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2021-06-05 [twitter投稿]



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【東家の丘】 (とうかのきゅう) [かわうそ@暦]

【東家の丘】 (とうかのきゅう)
 孔子の西隣の人が、孔子の聖人であることを知らず、いつも孔子のことを東家(東隣の家)の丘と言っていたということから人を見る目、人物の真価を見抜く眼識の無いことのたとえ。丘は孔子の名。出典は『三国志・魏志』 《成語林・初版》

 孔子の名の「丘」は、生まれた時から額が盛り上がっているように秀でていたことからつけられた名だと言われます。子供の頃は父のいない子(父親の名も知らされなかったといわれています)として苦労した孔子で、若いときには生活のためにいろいろな仕事をしたようです。

 「吾少(わか)かりしとき賤(いや)し、故に鄙事(ひじ)に多能なり」

 と孔子自身が晩年述懐しています。若いときには貧しくて、いろいろな仕事をしたものだから、つまらない事を沢山知っていていろいろな事が出来るのだというような意味です。多能は良いことのようですがこの述懐は、「先生は聖人ですから何でも良くご存じなのです」と弟子が人に言ったことを知って、私は貧しくていろいろな仕事をしたのでつまらないことをよく知っているだけで、いろいろなことに精通しているからその人が立派だということではないのだと戒めた話の中で出てきます。「鄙事」はつまらないことと言うほどの意味。まあ、このような若い頃からの孔子を知っている隣人にとっては、孔子もただの隣の家の息子でしかなかったわけです。「人物の真価を見抜く眼識の無いことのたとえ」とありますが、自分の目の節穴具合を考えれば、孔子の隣人を笑うことはとても出来ませんね。(「2021/06/05 号 (No.5362) 」の抜粋文)
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