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2020-03-24 [twitter投稿]



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ケマンソウ(華鬘草)! [ヘッダー画像]

200324no15.JPG
別名:タイツリソウ(鯛釣り草)
撮影日:2020.03.24
福智山ろく花公園
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桜田門外の変 [かわうそ@暦]

□桜田門外の変
 毎年、この日になると「今日がその日か」と思ってしまう、今日は桜田門外の変が起こった日です。桜田門外の変が起こったのは、現在使われているグレゴリウス暦に換算すると1860年 3月24日。160年前の今日ということになります。ご存じのとおり、桜田門外の変は、日米修好条約締結や開港政策、それに安政の大獄などによる倒幕派への強圧的な政策をとり続ける大老井伊直弼への不満から、水戸・薩摩の浪士が井伊大老の登城を狙ってこの行列を襲撃、井伊大老を暗殺した事件です。襲撃に加わった者は、水戸藩17名(うち一名は総指揮で、襲撃実行部隊には参加していない)、薩摩藩1名。襲撃によって井伊直弼とこれに随従した彦根藩士8名が死亡。襲撃した浪士も8名が死亡(自刃も含む)。さらにその後に捕縛され斬罪に書せられた者7名でした。残りの3名は逃亡しています。

◇桜田門外の変と雛祭り
 事変が発生したのは当時の暦の日付では安政 7年 3月 3日。時刻は五ツ半といいますから、現在でいえば午前 9時頃のこと。襲撃がこの日に計画されたのは、この日が 3月 3日、つまり雛祭り(正しくは、「上巳の節供」)の日だったからです。雛祭り、正しくは上巳の節供(じょうしのせっく)です。上巳の節供は人日、端午、七夕、重陽の各節供と合わせて五節供といい、この五節供は江戸幕府が定めた祝日に相当する「式日(しきじつ)」とされていました。式日には、江戸在府の大名は江戸城へ総登城し、将軍家に対して祝いを述べることになっていましたから、大老である井伊直弼も必ず登城することが予め分かっていました。また、式日には沢山の大名の登城行列が見られますから、田舎から出てきた武士達(オノボリさんといったところでしょうか)が「武鑑」と呼ばれる大名や旗本の紋所や各種解説の記されたガイドブックのような本を片手に、行列見物をすることが珍しくなかったので、幾人もの浪士が集まっていても差ほど奇異には映らなかったのです。

◇雪の雛祭り
 桜田門外の変では、井伊大老を護衛した彦根藩士8名が亡くなっていますが、このように被害が大きくなったところには、襲撃を予測していなかったということの他に、この日が大雪だったということも関係しているといわれています。大雪であったため、警護の侍達は槍や刀に雪支度の覆いをかけていたため、襲撃が始まっても迅速に槍や刀を抜くことが出来ず、鞘ごと振り回すといった使い方をせざるをえなかったのでした。それにしても、新暦でいえば3/24という時期ですから、「大雪」とは驚きですね。当時の江戸の人々もこの大雪は「前代未聞」といぶかったそうですから、現代の我々同様、驚いていたようです。まあ、他の年でもこうした遅い大雪の記録が無いことは無いでしょうが、それにしても何十年に一度の珍しい天気だったことは間違いなさそうです。もしこの日がこんな天気でなければ、ひょっとして井伊大老の暗殺は失敗に終わって、日本の歴史も今とは違ったものになっていた可能性もあります。「歴史にもしもはない」といいますが。(「2020/03/24 号 (No.4924) 」の抜粋文)

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今日(3/24)のお月様は【新月】です [かわうそ@暦]

◆今日(3/24)のお月様は【新月】。
今日の月は日の出の頃に昇り、日の入りの頃に沈みます。空に昇っている時間は概ね太陽と同じ。
日食でも起こさない限り、月の在処はわかりません。旧暦では、この新月の日が暦月の一日(朔日)となります。

◆お月様の基礎データ
・新月の瞬間は 3/24 18時28分 (月齢は 0.0) ※新月とは、月と太陽の黄経の角度差が0度となる瞬間です。
・月出:3/24 5時51分 月没:3/24 17時44分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):3/24 11時44分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 406600 km (平均距離の 1.06倍)。

 月は平均より 22200km遠く、見かけの大きさはいつもより小さいです。(「お月さまメールのお知らせ」の抜粋文)

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