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【深淵に臨んで薄氷を踏むが如し】 [かわうそ@暦]

【深淵に臨んで薄氷を踏むが如し】(しんえんに のぞんで はくひょうを ふむがごとし))

 [詩経小雅小旻「戦戦兢兢、如臨深淵、如履薄氷」]深い淵をのぞきこむ時のように、また薄い氷の上を歩く時のように、こわごわと慎重に行動すること。転じて、危険に直面していることの形容。《広辞苑・第七版》

 論語の中に、詩経のこの言葉を引用している箇所があります。孔子の後継者となった曽子が臨終の床にあるときに弟子達に語りかけた言葉です。

  曽子、疾あり。門弟子を召して曰く、
  予が足を啓け、予が手を啓け。詩に云う、
  戦々兢々として深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如しと。
  而今よりして後、吾免るるかな、小子。

 曽先生が病気で重体に陥られたので、門人達を呼び集めておっしゃられた。夜具をのけて私の足を見よ、手を見よ、どこにも傷はないだろう。親が生んでくれたこの身体を無闇に傷つけることのないように、これまでの年月、深淵に臨むかのように、薄氷を踏むかのように注意して生きてきた。今から後はもうそうした心配から解放される。そうだろう、君たち。曽子は孔子から「参や魯」と評された人物です(「参」は曽子の名前)。「魯」は魯鈍(ろどん)のこと、愚かで鈍いという意味です。先生が弟子を評した言葉と考えるとちょっと酷すぎる気もしますが曽子自身も、自分が他の兄弟弟子達ほど明敏ではないことは自覚していたようで、孔子の教えを自分が独自に発展させようとは思わなかったようです。しかし面白いのは、真面目一途で孔子に魯鈍と評された曽子とその弟子の系統が結局、孔子の学問を世に残すことになったと言うことでしょうか。

 ※孔子 → 曽子 → 子思 → 孟子 という系統。

 曽子が臨終の床で弟子達に、この詩経の「深淵薄氷」を引いて語ったというこの話にしても、親からもらった身体を傷つけないように、いつも気にして戦々兢々として生きてきただなんて、いくら真面目なことだけがとりえだと自分のことを思っていたのだとしても、なんともつまらない、息のつまるような人生じゃないですか。と、論語を最初に通読した二十歳の頃には思ったものです。ですが不思議なことにこの「つまらない話」が頭の中に引っかかったまま、何年たっても記憶の中に残っていました。そして頭の隅っこに残っているこの言葉を思い出すたび、近頃はなにか暖かなものを感じるようになりました。弟子達に傷一つない手足を見せて、「もう安心してあの世へ行けるよ」という言葉に、愚直に生き通した曽子の人柄と、曽子が見続けてきた人生の深淵を垣間見る気がするからでしょうか。臨終の床で「今から後は心配から解放されるよ」と、そんな言葉を残すことがはたして自分に出来るかなんて、考えるようになったからでしょうか。今解ることは、曽子と違って沢山の傷を手足に残している私は、その傷の数以上に親不孝な子であったということだけです。

                          (「2022/12/29 号 (No.5934) 」の抜粋文)
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2022.12.29撮影
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