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2020-03-07 [twitter投稿]



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アンズ(杏)の花 ! [ヘッダー画像]

200306no20.JPG
撮影日:2020.03.06
福智山ろく花公園
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埋め草の記 ◇アリとバッタ [かわうそ@暦]

■埋め草の記 (「編集後記」のようなもの)
◇アリとバッタ
 イソップ物語だとアリと対になるのはキリギリスでしょうけれど、本日はキリギリスに代わってバッタに登場していただきます。なぜかというと、最近の人間社会の出来事を見ていて、「アリとバッタの問題だな」と、ふと思ったからです。

・バッタの脅威
 今年、アフリカ大陸の北東部、エチオピアあたりでバッタ(サバクトビバッタ)が大発生して、農作物に壊滅的な被害を与えています。バッタは漢字で書くと「蝗虫」なので、こうしたバッタによる害を「蝗害(こうがい)」と云います。蝗害は古くから天災の一つととらえられてきました。天災に数えられるほど広い範囲に大きな害を及ぼすものだということです。普段はおとなしい(?)バッタですが、ある年の気象条件がその生育に適したもので、多数のバッタが一時に発生するとこれが蝗害となることがあるのです。もちろんちょっと増えたくらいでは蝗害にまで発展しませんので、そう度々というわけではありません(そう度々あったら大変です)。今回の蝗害ではエチオピアでは1~2千億匹ものバッタが穀物や草などを、食べられるものを食べ荒らし、食べ尽くしているようです(紙まで食べちゃうとか)。こうなってしまうとその次に来るのは深刻な食糧不足。蝗害のやっかいなことは、この巨大なバッタの大群が1日に150kmもの速さで移動してしまうこと。食い止めるのが難しいのです。幸いなことに、蝗害はたまにしか起こりません。普通の年であればバッタが食べる穀物や草の量などたかがしれているので、問題にはならないのです。問題は、短期間に極端に大量の「需要」が生じること。この瞬間だけ供給が間になわなくて「食い尽くし」が起こり、災害となります。

・アリの行列
 一転してここは地道なアリさんの話。よい餌を見つけるとアリたちは行列を作って、せっせとその餌を運んでゆきます。行列はただただ前のアリの後を次のアリがくっついて歩いているだけのように見えるのですが、その速度は微妙に調整されていて、混雑してくると速度を落とし、ゆっくりとはなっても行列が流れ続け、停滞することがありません。「一定に流れ続ける」が最も効率的なんだとか。地道なアリさんたちは「細く長く」が一番だと知っているのでしょうね。

・人間社会での出来事
 人間社会(ひとまず身の回りの話)では、マスクが不足しています。薬局やコンビニなどではマスクの売り切れ状態が続いています。花粉症問題もあって、日本は「マスク需要大国」ですが、その需要大国でも普段はマスクが買えないなんて云うことはまずありません。今回はコロナウィルス騒ぎが起こって、予想外の「需要の大量発生」が起こって、マスクが買い尽くされてしまったようです。更にこの状況を見て買い占め、転売によって利益を得ようという転売屋の策動もマスク不足に拍車をかけたような気がします。「マスク不足」については、致し方ないところもあるなと思うのですが、先週はマスク以外にも不足したものがあったようです。それはトイレットペーパー。一部地域ではトイレットペーパーが売り切れとなった店舗もあったとか。現実には、トイレットペーパーの生産が不足していると云ったことは全くなく、デマの類いで不安をあおられた人達がトイレットペーパーをまとめ買いする動きをしたため、一時的に買い尽くされてしまったというだけの話だったようです。広い範囲で考えれば、あるいは、少し長い期間で考えれば十分、需要をまかなう供給があることがあきらかなことも、不安な気持ちに駆られると、冷静には判断できなくなってしまうのでしょうか。人間社会に起こったマスク、トイレットペーパーの騒ぎを見ながら、なんかアリとバッタの話みたいと思ったかわうそです。不安に駆られて食べ尽くしちゃうと、その後には大飢饉が襲ってくる。ここは冷静に、混んできたらスピードを緩めて、歩調を合わせて進もうというアリさんを見習うべきかな?

◇おまけ
 日本でも蝗害が発生することがあったそうです。日本の場合の蝗害の元凶となるバッタはトノサマバッタ。ただし、ウンカやイナゴ(「蝗」一文字だと「イナゴ」でしたね)によることもあるそうですので日本の蝗害は全部が全部トノサマバッタがやったことというわけではないようです。最後はトノサマバッタの名誉のための一言でした。(「2020/03/07 号 (No.4907)」の抜粋文)
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西暦のはなし [かわうそ@暦]

□西暦のはなし
 本日は、西暦2020年3月7日、土曜日です。といった具合に、当たり前に使われている「西暦」について本日は採り上げて見みます。あんまり当たり前に使うものですから、当たり前すぎて忘れてしまいがちな暦の話です。

◇辞書による説明
 【西暦】(せいれき)西洋の暦。イエス=キリストが誕生したとされる年を紀元元年とする。
  西紀。→紀元《広辞苑・第六版》

 コトノハでいつもお世話になっている広辞苑に、本日は「暦のこぼれ話」にもご登場願いました。しかし、残念。説明はあっさりしていてわずか2行。広辞苑の説明が、もし20行もあってくれれば、以上、説明終わりと最後に書き加えれば、本日の私の仕事は終わったはずなのに。仕方がない、続きを書くか。

◇もちっと詳しく「西暦」の話
 さて、広辞苑の説明のとおりだとすると、イエスが生まれた年が紀元元年。紀元1年ということになります。イエスが生まれたのがクリスマス、12/25 ですから、イエスは西暦 1年12月25日生まれということになるのか・・・。イエスの生まれた年を西暦の始めとするというのであれば、ついでに 12/25を 1/1として年首も移動してくれたら解りやすくてよかったのに、なんてぼやきたいところですが、イエスの生まれた日付が 12/25というのは冬至の儀式の日付を後から「イエスの誕生日だ」としてしまったもので、実際のイエスの誕生日とは無関係ですから、文句を云っても仕方ない。

  閑話休題

 イエスの誕生年が西暦の元年となったというのは、もちろん後世に決められたものです。何と言っても、イエスが生まれた年に将来その子が、世の救い主と呼ばれる存在になるなんて、誰も知らなかったはずですから(東方の三博士なんて本当にいたとは思えませんものね)、後付けにならざるを得ないのですが。この後付けをしたのは誰かというと、六世紀に生きたローマの大修道院長ディオニシウス・エクシグヌスだと言われれています。この人物は、神学者であり、また年代学者でも有りました。当時、ディオニシウスが取り組んでいたのが、復活祭の日付の計算方法を作ることでした。自分たちの信じる神の復活の日を祝うという、キリスト教の祝日の中で最も重要な祝日である復活祭の日付の計算というのは、キリスト教教会では大変重要なことなのですが、復活祭は「○月△日は復活祭」と、日付が固定されているものではなくて春分の日以降の満月の次の日曜日を復活祭とするなんていう、面倒くさい(失礼?)決まりになっているため、計算が大変なのです。ちなみに、ここ最近の復活祭の日付を計算して見ると

  2018/04/01 , 2019/04/21 , 2020/04/12 , 2021/04/04 , 2022/04/17
  ※この例はカトリックの計算方式によるものです

 となります。まるで無秩序のようにも見えます。今なら、計算機を用いれば複雑な計算も一瞬で終わってしまいますが、そうした便利なものが無い時代には、この計算は大変でした。ディオニシウスはこの大変な問題に取り組んでいたのでした。ディオニシウスは計算方法を研究する中で、計算するために用いる年数を数えるための起点(紀元)として、このイエスの生まれた年を紀元として用いました。「用いました」と書きましたが、実はディオニシウスが計算方法を考えている頃に、当時のローマでよく用いられていた紀元は別のもので、ディオクレティアヌス紀元と呼ばれるものでした。このディオクレティアヌス紀元とは、三世紀から四世紀にかけて生きたローマ皇帝の一人、ディオクレティアヌスの即位年を紀元とするもので、別名を「殉教者の紀元」と呼ばれました。その理由は、ディオクレティアヌス帝がキリスト教徒を残酷に迫害した皇帝であったためでした。ディオニシウスが復活祭の日付の計算方法の研究に取り組んでいた六世紀には、既にキリスト教はローマ帝国の国教ともなって久しく、キリスト教徒の迫害は遠い過去のことになっていました。とはいえ、キリスト教における最重要の祝日である復活祭の日付を、キリスト教徒の迫害者として知られた皇帝の即位を紀元とする年数で計算するのは具合が悪い。そこでディオニシウスが考えたのが、イエスの生誕年を紀元とする暦、現在の西暦、キリスト紀元の暦です。ディオニシウスは、

  ディオクレティアヌス紀元 247年 = キリスト紀元 531年

 とするキリスト紀元の西暦を考え出しました。ディオニシウスがどのようにしてイエスの生誕年を推定したのかは伝わっていないので、検証のしようもないのですが、現在はイエスの生誕はこの西暦で言えば紀元前 4年頃と考えられているようですので・・・間違っていたのかな?キリスト紀元の元年が本当にイエスの生誕した年であったか否かは、そうした研究をする人達にとっては大問題かもしれませんが、そうしたことに興味のない私達にとっては、大した問題ではありません。それよりは、今年は西暦2020年ですということが、正しく伝わりさえすればそれでよいのです。ディオニシウスの考えたキリスト紀元での年数の表記は、次第に支持を得るようになり、十世紀頃からはこの紀元を正式に採用する国が徐々に増えて、現在は世界で最も広く使われる公用紀元となりました。日本ではこのキリスト紀元の記念法を「西洋で使われている暦」という意味で「西暦」と呼ぶようになり、現在に至っています。ちなみに、日本にキリスト教が伝わった頃の日本のキリシタンが用いていた暦には西暦の年数が「御出生以来○○年」と書かれていたそうです。(「2020/03/07 号 (No.4907) 」の抜粋文)

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