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2021-08-15 [twitter投稿]



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ムクゲ(木槿)! [ヘッダー画像]

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2021.08.13撮影
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「七夕」と「お盆」 [かわうそ@暦]

■「七夕」と「お盆」
 本日は月遅れのお盆ということと、隅掘り隊の六木助隊員が、参考として送ってきてくださった毎日新聞朝刊(2021/8/14)のコラムに触発されて書くことにした話です・・・と書きましたが、実は書き下ろしでは無くて、Webこよみのページの暦と天文の雑学の記事の一部を元にして書きました。大分加筆修正していますけど。さてさて、ひとしきり記事を書くに至った経緯を書いたところで本題に移ることにします。

◇「七夕」という行事の成り立ち
 何度も取り上げてきた七夕ですが、その行事の内容はおおよそ次の3つの行事が習合して出来ているようです。

1.織女星と牽牛星の星伝説(中国からの輸入品)
2.女子の手芸上達を祈る乞巧奠の行事(中国からの輸入品)
3.祖霊を祭る「棚機つ女(たなばたつめ)」の行事(日本の国産品)

 それぞれの行の最後の()に、その内容が輸入されたものか日本生まれのものなのかを示しました。現在、知られている七夕の行事はほとんどが1。2,3と番号が進むにしたがってその認知度は下がっていると思いますが、本日重要なのは認知度が最も低いだろう3についてです。3の棚機つ女の行事は、機織りをして織りあがった布を祖先の霊に捧げるという行事で、中国から星祀りとしての七夕行事が伝わる以前から行われていた古い祭事だったといわれています。この行事で先祖に捧げる布を織る女性を「棚機つ女」と読んだことから、「たなばた」の呼び名が生まれた。(「七夕」で、なぜ「たなばた」と読むのか、昔は悩んだものです)「棚機」に関しては「機」で織った布を「棚」に載せて捧げたからとも、当時の機織り機は棚型の機であったことから「棚機」だともいわれています。なお、布を織る者は禊ぎして身を清め、布を捧げる場所も「水辺」であったといわれます。この辺には「水による穢れ落とし」という習俗が見て取れます。中国から伝わった、織女星伝説の星祀りとしての七夕ですが、それ以前に存在した日本の祭事と融合し「織女→機を織る女性→棚機つ女」というような形で定着していったようです。

◇「七夕」という行事の成り立ち+α
 さて、七夕行事の素となる1~3の行事を掲げ、ここまでに1,3については説明しましたが、2が取り残されてしまいました。しかしこちらも重要。2の乞巧奠行事は手芸上達の行事(機織りの神様、織女のお祭りですから)と書きましたが、この手芸には、文字を書いたり和歌を作るといった女子の習い事全般にも拡張されました。七夕と言えば今でも「短冊に願い事を書いて飾る」のが行事の特徴の一つですが、和歌を詠む際に用いる短冊、そこに文字を書いて祈るといった内容は乞巧奠行事がその元にあります。やがて、宮中行事、貴族の行事であった七夕のような節供行事が庶民にもにも拡がってゆき、江戸時代には寺子屋のような庶民の教育機関(?)が一般化して行くに従って「習字などの手芸の上達を願う」という乞巧奠行事が重みをましました。笹竹に短冊を飾り家の軒下などに飾る習俗も江戸時代に入ってから盛んになりました。

◇「七夕」と「お盆」
 七夕の日付は七月七日。お盆の日付は七月十五日。 (←八月十五日ではありません!)実は、両者の日付は1週間程度の違いしか無いのです。その七夕と盆の行事はどちらも「祖霊を祀る行事」。一方が日本土着の風習と中国伝来の七夕の行事で、一方が仏教由来の行事という違いはありますが内容から見れば非常によく似たもの。そして時期もほぼ一緒。こうなると祖霊を祀る行事を行う者(私たち、祖霊の子孫)にとっては一連の大きな行事の一部と考えても大きな問題はない。それに、旧暦時代の七月は稲作を中心とする日本の農村部においては、比較的田んぼに手のかからなくなる時期で、農閑期でしたから、こうしたお祀りあるいはお祭りをするのには適した時期であったわけです。

◇「七夕」と「お盆」の別れ?
 ここからは、かなり私の憶測が入りますのでそのつもりで。昔々は一連の行事として仲良しの関係にあった「七夕」と「お盆」の間を引き裂いたのが、多分、明治改暦。既に述べたとおり「七夕」は複数の行事が習合して現在の七夕になったと考えられますが、五節供の一つとしての七夕にはもう一つ重要な性質(?)があります。それは七月七日という日付に固定された行事だということ。他の五節供も同様に日付に固定された行事で、現在の他の五節供の状況を見てもやはりこの日付に固定された行事という面は、維持されています。そのため、改暦によって暦が変われば(旧暦から新暦へ)、暦の日付に固定されている七夕の節供も暦の合わせて、その行われる季節が変化してしまいました(いまも「旧暦の日付」を維持する地域もありますが少数派です)。一方、農閑期に行われる祖霊を祀る行事としての「お盆」は暦が変わってもおいそれとは行う季節を変えることは出来ません。農閑期はどうしたって季節と連動しますから。都市部に生活する人も、多くが「祖霊の墓」の有る故郷が田舎にあることを思うと、祖霊を祀る行事を主とするお盆は農村部の農閑期との関係を免れることは出来ないのでしょう。

※ちょっと寄り道
 東京では新暦でお盆を行う地域がありますが、代々東京で生まれ、祖霊の墓も東京にあるよ~という人にとっては、農閑期は関係無いから、東京盆とよばれる、昔からの日付(七月十五日)を旧暦から新暦にそのまま置き換えた行事が根付いたのかもね、なんて思うことがあります。確証はありませんが。(寄り道終わり)

 こうして別れてしまうと、祖霊を祀るという行事の内容はお盆の方に残り、七夕からは、徐々にその要素が薄らいで七夕行事の1,2だけが残ったと考えます。現在の「七夕」と「お盆」の行事から両者の共通性を見いだすのは難しいですね。以上、もう大分前に書いたつもりでいて書いてなかった(少なくともこのコーナーでは)七夕とお盆の関係の話でした。なお、いろいろと引用したWebこよみのページの暦と天文の雑学の七夕の記事は

  七夕(七夕の節供・七夕の節句) http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0728.htm

 に有りますので、お暇があればご覧ください。「七夕」と「お盆」の話は、もう一度真面目に考えて「暦と天文の雑学」にも独立した話として書きたいものだなと書きながら思ったかわうそでした。がんばれるかな・・・(「2021/08/15 号 (No.5433)」の抜粋文)
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