KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]
先週、アイスランドの地熱地帯にて、間欠泉の音を聞きながら撮影したオーロラです。
— KAGAYA (@KAGAYA_11949) March 21, 2024
写真中央、オーロラの中にカシオペヤ座が写っています。
オーロラの左の上部は太陽の光が当たっているため紫になっているようです(共鳴散乱)。
(先週アイスランドにて撮影)
今日もお疲れさまでした。 pic.twitter.com/i7v1GlT9U8
法隆寺会式(3/22~24) [かわうそ@暦]
□法隆寺会式(3/22~24)
聖徳太子の命日は、AD 622年(推古天皇30年)の2/22とされています(他にAD 621/02/05との説もあり)。本日3/22は月遅れの聖徳太子の忌日で、明治44年以降はこの月遅れの日付で法要が行われるようになりました。というわけで、本日は3/22ですので、法隆寺会式のお話。
この法要は、会式(えしき)、あるいは御会式(おえしき)と呼ばれ、3/22~3/24に通常の年は聖霊院において小会式が、10年ごとに大講堂で大会式が行われています。(ちなみに、大会式が行われるのは、西暦の下一桁が「1」の年。直近では2021年が大会式の年で、この年はまた聖徳太子の1400年御遠忌でもありました。御会式の始まりは 748年(天平20年)。行信僧都によって行われたのが最初とされています。法隆寺に納められている聖徳太子の木像の厨子は秘仏とされていますが、この御会式の期間は公開されます。御会式の際の供物は、榧の実、ほし柿、銀杏、寒天・・・等を三宝の上に高く盛ったもので、中世の食生活の模様を表すものだと云われています。一応、奈良の近県に住んでいるかわうそですので、いつか会式に参拝してみたいものだと思っています。今年はこの日程に別の用事が入ってしまっているのでむりですが、来年とか、可能かな??法隆寺会式については法隆寺のサイトがありますので、更に知りたいという方は法隆寺のサイトを御覧ください。
※法隆寺「おしらせ」 http://www.horyuji.or.jp/
(「2024/03/22 号 (No.6383) 」の抜粋文)
聖徳太子の命日は、AD 622年(推古天皇30年)の2/22とされています(他にAD 621/02/05との説もあり)。本日3/22は月遅れの聖徳太子の忌日で、明治44年以降はこの月遅れの日付で法要が行われるようになりました。というわけで、本日は3/22ですので、法隆寺会式のお話。
この法要は、会式(えしき)、あるいは御会式(おえしき)と呼ばれ、3/22~3/24に通常の年は聖霊院において小会式が、10年ごとに大講堂で大会式が行われています。(ちなみに、大会式が行われるのは、西暦の下一桁が「1」の年。直近では2021年が大会式の年で、この年はまた聖徳太子の1400年御遠忌でもありました。御会式の始まりは 748年(天平20年)。行信僧都によって行われたのが最初とされています。法隆寺に納められている聖徳太子の木像の厨子は秘仏とされていますが、この御会式の期間は公開されます。御会式の際の供物は、榧の実、ほし柿、銀杏、寒天・・・等を三宝の上に高く盛ったもので、中世の食生活の模様を表すものだと云われています。一応、奈良の近県に住んでいるかわうそですので、いつか会式に参拝してみたいものだと思っています。今年はこの日程に別の用事が入ってしまっているのでむりですが、来年とか、可能かな??法隆寺会式については法隆寺のサイトがありますので、更に知りたいという方は法隆寺のサイトを御覧ください。
※法隆寺「おしらせ」 http://www.horyuji.or.jp/
(「2024/03/22 号 (No.6383) 」の抜粋文)
【彼岸が来れば団子を思う】 [かわうそ@暦]
【彼岸が来れば団子を思う】
(彼岸がくると、先祖の供養よりも彼岸の団子のことをまず考えるという意から)本来の重要なことを忘れた気楽な生活態度をいう。 《成語林》
昨日、墓参りに行ってきました。と言っても私自身のご先祖様方の墓は、現在住んでいる場所からはかなり遠方の私の生まれ故郷にありますので、昨日出かけたお墓は家内の父方および母方のご先祖様のお墓です。こちらはそんなに遠くないので半日もあれば両方のお参りが出来ました。お彼岸の頃は気候も穏やか。桜の花もちらりほらりと咲き始め、墓参りと言うより長閑な春の散歩といった感じでした。天気はいいし、桜は咲き始めたし、足下には枯れ草の合間から新しい緑が顔を出している。「ああ、こんな季節には弁当持ってピクニックにでも出かけたい」そんなことを考えました(あいにく昨日は、風が強くてピクニックは無理でしたが)。その想像とお彼岸が結びついて想像の中のお弁当の中身はぼた餅になっていました。想像の中のお弁当のぼた餅を眺めながら(?)、ふと脳裏を過ぎったのがこの言葉。想像の中では彼岸の団子ではなくてぼた餅でしたが、まあそのくらいの違いはこの際許してもらうことにしましょう。何ていったってお彼岸のお墓参りの最中に、ご先祖様の供養をおもうよりぼた餅のことなんかを考える「気楽な生活態度」の私のことですから。まあいいじゃありませんか。あんなに天気のいい一日だったんですから。それに、ぼた餅のことを考えてはいましたがお墓参りもしたんですから。
(「2024/03/21 号 (No.6382) 」の抜粋文)
(彼岸がくると、先祖の供養よりも彼岸の団子のことをまず考えるという意から)本来の重要なことを忘れた気楽な生活態度をいう。 《成語林》
昨日、墓参りに行ってきました。と言っても私自身のご先祖様方の墓は、現在住んでいる場所からはかなり遠方の私の生まれ故郷にありますので、昨日出かけたお墓は家内の父方および母方のご先祖様のお墓です。こちらはそんなに遠くないので半日もあれば両方のお参りが出来ました。お彼岸の頃は気候も穏やか。桜の花もちらりほらりと咲き始め、墓参りと言うより長閑な春の散歩といった感じでした。天気はいいし、桜は咲き始めたし、足下には枯れ草の合間から新しい緑が顔を出している。「ああ、こんな季節には弁当持ってピクニックにでも出かけたい」そんなことを考えました(あいにく昨日は、風が強くてピクニックは無理でしたが)。その想像とお彼岸が結びついて想像の中のお弁当の中身はぼた餅になっていました。想像の中のお弁当のぼた餅を眺めながら(?)、ふと脳裏を過ぎったのがこの言葉。想像の中では彼岸の団子ではなくてぼた餅でしたが、まあそのくらいの違いはこの際許してもらうことにしましょう。何ていったってお彼岸のお墓参りの最中に、ご先祖様の供養をおもうよりぼた餅のことなんかを考える「気楽な生活態度」の私のことですから。まあいいじゃありませんか。あんなに天気のいい一日だったんですから。それに、ぼた餅のことを考えてはいましたがお墓参りもしたんですから。
(「2024/03/21 号 (No.6382) 」の抜粋文)
【二河白道】 (にがびゃくどう) [かわうそ@暦]
【二河白道】 (にがびゃくどう)
〔仏〕善導が「観経疏散善義」で説いた比喩(ひゆ)。おそろしい火・水の二河に挟まれた細い白道を、西方浄土に到る道にたとえたもの。火の河は衆生の瞋恚(しんい)、水の河は衆生の貪愛(とんあい)、白道は浄土往生を願う清浄の信心を表す。二河。白道。 《広辞苑・第七版》
日本に浄土思想が拡がるとともに、西の彼方には煩悩に満ちたこの世界とは違った理想の世界、西方浄土があると信じられるようになりました。彼岸の中日(春分・秋分の日)には太陽が真西に沈みます。海辺で沈む太陽を眺めると、真西に沈む太陽が水面に白く光る一筋の道を映し出します。まるで二河白道が具現化されたようなまぶしい道。この道は、西方浄土へ至る道であるとして尊ばれ、この道を照らす春分、秋分の日の夕日を拝する行事が行われたそうです。宗教的な意味合いは判らなくとも、朝日、夕日が海を照らして作るこの白い道にはは、ただ眺めるだけでも何か敬虔な気持ちを呼び起こしてくれる力があるような気がします。この文章を書いているのは春分の日の朝。日暮れには海の上に、きっとこの二河白道を見ることが出来ることでしょう。そしてこんな私にも敬虔な気持ちを呼び起こしてくれることでしょう。そうしてくれるよう、今のうちからお天道様にお祈りすることにします。
(「2024/03/20 号 (No.6381)」の抜粋文)
〔仏〕善導が「観経疏散善義」で説いた比喩(ひゆ)。おそろしい火・水の二河に挟まれた細い白道を、西方浄土に到る道にたとえたもの。火の河は衆生の瞋恚(しんい)、水の河は衆生の貪愛(とんあい)、白道は浄土往生を願う清浄の信心を表す。二河。白道。 《広辞苑・第七版》
日本に浄土思想が拡がるとともに、西の彼方には煩悩に満ちたこの世界とは違った理想の世界、西方浄土があると信じられるようになりました。彼岸の中日(春分・秋分の日)には太陽が真西に沈みます。海辺で沈む太陽を眺めると、真西に沈む太陽が水面に白く光る一筋の道を映し出します。まるで二河白道が具現化されたようなまぶしい道。この道は、西方浄土へ至る道であるとして尊ばれ、この道を照らす春分、秋分の日の夕日を拝する行事が行われたそうです。宗教的な意味合いは判らなくとも、朝日、夕日が海を照らして作るこの白い道にはは、ただ眺めるだけでも何か敬虔な気持ちを呼び起こしてくれる力があるような気がします。この文章を書いているのは春分の日の朝。日暮れには海の上に、きっとこの二河白道を見ることが出来ることでしょう。そしてこんな私にも敬虔な気持ちを呼び起こしてくれることでしょう。そうしてくれるよう、今のうちからお天道様にお祈りすることにします。
(「2024/03/20 号 (No.6381)」の抜粋文)