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2018-09-20 [twitter投稿]



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フヨウ(芙蓉)! [ヘッダー画像]

180912no16.JPG
山口県下関市豊北町 角島
撮影日:2018.09.12
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現代の「秋の彼岸の入り」は早い? [かわうそ@暦]


 本日は、秋の彼岸の入りですので、彼岸の入りの時期について書いてみることにしました。

◇彼岸の入りの日付
 「彼岸の入りの日付」といいながら本当は、「彼岸の入りの時期」についての話です。でも「彼岸の入りの時期」だと、比較がしづらいので「日付」とさせていただき、旧暦時代の暦日は、新暦(グレゴリオ暦)の暦日に当てはめることにしますので、この点はご了解願います。
 さて、彼岸という仏教由来の雑節を暦に記載するようになったのは、日本の中世に長く使われた宣明暦からです。比叡山では彼岸会に談義説法を行っており、この説法を聞きたいがために、都からも人々が旅をして比叡山に集まって来るようになったが、その年の彼岸がいつなのかわからなくて、人々が難儀するという比叡山からの訴えによって、暦に書き加えられるようになったと伝えられています。この宣明暦(とその後の貞享暦)での彼岸の入りは、春分の日、秋分の日から数えて3日目となっていました。この当時の二十四節気は恒気法(平気法ともいう)方式で計算されていましたので、現在の春分、秋分とはちょっとだけ日付が異なり、春分の日は3/23頃、秋分の日は9/21頃でした(現在の、定気法によると、それぞれ3/21頃、9/23頃です)。このように、宣明暦の時代の秋分の日は現在より2日ほど早いのですが、彼岸の入りはこの日から3日目なので、その日付は9/23頃となります。宣明暦、貞享暦の時代が終わって宝暦暦、寛政暦時代になると彼岸の中日は「昼夜等分の日」でないといけないという、不思議な理由から彼岸の時期が変更になりました。昼と夜の長さが同じになる日を中日とするということなので、春の彼岸の中日は春分より前に、秋の彼岸の中日は秋分の日より後になります(日出没は、太陽中心で無く、太陽の上辺を基準として計算するため)。彼岸の入りは彼岸の中日の3日前ですので、この方式で計算すると彼岸の入りは春は3/16頃、秋は9/22頃となります。彼岸の入りの計算タイプは、この宣明暦・貞享暦方式と、宝暦暦・寛政暦方式、そして天保暦・現在の方式の三種類。この三種類の方式での日付を並べて書くと

  宣明暦・貞享暦方式  3/25頃  9/23頃
  宝暦暦・寛政暦方式  3/16頃  9/22頃
  天保暦・現在の方式  3/18頃  9/20頃

 となります。どの日付にも「頃」とついていて、歯切れが悪いこと甚だしいのですが、これは比較に使うグレゴリオ暦の日付の問題もあり1日程度、前後することがあるためですのでご容赦下さい。こうしてみると、秋彼岸の入りの日付は、天保暦以後、現在も使われている方式が最も早い日付となることがわかります(春彼岸は天保暦・寛政暦方式の方が早い)。まあ、早いといっても2~3日ほどの話ですので、重箱の隅を突っついた感じの話ではありますが、こぼれ話ですからね。重箱の隅っこにも、こぼれていたと思ってご容赦ください。(この時期だと、重箱の中身は御萩かな?)(「2018/09/20 号 (No.4373)」の抜粋文)

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