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2018-09-30 [twitter投稿]



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キキョウ(桔梗)訂正:リンドウでした。 [ヘッダー画像]

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JA直鞍 なのはな畑
撮影日:2018.09.25
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神無月(かんなづき) [かわうそ@暦]

□神無月(かんなづき)
【神無月】(かみなづき)
(神の月の意か。また、八百万(やおよろず)の神々が、この月に出雲大社に集まり他の国にいないゆえと考えられて来た。また、雷のない月の意とも、新穀により酒をかもす醸成月かみなしづきの意ともいわれる)陰暦10月の異称。かみなしづき。かんなづき。神去月(かみさりづき)。《広辞苑》

 気が付けば明日は十月ということで、本日は十月にまつわる話。まるで「コトノハ」のコーナーと見まごうような始まりですが、暦のこぼれ話の方ですからお間違いなく。

  睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走

 一年十二ヶ月の名称には、一月、二月という以外に上に掲げたような呼び名もあります。この名前を和風月名(わふうげつめい)と呼びます。和風月名は古い時代の行事や農事から名付けられたもの、その月の天候の特徴から生まれたもの、出自がはっきりしないものなどなど、その語源は様々。おそらくは文字のない時代から呼び習わされたものがその語源となっているでしょうから、神無月一つをとっても冒頭の広辞苑の説明のように複数の説が並ぶことになります。神無月の語源もまた然りで複数の説があります。一般に流布しているものは、日本国中の神々が出雲に集まってしまって、神様がいなくなってしまうからと言う説です。語源として考えれば、この説は出雲神話が広まってから生まれたものでしょうから、おそらくは後付け的に考えられたものでしょうが、話自体は面白く夢のある説です。この説話が広がったためでしょうか、この「神無月」に関係した面白い言葉がいくつか生まれました。例えば「神の旅」。十月になると出雲へ向かうために神様が旅をするという意味です。神の旅があれば、当然「神送りと神迎え」があります。神送りは九月の晦日。出雲へ旅立つ神様を送り出すと言うこと。十月晦日になれば今度は旅から帰った神を迎える神迎えがあるわけです。今でもそれぞれの日に神送りと神迎えの行事を行っている神社があるそうです。日本全国が「神無月」の時に一つだけ違った呼び名でこの月を呼ぶ場所があります。それは出雲。出雲ではこの月に全国から神様が集まってくるのですから「神無月」ではなくて「神在月(かみありづき)」となります。神有月の出雲では、神様が額を寄せ合いながら「縁結び」の相談。最近はみんな、理想が高くて困るよなんて愚痴を言う神様もいたりして。更にと言いますか、日本全国から神様がみないなくなってしまうと不用心ですから一人だけ留守番として残る神様がいます。この神様は恵比寿様だといわれます。ひとりぼっちで留守番をする可愛そうな恵比寿様を慰めるために、この月には恵比須講が行われる。たった一人大切にされる恵比寿様にとっては、十月は意外に楽しい月かもしれません。一人ニコニコ恵比寿顔?神無月の語源探索は専門の学者さんにまかせるとして、「神無月」の文字を眺めながら、普段忘れがちな八百万の神様の様子を想像して楽しんでみるというのも、暦の楽しみ方の一つかもしれません。(「2018/09/30 号 (No.4383) 」の抜粋文)
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2018-09-29 [twitter投稿]



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コリウスの花 ! [ヘッダー画像]

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福智山ろく花公園
撮影日:2018.09.28
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2018-09-28 [twitter投稿]



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ベゴニア (Begonia) ! [ヘッダー画像]

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福智山ろく花公園
撮影日:2018.09.25
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カレンダーの語源 [かわうそ@暦]

□カレンダーの語源
 「暦のことで、外部から質問が入ってるので、対応してもらえますか?」一応、本業で「暦」(ただし、「こよみ」と読むより「レキ」と読まれることの多い分野)に係っているので、時々こうした問い合わせ対応をすることがあります。多くの場合、計算方法や計算の依頼といったことなのですが、今回はちょっと違っていました。

 「なぜ『暦』のことをカレンダーと呼ぶのですか?」

 うーん・・・暦の話だからってなんでも回してこないで欲しいなと一応はつぶやいて、迷惑そうな顔をしてから、内心は嬉々として答えるかわうそ。案外、こんな話も好きですから。そんなわけで、本日は「カレンダー」にまつわる小話となります。

◇カレンダー
 現在、暦の中でも毎月の日付と曜日が見やすい形にまとめられたものを、カレンダーと呼びます。普段は、辞書を引くまでもない言葉ですが、敢えて辞書を引いてみると

  1.[洋風の]こよみ。七曜表。
  2.年中行事表。calendar   《学研 日本語大辞典より》

 とあります。こうしてみると、現在のカレンダーは単なる日程表としてみられていることが分かります。「誰でも簡単に作れる表」といったところです。今でこそ、誰でも簡単に作れるようになったカレンダーですが、それは現在のように暦が一定の形で完成してからの話であって、それ以前はカレンダー作りは結構大変。人手も時間もかかっていました。その痕跡がカレンダーと云う言葉に残っています。

◇カレンダーは、「叫ぶ」ことから
 ラテン語に[calo]と云う単語があります。意味は、「叫ぶ。呼び集める」という意味だそうです。現在我々が使う「カレンダー(calendar)」と云う言葉はこの[calo]から生まれた言葉だと考えられています。なぜカレンダーと「叫ぶ。呼び集める」が関係するかというとそれは、新月を見つけたことを人々に知らせたからだと云われています。つまり、「新月が見えたぞ!」と叫んで人々に知らせたわけです。ここでちょっと補足ですが、現在の天文学的な「新月」は日食でも起こしてくれない限り「見つける」ことは出来ません。ここで云う新月は「新しい満ち欠けの周期が始まってから見えた最初の月」の意味です。現在で言えば、三日月か、その一日前にまれに見える二日月のことだと考えてください。こうして「新月」が見えたことが知らせられると、この日が暦の上での一月の始まり、「朔日」だと宣言されました。このため古代のローマではこの「朔日」を「カレンダエ(calendae)」と呼び、これが英語の[calendar]の語源となったのです。

◇安息日の日の例外
 宗教意識の希薄な日本人(そうでない方ももちろんいらっしゃるでしょうけれど)には、あまりピンときませんが、ユダヤ教では安息日には人間の日常生活を最小限の行動に留めてその一日を神に捧げるということを厳密に行うそうです。安息日には職業としての仕事はお休み、外出も生きていくために必要なごく狭い範囲に限定されて、その範囲を越えることは許されていなかったとか。分かりやすく言うと、安息日には一丁目に住んでいる人は一丁目の範囲を越えてはいけないといったようなものです。しかし人々の生活に無くてはならないものに関してはいくつか例外も認められておりその一つが、「新月の発見を伝達する者」だったそうです。「新月が見えたぞ」という知らせは、安息日でも行ってよかったのです。

◇今でも目で見る「新月」
 多くの国では現在は新月を計算によって求めています。やはり新月を暦月の始まりとしていた旧暦の時代の日本の暦もこの計算方式の暦で、暦月の区切りを直接月を見て決めていたわけではありません。ところが、イスラム暦などいくつかの暦は今もって「月の初見」をもって暦月の始まりとしています。イスラム教の社会では、特に宗教的な行事に関しては厳密な太陰暦にしたがって行事を行いますので、初めての月が見えるのが何時かは重要。計算でこの日に見えるはずだと分かっていても、実際に肉眼で確認されるまでは、暦月が変わらないのです。もっとも曇りの日などで見えないこともありますから、計算で見えるはずの日から二日以上ずれることが無いように調整はされるそうですが。今では、「月が出たぞ!」と叫んで知らせる人は必要なくなりましたが、それでも暦月の切り替えになる新月の発見を叫んで知らせたと云う歴史が「カレンダー」という言葉の中に残ったという話でした。さて、話のきっかけになった「外部からの問い合わせ」、この話をかいつまんで回答を作ったのですが、質問した方は満足してくれたかな?(「2018/09/28 号 (No.4381)」の抜粋文)

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KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]




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2018-09-27 [twitter投稿]



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