2018-09-02 [twitter投稿]
hippocampus460フェンネルの花 - 絵画風 https://t.co/duo0LAlcoy09/01 16:21 hippocampus460『KAGAYA (@KAGAYA_11949)』hippo@home|https://t.co/eb2ZKKOcWF09/01 23:00 hippocampus460『KAGAYA (@KAGAYA_11949)』hippo@home|https://t.co/CdD3icXtbO09/01 23:01 hippocampus460おはようございます!6時起床、天気 /欠けていく凸月(7時11分、輝面比65%)視認!今日は下弦の月(弓張月)、月齢21.7。月の入:11時56分、月の出:22時55分です(北九州) /今朝の空は雲量の割合が高いが晴れ間有り。… https://t.co/Gfg6qiwBhc09/02 07:20 hippocampus460『【絆】(きずな)』hippo@home|https://t.co/IGtTSAXdO109/02 14:26 hippocampus460『ニチニチソウ(日々草)!』hippo@home|https://t.co/8mKnSuJwgl09/02 16:51 hippocampus460日中は猛残暑、蒸し暑かった!(>_<。) PM2.5のレベルは15(2→15)、AQI:良い /午前中、菜園作業。雨で畝の土が固まったので耕耘機で耕す。その後、マルダイコン(聖護院大根)ナガダイコン(あきしの)、カブ(博多カブ)の… https://t.co/hHE4ddJAVZ09/02 17:09
【絆】(きずな) [かわうそ@暦]
【絆】(きずな)
1.馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱。
梁塵秘抄「御厩(みまや)の隅なる飼ひ猿は絆離れてさぞ遊ぶ」
2.断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛。
平家物語10
「妻子といふものが、・・・生死(しょうじ)に流転(るてん)する絆なるが故に」。
「夫婦の絆」《広辞苑・第六版》
あれ? 広辞苑の語釈には、最近よく使われる「絆」の意味は見当たりません。では最近の意味は? ということでウィキペディアでこの言葉を引いてみると【絆】 絆(きずな、きづな)は、本来は、犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱。しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。「ほだし」、「ほだす」ともいう。人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近である。《https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%86 2018/9/2 版》
現在、「絆」という言葉の意味として使われているのはウィキペディアの説明の最後にある、「人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指す」の意味でしょう。ウィキペディアにもこの意味は比較的最近使われるようになったとあるとおり。「人と人との結びつき」という意味でこの言葉が使われ契機となったのは東日本大震災だったのではないでしょうか。震災から1~2年はキャンペーン的にこの助け合いや支え合いを呼びかける意味でこの言葉が頻繁に使われたことで、新しい意味が定着したように思えます。それまではそれ程頻繁に耳にする言葉ではなかったので、震災直後は「絆」という言葉が新鮮に感じられましたが、あまり沢山使われすぎたためにわずか数年で陳腐化してしまい、なんかこの言葉を使うのが気恥ずかしいように感じるのは私だけでしょうか?陳腐化の効果は、その意味にも影響を与えている気がします。今でも「絆」には「人と人との結びつき、支え合いや助け合い」という意味を感じますが、私にはその意味の前に「ちょっとした」という言葉がついたもののように思えるようになってしまっています。「ちょっとした助け合い」だと悪いのかというと、必ずしもそうではありませんが、軽い気持の「ちょっとした助け合い」が受け手にとっては強い束縛や呪縛に感じられる場合もあります。「人と人との結びつき」という意味で使われるようになった「絆」のもともとの意味は「動物をつなぎ止める綱」でした。「絆」は、つながりであると同時に自由を束縛するものでもあったのです。この言葉に私の感じた二面性のようなものは、「絆」という言葉が生まれた時からこの言葉に内包されていたものだったようです。二つの異なる意味は「絆」という言葉で離れがたく結びつき、この言葉を受け取る人に複雑な思いを抱かせ続けるのではないでしょうか。(「2018/09/02 号 (No.4355) 」の抜粋文)
1.馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱。
梁塵秘抄「御厩(みまや)の隅なる飼ひ猿は絆離れてさぞ遊ぶ」
2.断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛。
平家物語10
「妻子といふものが、・・・生死(しょうじ)に流転(るてん)する絆なるが故に」。
「夫婦の絆」《広辞苑・第六版》
あれ? 広辞苑の語釈には、最近よく使われる「絆」の意味は見当たりません。では最近の意味は? ということでウィキペディアでこの言葉を引いてみると【絆】 絆(きずな、きづな)は、本来は、犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱。しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。「ほだし」、「ほだす」ともいう。人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近である。《https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%86 2018/9/2 版》
現在、「絆」という言葉の意味として使われているのはウィキペディアの説明の最後にある、「人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指す」の意味でしょう。ウィキペディアにもこの意味は比較的最近使われるようになったとあるとおり。「人と人との結びつき」という意味でこの言葉が使われ契機となったのは東日本大震災だったのではないでしょうか。震災から1~2年はキャンペーン的にこの助け合いや支え合いを呼びかける意味でこの言葉が頻繁に使われたことで、新しい意味が定着したように思えます。それまではそれ程頻繁に耳にする言葉ではなかったので、震災直後は「絆」という言葉が新鮮に感じられましたが、あまり沢山使われすぎたためにわずか数年で陳腐化してしまい、なんかこの言葉を使うのが気恥ずかしいように感じるのは私だけでしょうか?陳腐化の効果は、その意味にも影響を与えている気がします。今でも「絆」には「人と人との結びつき、支え合いや助け合い」という意味を感じますが、私にはその意味の前に「ちょっとした」という言葉がついたもののように思えるようになってしまっています。「ちょっとした助け合い」だと悪いのかというと、必ずしもそうではありませんが、軽い気持の「ちょっとした助け合い」が受け手にとっては強い束縛や呪縛に感じられる場合もあります。「人と人との結びつき」という意味で使われるようになった「絆」のもともとの意味は「動物をつなぎ止める綱」でした。「絆」は、つながりであると同時に自由を束縛するものでもあったのです。この言葉に私の感じた二面性のようなものは、「絆」という言葉が生まれた時からこの言葉に内包されていたものだったようです。二つの異なる意味は「絆」という言葉で離れがたく結びつき、この言葉を受け取る人に複雑な思いを抱かせ続けるのではないでしょうか。(「2018/09/02 号 (No.4355) 」の抜粋文)