以後はと云うと、同様に中卯の日を求めてと云うことになると毎年祭日が移動してしまって不便であると考えたのか、この明治 6年の11月23日という日付に固定して、ずっと踏襲することになりました。と云うことでそれ以来新嘗祭は11月23日。そして戦後新しい祝日法が生まれたときにもそのまま踏襲されました。ただし日付は同じですが名称は現在の祝日法の政府原案や衆議院案では「新穀祭」、参議院案では「成人の日・若人の日」と違っていましたが、祝日法成立時には、勤労感謝の日となっておりました。どこで変わったんでしょうね。何はともあれ勤労感謝の日は、その年の収穫に感謝する日であり、ここからその収穫の元となる一年間の勤労に感謝する日となったというわけですね。私としては、新嘗祭の行事の内容から、今年一年の恵みに感謝すると言うだけで無く、新しい歳の豊作(あるいは繁栄?)を祈るという意味も何処かに残してくれたら良かったのになと思っちゃいました。欲張りかな?明日の勤労感謝の日、はただの「お休みの日」ではなく、その祝日の意味を振り返ってみては如何でしょうね。(「2020/11/22 号 (No.5167)」の抜粋文)

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今日(11/22)の夜空に見える月は【上弦の半月】です [かわうそ@暦]

◆今日(11/22)の夜空に見える月は【上弦の半月】。
上弦の月は日が暮れる頃は、真南の空の高いところにあり、日付が切り替わる頃に、西の地平線に沈んでゆきます。旧暦日による呼び名では【八日月】です。

◆お月様の基礎データ
・上弦の半月の瞬間は 11/22 13時45分 (月齢は 7.0) ※上弦の半月とは、月と太陽の黄経の角度差が90度となる瞬間です。
・月出:11/22 12時39分 月没:11/22 23時26分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):11/22 17時59分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 394700 km (平均距離の 1.03倍)。

 月は平均より 10300km遠く、見かけの大きさはいつもより少し小さいです。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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