SSブログ

ムクゲ(木槿)! [ヘッダー画像]

210818no52.JPG
2021.08.24撮影
nice!(0)  コメント(0) 

月齢の話&旧暦日の話 [かわうそ@暦]

■月齢の話&旧暦日の話
 月に関する数値で一番なじみ深いのがこの『月齢』ではないでしょうか。よく使われる数字で、その日の月の様子を示すにはなかなか便利な数字なのですが、細かな点ではよく誤解される数字でもありますので、この月齢について話をいたします。長く日刊☆こよみのページをお読みいただいている方にとっては「おや、また?」と思われる話なのですが、そう思われるくらい繰り返し「よく尋ねられる質問」なので、繰り返しにはなるのですが、時々書かせていただきますのでお付き合いください。

◇月齢とは何を表す数字?
 まずは、最も基本的であり最も重要な話。月齢が意味するものの話です。月齢がどうやって求められるのかを言葉で書けば「月齢とは直前の新月の瞬間からの経過日数」となります。解ったようで解らない説明ですが、じっくり考えれば難しいことを云っているわけではありません。たとえば、たまたま今が新月だったとします。すると、明日の同時刻は新月から1日が経過したわけですから、「直前の新月からの経過日数は1日」で月齢 1.0となります。では明後日の同時刻は、明明後日の・・・。以下同文。


◇月齢に小数点がつくのはなぜ?
 前の説明で「明日」ではなく「明日の同時刻」とくどい書き方をした理由がこの疑問を解く鍵です。日常でも「今日は新月の日」といった使い方をしますが、こうした使い方の場合は新月の時刻なんて意識しないのが普通です。ですが、月齢計算の起点になるのは新月の日付ではなく「新月となる瞬間」なのです。例えばこれを書いている時点での直前の新月の瞬間は、

  日本時 2021年 8月 8日 22時50分 (≒ 2021年 8月 8.95日)

 という具合です。では今日(8月27日)の正午の月齢はといったら

  27日正午を日で表すと ⇒ 27日 + (12時 / 24時間) = 27.5日
  27日正午の月齢を計算 ⇒ 27.5 - 8.95 = 18.55 (月齢)

 このメールマガジンに記載された27日正午の月齢は 18.6。小数点1位まで表示しているのでこうなりますが、中身は上記の計算とぴったりです。

◇今日の月齢って、いつの月齢?
 前の説明でおわかりになると思いますが、月齢計算には日付だけでなく時刻まで必要になります。その点から考えると、「今日の月齢は××」という表現は不正確なことになります。「今日の△時の月齢は××」というべきでしょう。ですがそれではあまりにくどくて煩雑。それで、普通は「△時」を省略してしまうわけです。問題は、この省略された「△時」がいつか。月齢の定義自体にはこの△をいつにするかといった決まりはありませんので、あとは使う人次第というのが実情です。私の場合は、もっぱらその日の代表値として「正午」を用いています。他には午前零時や、世界時零時に当たる午前9時などが「△」として多く使われるようです。△がいつかの共通の決め事はありませんが、きちんとしたデータを提供しているところなら、△はいつかをどこかに明示していると思います。

◇月齢はいくつまであるの
 月齢の数字は、次の新月が来るとまた0(ゼロ)に戻りますから、新月と新月の間(朔望周期)の日数を超えることはありません。朔望周期はおよそ29.4 ~ 29.8 日の間にありますから、月齢もこの数字もこれを超えることはありません。

◇月齢は刻々と変わるの?
 既に説明したとおりで、刻々と変わります。本日正午の月齢が 18.55 、ではその 5時間後はといえば

  18.55 + 5時間 / 24時間 = 18.55 + 0.21 ≒ 18.8

 のようになります。ちなみに、Web こよみのページのトップページの月齢はそのページを表示している日付だけでなく、時刻も考慮して表示していますので、月齢カレンダー(正午の月齢)とは一寸違っています。あ、もちろん正午にトップページを表示したら、同じになりますけど。

◇満月の月齢は?
 「満月の月齢」が決まっていると思っている方は多いのですが、これは間違い。満月の月齢は約 13.9~15.6の範囲で変化します。ですから、月齢15前後が満月であるとは言えても、月齢の数字だけから、本当に満月か否かは判断できません。

◇月齢と旧暦の日付
 「月齢は直前の新月の瞬間からの経過日数」と書きましたが、直前の新月から数え始めるものと言えば、旧暦の日付もそうです。旧暦は太陰太陽暦の一種で、その暦月の期間は新月の瞬間を含む日から次の新月の瞬間を含む日の前日となります。もちろん新月の瞬間を含む日がその暦月の「一日」なわけですが、新月は月の朔望の呼び名では「朔(さく)」なので、この朔を含む日ということで「朔日」と書いて「ついたち」と読むこともあります。つまり、旧暦の日付は新月の瞬間を含む日を一日として、日数を数えますから、新月から数え始めて三日目の細い月は三日月、十五日目の満月か満月に近い月を十五夜の月と呼ぶようになり、暦月半ばの暦月の折り返しの15日に何時も満月かそれに近い月が見えることから、いつしか「十五夜の月」=満月という考えが定着したわけです。こんなわけで、旧暦時代の人々であれば、暦の日付を見ればそれだけでおよその月の満ち欠けの具合が思い浮かぶの当たり前でした。ですから、その当時は「月齢」なんて、わざわざ使う必要はなかったのです。ところが、明治改暦で暦の日付と月の満ち欠けの具合との関係が断ち切られてしまうと、これはちょっと寂しい。単に寂しいだけではなくて、例えば月の満ち欠けと密接な関係のある海の潮の具合を知りたいときには不便になってしまいました。そこで、月の満ち欠けと無関係の暦を使うようになると、旧暦の日付のような月の満ち欠けの具合の目安となる分かり易い数値があると何かと便利と考えられて生まれたのが「月齢」です。ただ、月齢と旧暦日との数え方にはちょっとした違いがありますので、その点は注意が必要。旧暦日は新月の瞬間を含む日を一日としますが、この場合の新月の瞬間が0時でも12時でも23時59分でも関係なくその日が一日。これに対して月齢は月齢の瞬間から数えた経過日数なので新月の瞬間が0時か23時59分かでは大違い(この場合、およそ1.0の差が生じることになります)。それと、旧暦日の数え方は最初が「一」ですが、月齢は 0.0。表現の方法が違うので、この点は注意が必要です。とはいえ、旧暦の日付も月齢の値も、どちらも一目見れば大体の月の満ち欠けの様子が想像できることは同じです。日刊☆こよみのページの今日の暦やWeb こよみのページの月齢カレンダーの月齢表示、あるいは新聞の月齢欄、そしてどこかで見るかもしれない旧暦の日付など見るときには、今日の月齢の話&旧暦日の話を思い出して頂けたら嬉しいです。(「2021/08/27 号 (No.5445) 」の抜粋文)

nice!(0)  コメント(0) 

2021-08-27 [twitter投稿]



nice!(0)  コメント(0) 

ウコン(鬱金)! [ヘッダー画像]

210827no41.JPG
2021.08.27撮影
nice!(0)  コメント(0) 

2021-08-26 [twitter投稿]



nice!(0)  コメント(0) 

2021-08-25 [twitter投稿]



nice!(0)  コメント(0) 

ワレモコウ(吾亦紅)! [ヘッダー画像]

210820no4.JPG
ワレモコウ(吾亦紅、吾木香、吾妹紅)
2021.08.20撮影
nice!(0)  コメント(0) 

地蔵盆(じぞうぼん)・2021 [かわうそ@暦]

■地蔵盆(じぞうぼん)・2021
 今日、24日は地蔵菩薩(お地蔵様)の縁日です。お地蔵様の縁日は毎月ありますが、お盆の直後の縁日は少々特別で、地蔵盆とよばれる子供を中心とした行事が、主に近畿地方で行われています。現在の地蔵盆は月遅れの盆の後の8/23~25に行われる行事で、元は地蔵会、地蔵祭などと呼ばれる法要でした。地蔵盆には近隣のお地蔵様を洗ったり前掛けを交換したりし、供物や灯明を捧げたりしてこれを供養します。本来は旧暦の7/24の前後に行われる行事でしたが、現在はもっぱら月遅れの行事となって、8/24前後に行われるようになっています。

◇近畿地方で盛んなのは昔から?
 江戸時代、文化年間といいますから西暦でいうと1804~1818年頃に、和学講談所の会頭をつとめていた幕府の御家人、屋代弘賢(やしろ ひろかた)が各地の風俗を調査するために諸国に送った「諸国風俗問状」に対する回答文書の中に、小浜の「地蔵祭り」についての記述があります。これによれば地蔵祭りは、七月二十四日(当時のことなので旧暦の日付)に路傍の石地蔵を仮のお堂に祭っていろいろの供物、様々な作り物をした子供達が集まり鐘を鳴らして「南無地蔵大菩薩」と唱えるものだったそうです。この地蔵祭りの内容を見ると、当時既に現在の地蔵盆とほとんど同じ行事が行われていたようです(「おかしき作り物」とは、最近日本でも広がっているハロウィンの仮装のようなものでしょうか?)。このコーナーでは毎度お世話になっている守貞漫稿にも、

  七月二十四日 大阪諸所地蔵祭
  大阪市中、諸所ののき下等に壇を作り、棚を架し、地蔵を祭る者ははなはだ多し。          
  江戸の稲荷に比すべし。今日、必ず皆これを祭る。

 という記述もあります。また、何で読んだのか忘れてしまいましたが南総里見八犬伝の作者である滝沢馬琴が、この地蔵盆の時期に京都を旅して、夜遅くまで灯明を灯し、六地蔵巡りを行い、また大人達は酒盛りしながら町内問題を話し合ったといった昔の地蔵盆の様子を書き残しています。守貞漫稿の著者、喜田川守貞も滝沢馬琴も共に江戸に暮らした人。江戸で暮らした二人にとっては大阪や京都で行われる地蔵盆は物珍しい行事だったようです。江戸時代生まれではありませんが、現在から半世紀ほど前に東北地方で生まれた私にとっても「地蔵盆」はなじみのない行事ですが、今年は地蔵盆の風習の残る土地に引っ越してきました。実はこの場所には20年ほど昔にも3年ほど暮らしたことがあり、その時には確かに道に面して立っているお地蔵様に沢山の灯明が灯され、日が暮れてから子供達がそのお地蔵様にお参りしている様子を目にしました。初めて目にしたときには「今日はなんかのお祭り?」と不思議に思いながらこの光景を眺めたものでしたが、あれが「地蔵盆」だったんですね。今年も武漢肺炎禍が無ければきっと「現代の地蔵盆」の姿を間近で目にする機会がきっとあったと思うのですが、残念。来年に期待することにします。

◇子供の六地蔵巡り
 「お地蔵様」という呼び方が定着しているお地蔵様は悟りを求めて修行を続ける菩薩のおひとり、「地蔵菩薩」です。でも地蔵菩薩なんて呼ぶよりやはりお地蔵様という呼び名がしっくりくる、他の菩薩様や如来様とは違ってなんだかグッと身近な存在の菩薩様です。お地蔵様は悟りを求め仏になる(成仏する)ために修行しているわけですがその際に立てた誓いは「全ての人々を救い、成仏させるまで自分は決して成仏しない」というものでした。そのため、今も人々を救うために巡り歩き、辻々に「お地蔵様」として立っているという菩薩様です。このような菩薩様ですから弱い者たちにとってはことさら有り難く、身近な救い主と感じられることが、お地蔵様の人々に親しまれる理由でしょうね。お地蔵様が、とげ抜き地蔵、延命地蔵、子育て地蔵などのように苦難を肩代わりしてくれる身代わり地蔵となるのも、人々を救ってくださる菩薩様だからだと思います。さて、地蔵盆には炎天を避けて、日が暮れてから町内のお地蔵様を巡り歩きます。これを六地蔵巡りといい無病息災・延命長寿の御利益があると言われています。六地蔵とは人々が輪廻する六道、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道をそれぞれ巡る地蔵菩薩で、この六地蔵によって全ての人々が救われるわけですから、一年に一度くらいは、きちんとお礼をしないといけませんね。もっとも、現実の六地蔵巡り行事では、子供達は巡り歩く各所でお菓子がもらえるので、延命長寿の御利益より、目の前のお菓子という現世利益の方がありがたいのかもしれません(この辺りも、なんだかハロウィン行事に似てますね)。今年は武漢肺炎禍が長引いておりますので、おそらくは子供たちが六地蔵巡りをする姿を見ることは難しいと思いますが、来年はお菓子を求めて(?)巡り歩く子供達の姿を見ることが出来るようになることを祈ってます(お地蔵様に祈ればいいかな?)。(「2021/08/24 号 (No.5442) 」の抜粋文)

nice!(0)  コメント(0) 

2021-08-24 [twitter投稿]



nice!(0)  コメント(0)