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2021-08-14 [twitter投稿]



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ヒメノカリス ! [ヘッダー画像]

210813no19.JPG
別名:スパイダーリリー
2021.08.13撮影
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七夕と七草 [かわうそ@暦]

■七夕と七草
 本日は旧暦の七月七日(2021/8/14)と言うことで、七夕と繋がりのある話です。その「七夕と繋がりのあるもの」とは何かというと・・・

  秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花
  萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花また藤袴 朝貌の花
   (山上憶良)

 秋になると、思い出すのは秋の七草。それが、七夕と関わりのあるものです。その繋がりとは「七夕」と「七草」で、「七」繋がりなんて結論だったら怒られるでしょうね(私自身は「七」繋がりも、まんざらでも無い気がしているのですが)。一応、もうちょっと繋がりについて考えてみましょう。秋の七草といえば、おそらく多くの人が思い浮かべるのがこの山上憶良の七草ではないでしょうか? 山上憶良のこの歌はとても有名な歌で万葉集の巻八、秋雑歌 1537-1538 に納められている歌です。さて、この有名な秋の七草の歌が収められている万葉集の秋雑歌にはどんなものが納められているかというと・・・沢山有るので、皆さん頑張って読んでみてください・・・では済みませんね。そこで沢山の歌の中で今回の話と関係のあるものを拾い出すと

 1518-1529 山上憶良 七夕歌十二首
  天の川相向き立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き設けな
   (中略)
  天の川浮津の波音騒くなり我が待つ君し舟出すらしも

 1544-1545 湯原王 七夕歌二首
  彦星の思ひますらむ心より見る我れ苦し夜の更けゆけば
  織女の袖継ぐ宵の暁は川瀬の鶴は鳴かずともよし

 1546 市原王 七夕歌一首
  妹がりと我が行く道の川しあればつくめ結ぶと夜ぞ更けにける

 です。一つ(十二首だけど)は秋の七草の歌を詠った山の上の歌。他は別の歌人の歌です。どちらも七夕を題材として取り上げた歌です。秋の七草の歌は、七夕の節供を祝う歌と歌の間に歌われていることが分かります。七夕と言えば「七月七日の七夕」とまず日付が思い浮かぶ行事。これだけ暦の日付と強く結びついた年中行事ですから、行事に感じる季節感は日常の生活に使用される暦の暦日の季節感と強く結びつくものでしょう。このため、七夕をはじめとする五節供は、現在では多くの地域で新暦の日付を用いて祝われることが増えています(仙台七夕のような例外もありますが)。このため、現在は七夕と言えば夏の前半の行事と捉えられるのが一般的だと思われます。こうしたことから、七夕と秋の七草を結びつけるという発想は希薄になっていると思いますが、万葉集に七夕の歌や秋の七草の歌が詠われた時代に使われた暦では、七月七日と言えば秋の初めの時期でしたので、七夕の歌が秋雑歌に入るのは当然。そしてもちろん秋の七草も。もともと節供には、室礼として季節に咲く花などを飾ることが一般的でしたから、七夕の節供にもやはり季節の花が飾られたことと思います。そんなことを考えると、七夕の歌の間に詠まれた秋の七草の歌は七夕の節供を彩る花としてふさわしい花はどれだろう?そうした節供の宴席でのやり取りの間に、憶良が「私ならこうした花を選びます」として、憶良の考えた秋を代表する花々を詠ったものだったのではないでしょうか?現在は、七月七日という七夕の節供の日付故に、七夕の行事が夏の前半の行事と捉えられることが多くなってしまったため、秋の七草との関係が途切れてしまった。私はそんな風に考えています。年中行事には、季節が大切なもの、人間社会での約束事が大切なもの、あるいはお月様の見え方が大切なものなど、それぞれで重視する観点が異なるため、時代が変われば、重視した観点以外の事柄との関連性が失われ、あるいは新たになるといったことが起こっていると思います。「伝統行事」と一言で言いますが、時代時代の変化に対応して生き残った行事が、今の伝統行事。その成り立ちなどたどってゆくと、私たちが今現在目にしている伝統行事姿も違ったものだったのかもと思えてきますね。(「2021/08/14 号 (No.5432) 」の抜粋文)

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