SSブログ

明日(4/17)の明け方の東の空に昇る月は【二十六夜の月】です [かわうそ@暦]

◆明日(4/17)の明け方の東の空に昇る月は【二十六夜の月】。
明け方の空に見える月であることから「有明の月」、古代の美人画の眉のように細い月であることから「眉月」とも呼ばれます。この月の後は新月の時期となり、しばらく月はその姿を隠します。

◆お月様の基礎データ
・月齢: 25.4 (4/16 の正午の値)
・月出:4/17 3時36分 月没:4/17 15時 0分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):4/17 9時13分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 368300 km (平均距離の 0.96倍)。

 月は平均より 16700km近く、見かけの大きさはいつもより少し大きいです。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
nice!(0)  コメント(0) 

復活祭が生み出したグレゴリオ暦 [かわうそ@暦]

■復活祭が生み出したグレゴリオ暦
 今日は 4/3(2023年)、復活祭(イースター)の日です。そういえば先週の日曜日、4/9も復活祭でしたね(と、その前日の4/8のこのメールマガジンで取り上げました)。2週続きで復活祭の話が書けるなんて私としてはありがたい限り・・・と書いてきたところでお気づきになりましたか? 日付の話です。「今日の4/3と、先週の日曜日の4/9が復活祭」何か違和感が?

◇ユリウス暦からグレゴリオ暦へ
 謎解きは簡単、今日の4/3と先週の4/9と日付に矛盾が生まれたのは使っている暦の違いです。前者の4/3という日付はユリウス暦での日付。後者の4/9という日付はグレゴリオ暦での日付です。前者のユリウス暦の4/3をグレゴリオ暦の日付に直せば、4/16という普段慣れ親しんだカレンダーに示された今日の日付となるのです。ユリウス暦はグレゴリオ暦の前身の暦で1582年の途中まで、多くの国々で使われていた暦でした。ユリウス暦の特徴は、平年は 365日で四年に一度の閏日が二月末に挿入されることで 366日となるという、なじみのある閏日挿入方法です。このユリウス暦はあのジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)が作らせた暦で、ローマ帝国の版図で使用されました。また暦そのものは解りやすくて、またそこそこ正確な暦でしたから、当時のヨーロッパでは事実上の標準暦となっていました。グレゴリウス暦はこのユリウス暦の改良版です。ユリウス暦の「四年に一度の閏日」の挿入によって調整される一年の日数はほんの少しだけ本当の一年の日数より余分でした。余分とはいっても、その「余分」は 128年でようやく 1日になるほどのものでしたから、100年や200年の間は問題になることはありませんでした。ですがユリウスが改暦してからおよそ1600年近くも使われ続けてくると、小さな差も、つもり積もって10日程の「余分」となってしまいます。こうなると、もう「ちょっとの差」とも言っていられなくなります。グレゴリオ暦への改暦はこの10日の余分を取り去り、さらに年々の「余分」の量を小さくするための小修正でした。「余分」の量を小さくする工夫は、四年に一度の閏日挿入を400年のの間に3回だけ省略するというものでした。現在日本で使われている暦(新暦)はグレゴリオ暦と同じものですので、1900年や2100年などは四年に一度の周期にあたる年ですが、閏年ではなく平年になります。なぜユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦がなされたのか、四年に一度の閏年では多すぎると何が問題になったのか、それは復活祭の日付が正しく計算されていないという指摘でした。先週も書きましたが復活祭の日付は「春分の日の後の満月の日以後の日曜日」と定められていました。そのうえこの「春分の日」は3/21という固定した日付に固定されてもいましたから、天文学的な春分の日と暦の上の春分の日が16世紀には10日程も大きくずれてしまっていたのです。キリスト教にとって最重要祝日である復活祭の日取りが実は10日も間違って計算されているなんて、キリスト教の沽券にかかわる問題です(天文学の進んでいたイスラム諸国の天文学者たちの笑いの種にされていたとか)。これではいかんと、この問題を解決するために行われたのが、ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦だったのです。改暦はキリスト教の宗教上の問題を解決するためになされたものだったのです。

◇十日ずれていたユリウス暦で人々は困っていたか?
 この改暦の話となると時々暦と季節が10日もずれてしまって、人々が困ったといったことをいう人に出会うのですが、これは誤りです。確かに天文学的な春分の日と暦の上の春分の日(キリスト教で定められた)との間には1582年当時で10日もの差が生じてはいましたが、教会関係者以外には、こんな差は問題ではなかったのです。ある年急に10日ずれてしまったのであれば、暦の日付を目安に農作業などする人がいれば少々困ったことがあったかもしれませんが、この10日のずれは1600年もかかってゆっくりと生まれたもの。人の一生が 100年だとしてもその一生のうちでは 1日のずれも生まれません。現在の私たちの生活を考えてみても、暦の上の春分の日が天文学的な春分と何日か違っていたって、少なくとも「日常生活」に困ったことが起こるとは思えません。それどころかおそらくそのずれに気付きさえしないでしょう。この「10日のずれ」が大問題だったのはキリスト教の教会であって、一般の人々の生活ではなかったのです。自分たちが信奉するキリストの復活を祝う祭礼の日が暦の不備によって正しく行われないというのは、神に対する大変な冒涜であると考えた宗教関係者(この場合はローマ法王)が、この暦の不備をただすために行ったのがグレゴリオ暦への改暦でした。グレゴリオ暦という名前自体が、この改暦を命じたローマ法王グレゴリウス十三世の名から来ていることを見てもそれが解ります。ただし、これが宗教がらみであり、グレゴリオ暦への改暦を断行したのがローマ法王であったことが、事態をさらにねじれさせてしまいました。同じキリスト教の中にも既にローマ法王(カトリック)とたもとを分かっていたものたち(これがいわゆる東方正教会系の教会)があったので、暦と天文学上の春分の日を一致させる改変を行うより、キリスト教としてその昔に定めた伝統的な規則に従う道を選ぶ者たちもいたということです。そして、グレゴリオ暦以前のユリウス暦に基づいた今年の復活祭の日付はユリウス暦の4/3となり、それが今日というわけです。キリスト教で定めた「春分の日」なんて言われても、キリスト教徒以外には「知らんがな」という話ですし、人間以上に地球の自転と公転の関係で生まれる天文学的な春分の日からみても「知らんがな」という問題ですね。暦の問題って、一筋縄ではいかないものだなということを感じさせてくれる復活祭と改暦の話でした。

                          (「2023/04/16 号 (No.6042) 」の抜粋文)
nice!(0)  コメント(0)