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新嘗祭の日付 [かわうそ@暦]

■新嘗祭の日付
 本日は11/23、勤労感謝の日です。ということで、本日は勤労感謝の日の話を一つ、と思いきや新嘗祭の日付の話を書くことにしました(思いつきだけで生きている、かわうそでした)。皆さんご存じのとおり、現在の勤労感謝の日は日本帝国憲法時代には新嘗祭という祭日でした。終戦後には、国家神道の色彩の強い「新嘗祭」という祭日は GHQが認めるはずもありませんので、名を捨てて実を取った形で「勤労感謝の日」という名の祝日として現在に残っています(といいながら、新嘗祭という祭儀は今でも宮中で皇室の私的(?)祭儀として続いています)。ちなみに、日本帝国憲法下時代の新嘗祭という祭日の意味は「天皇が新穀を天神地祇に勧めて神を祀り、自らも食す」というものでした。なにやら天皇陛下が行う行事のようですが「新穀」の文字が見えています。勤労感謝の日の「生産を祝い」とつながっていそうです。勤労感謝の日の日付の意味を知ろうと思ったら、新嘗祭の日付の意味を知れば良さそうです。ところで、新嘗祭という祭儀は、そもそもどんなものなの?

◇「新嘗祭」とは
 新嘗祭は大層古い行事です。日本書紀によれば仁徳天皇の四十年には既に行われていたことになっています。「仁徳天皇」となると少々神話めいてしまって本当か否ということになりますが、神話ではなく史実となる時代でも天武天皇六年(AD 677)に新嘗祭の記録が残っています。現在でも宮中で行われるはずの新嘗祭ですが、その内容は宮中三殿の西の神嘉殿で身を清められた天皇が御一人で新米の御飯と粥、粟の御飯と粥、酒、鮮魚と干物、果物等々を天皇みずから竹の箸で柏の葉に盛り付け神座に供され、その後にこれを天照大神から新しくいただいたものとして、これもまた天皇自らが召し上がられるというものです。この祭儀は夕べの儀と暁の儀の二度行われるそうで、夕べの儀は午後6~8時に、暁の儀は午後11~翌日午前1時に行われます。どちらの儀式も天皇のみが行うもので、皇太子ですら隣接した隔殿に陪席するのみという大変神聖な行事です。私達の知らないところで、天皇陛下はいろいろな儀式を執り行って下さっているのでした。

◇新嘗祭の日付
 仁徳天皇時代には既に行われていた新嘗祭ですが、その祭儀が行われる日付は「十一月の中卯の日」とされていました。「中卯」というのは、その月に入って 2度目の卯の日と云うことです。卯は十二支の一つですから卯の日は12日ごとに巡ってきます。11月 1日が卯の日だとすると、中卯の日は13日。11月12日が卯の日だとすると、中卯の日は24日。つまり、中卯の日は11月の13~24日の間にあることになります。1300年以上も続いた新嘗祭はその大部分は旧暦時代に行われていたわけですから新嘗祭の日付である「十一月の中卯の日」を考える場合には、旧暦の十一月の日付を考えなければいけません。では、旧暦の十一月とはどんな月か?日刊☆こよみのページの読者の皆さんならご承知のことでしょう。冬至を含む月であり、翌年の暦の計算の起点となる月です。日本の旧暦のお師匠様である中国の暦では、正月をどの月にするかということに関しては古い時代には王朝によって考え方に違いがあって、何度か変更があったのですが、正月をどこにするにしてもその元となる計算の最初に行われるのは「冬至を含む暦月はいつか」を求めることでしたから、暦の真の起点は「冬至を含む暦月」であったと考えられます。旧暦時代の暦で考えると、二十四節気の中気の一つである冬至の日付は平均すると11月の15日付近に来ることになります。勤労感謝の日の元となったと考えられる新嘗祭の日付「十一月の中卯の日」は「冬至の日」を意識して定められたもののようです。冬至の日は、太陽の南中高度が最も低くなる日。昼の時間も最も短くなる日ですから、太陽の力が最も弱まる日と考えらられました。この日に行われる新嘗祭の「天皇が新穀を天神地祇に勧めて神を祀り、自らも食す」という行事には、そんな弱まった太陽の力を復活させるために、今年一年の太陽(神)の恵みによって得られた新穀を捧げ、神と共に食することで、復活する太陽(神)の力を受け取るという意味があるのではないかと考えられます(共に食する天皇は太陽神、天照大神の子孫ということになっていますからね)。ちなみに十二支の「卯」は「草木が茂る、草木が芽吹き地を覆う」という意味を象徴するものですから、今年一年の太陽の力を復活させ、新しい歳の豊作を願う新嘗祭の行事に冬至に近い卯の日が選ばれたと言うことには呪術的な意味があったのではないかと私は考えています。

◇明治改暦後の新嘗祭の日付
 明治 5年までは、旧暦(太陰太陽暦)が日本の暦でしたので、新嘗祭の日付もこの決まりのとおり十一月の中卯の日に行われていましたが、明治 6年に日本の暦が太陰太陽暦から太陽暦へ改暦(いわゆる旧暦から新暦への改暦です)されると、新嘗祭の日付も影響を受けて変化しました。このとき新嘗祭の日付はどうなったかというと、「十一月の中卯の日」をそのまま新暦に当てはめたのです。そうしたところ、明治 6年の11月の中卯のが23日であったことから、明治 6年の新嘗祭は11月23日に行われました。さてそれ以後はと云うと、同様に中卯の日を求めてと云うことになると毎年祭日が移動してしまって不便であると考えたのか、この明治 6年の11月23日という日付に固定して、ずっと踏襲することになりました。と云うことでそれ以来新嘗祭は11月23日。そして戦後新しい祝日法が生まれたときにもそのまま踏襲されました。ただし日付は同じですが名称は「勤労感謝の日」となりました。祝日としては「勤労感謝の日」と名を変えてしまいましたが、そのルーツとなった新嘗祭は今も宮中で執り行われているはず。今年一年の恵みに感謝するとともに、新しい歳の豊穣を祈るという新嘗祭がこれからも長く続いて行くことを願って、本日の暦のこぼれ話を終えることにいたします。さ、今日からは大手を振って「新米」食べましょうね!

※ちょっとおまけ
 「勤労感謝の日」という祝日の名前ですが、戦後に新しく祝日法が制定されようとする当初はこんな名前ではありませんでした。

  政府原案 ・・・ 「新穀祭」
  衆議院案 ・・・ 「新穀祭」
  参議院庵 ・・・ 「成人の日・若人の日」

 政府原案、衆議院案の「新穀祭」は明らかに新嘗祭を意識した名前のようですが、参議院案の「成人の日・若人の日」はどこから出たんでしょうね?そして、祝日法が成立してみると、政府原案、衆議院案、参議院案のどれともちがう「勤労感謝の日」になってしまったのはなぜなんでしょうね?調べてみないといけないですね(済みません、やっていませんでした)。

                          (「2022/11/23 号 (No.5898)」の抜粋文)
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2022-11-23 [twitter投稿]



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秋咲きのクロッカス
2022.11.18撮影
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