2021-06-26 [twitter投稿]
hippocampus460オオダイコンソウ - 絵画風 https://t.co/FMsOh7jYnJ @hippocampus460より06/25 18:14 hippocampus460『「乃東枯る」の季節』hippoの菜園|https://t.co/OWnQj96IwT06/25 18:19 hippocampus460おはようございます!6時半起床、天気 ☂ /欠けていく凸月(7時08分、輝面比98%)視認できず。今日は立待月、月齢15.4。月の入:6時14分、月の出:21時16分です(北九州) /今朝の空は雲に覆われている。雨降り始めました。… https://t.co/0P2cauKBrY06/26 07:21 hippocampus460『【白夜】(はくや)』hippo@home|https://t.co/l8UCF2Juxr06/26 12:41 hippocampus460『ハマナス(浜茄子、浜梨、玫瑰)!』hippo@home|https://t.co/dniywX6YZ506/26 16:00 hippocampus460日中、曇りのち晴れ。PM2.5のレベルは19(24→19)、AQI:平常 /午前中、菜園作業。2畝にバーク堆肥を撒き鋤き込む。1畝、三角ホーで除草。最後にモロヘイヤ、オクラの畝、除草して杭を打ち込み、支柱を立てる。今日は曇天で作業… https://t.co/7H8hb2NfXu06/26 16:20
【白夜】(はくや) [かわうそ@暦]
【白夜】(はくや)
北極または南極に近い地方で、夏、日没から日の出までの間、散乱する太陽光のために薄明を呈すること。また、夏至のころの日が沈まない夜。びゃくや。 《広辞苑・第六版》
私の年代(か、それより幾分上の皆さん方)は「知床の岬にハマナスが咲く頃・・・」という歌詞で始まる「知床旅情」という曲をご存じでしょう。私も子供心に、「知床と言うところまで行けば、白夜という状態が体験出来る」と思ったものです。確かに北海道は本州や、九州、沖縄などに比べれば夏の日は長いのですが、実際は白夜と呼ばれる状態までになることは有りません。広辞苑の記述では、日出没があってもよく、ただ薄明(朝夕の薄明るい様子)の状態が続く場合も白夜と呼ばれると言うことなら、多少地域の制限は緩和出来そうです。それでも北海道にそんな状況を望むのは無理。あれは、詩情を誘うために入れた言葉だったようです。残念。普通、白夜が見られる場所としては南北66.6°以上の極北の地域。この角度は地球の自転軸の傾き23.4°から来ます。
66.6° = 90° - 23.4°
という計算です。北海道はその北端まで行っても北緯45°を超えることはありませんから、白夜が起こる場所にはほど遠いと言うことになります。広辞苑の比較的緩い条件を取り入れて薄明状態であればよいと考えると薄明の限界(天文薄明の終わりと始まり)までを白夜の起こる地域として考えると、天文薄明の限界は太陽が地平線下18°となる瞬間なので
48.6° = 90° - (23.4 + 18)°
うーん、これでもやはりちょっと足りないですね。なお、個人的には「薄明の限界」として天文薄明を用いるのはちょっと、暗すぎるので、その一つ手前の航海薄明の限界(地平線下12°)を考えるのが妥当だと思います。だとすれば一つ前の値は次のように修正されます。
54.6° = 90° - (23.4 + 12)°
辺りの緯度が白夜の限界緯度と言えるのではないかと考えています。皆さんはどう思いますか?
◇「白夜」は「はくや」
今回調べていて驚いたのは、
白夜 = はくや ・・・ ○
白夜 = びゃくや・・・ △ (間違いじゃないけど・・・)
ということだということ。一般的に「びゃくや」と読むものだと思っていたのですが、本来は「びゃくやとも読む」といったものだったのですね。ではなぜ、「びゃくや」という読みが一般化したのかというとこれが、先の知床旅情のヒットだったそうです。歌の中で「びゃくや」としていたため、これが人口に膾炙して、一般的には「はくや」より「びゃくや」の方がなじみのあるものになってしまったようです。私もこの言葉を耳にしたおそらくその最初が知床旅情だったので白夜の文字を見ても「びゃくやは明けぬ」と言う言葉ばかりが浮かんでしまいます。なんて罪作りな「知床旅情」なんでしょうね。
(「2021/06/26 号 (No.5383) 」の抜粋文)
北極または南極に近い地方で、夏、日没から日の出までの間、散乱する太陽光のために薄明を呈すること。また、夏至のころの日が沈まない夜。びゃくや。 《広辞苑・第六版》
私の年代(か、それより幾分上の皆さん方)は「知床の岬にハマナスが咲く頃・・・」という歌詞で始まる「知床旅情」という曲をご存じでしょう。私も子供心に、「知床と言うところまで行けば、白夜という状態が体験出来る」と思ったものです。確かに北海道は本州や、九州、沖縄などに比べれば夏の日は長いのですが、実際は白夜と呼ばれる状態までになることは有りません。広辞苑の記述では、日出没があってもよく、ただ薄明(朝夕の薄明るい様子)の状態が続く場合も白夜と呼ばれると言うことなら、多少地域の制限は緩和出来そうです。それでも北海道にそんな状況を望むのは無理。あれは、詩情を誘うために入れた言葉だったようです。残念。普通、白夜が見られる場所としては南北66.6°以上の極北の地域。この角度は地球の自転軸の傾き23.4°から来ます。
66.6° = 90° - 23.4°
という計算です。北海道はその北端まで行っても北緯45°を超えることはありませんから、白夜が起こる場所にはほど遠いと言うことになります。広辞苑の比較的緩い条件を取り入れて薄明状態であればよいと考えると薄明の限界(天文薄明の終わりと始まり)までを白夜の起こる地域として考えると、天文薄明の限界は太陽が地平線下18°となる瞬間なので
48.6° = 90° - (23.4 + 18)°
うーん、これでもやはりちょっと足りないですね。なお、個人的には「薄明の限界」として天文薄明を用いるのはちょっと、暗すぎるので、その一つ手前の航海薄明の限界(地平線下12°)を考えるのが妥当だと思います。だとすれば一つ前の値は次のように修正されます。
54.6° = 90° - (23.4 + 12)°
辺りの緯度が白夜の限界緯度と言えるのではないかと考えています。皆さんはどう思いますか?
◇「白夜」は「はくや」
今回調べていて驚いたのは、
白夜 = はくや ・・・ ○
白夜 = びゃくや・・・ △ (間違いじゃないけど・・・)
ということだということ。一般的に「びゃくや」と読むものだと思っていたのですが、本来は「びゃくやとも読む」といったものだったのですね。ではなぜ、「びゃくや」という読みが一般化したのかというとこれが、先の知床旅情のヒットだったそうです。歌の中で「びゃくや」としていたため、これが人口に膾炙して、一般的には「はくや」より「びゃくや」の方がなじみのあるものになってしまったようです。私もこの言葉を耳にしたおそらくその最初が知床旅情だったので白夜の文字を見ても「びゃくやは明けぬ」と言う言葉ばかりが浮かんでしまいます。なんて罪作りな「知床旅情」なんでしょうね。
(「2021/06/26 号 (No.5383) 」の抜粋文)