木屋瀬 「宿場踊」七手図 [好きなもの、好きなこと]
2018-09-14 [twitter投稿]
hippocampus460センニチコボウ - 絵画風 https://t.co/xycKgHVFQp09/13 17:15 hippocampus460おはようございます!6時起床、天気 /満ちていく三日月(6時35分、輝面比19%)視認できず。今日は夕月、月齢4.2。月の出:10時25分、月の入:21時34分です(北九州) /今朝の空は一面グレー一色です。福智山も視えません… https://t.co/fe4uoooGzN09/14 06:41 hippocampus460『【片腹痛い】 (かたはら いたい)』hippo@home|https://t.co/CDoz0LybLp09/14 14:17 hippocampus460『ハマゴウ(浜栲)!』hippo@home|https://t.co/N38FY1YMud09/14 16:37 hippocampus460日中、曇り空続く。蒸し暑い!PM2.5のレベルは17(10→17)、AQI:平常 /午前中、雨が降りそうな空模様でしたが花公園に出かける。駐車場、園内、人気がない!園内を回る。ヌスビトハギ、タイワンホトトギス、タマスダレ、ツリガネ… https://t.co/Zo8w3Wp9Zi09/14 17:01
【片腹痛い】 (かたはら いたい) [かわうそ@暦]
【片腹痛い】 (かたはら いたい)
[形]かたはらいた・し(ク)(「傍」のカタハラを片腹の意に誤ったことから起こった語)身のほど知らずな相手の態度を笑いとばす意。笑止である。ちゃんちゃらおかしい。日葡辞書「カタハライタイ」。浄瑠璃、出世景清「腕無しのふりづんばい、かたはらいたし、事をかし」→かたわらいたい《広辞苑・第六版》
今からだと7~8年程も前のことになるでしょうか。辞書を引いていて「片腹痛い」の文字がとびこんできました。目が留ったついでに、この言葉の意味を確認してみようと思い、読んでみてはじめて「傍ら痛い」という言葉があること、「片腹痛い」がこの「傍ら痛い」の「傍ら」を「片腹」に取り違えたところから生まれた言葉であると知りました。今までの人生の大部分の期間を私は、この「片腹痛い」の方だけしか知らなかったのでした。そんな迂闊な者が「コトノハ」などとは、片腹痛いそう笑われても仕方がない。身の程知らずの相手を笑いとばし、それこそ脇腹が痛くなるほど笑うことなのかななんて、そんな風にしか考えていませんでした。脇腹が痛くなるほどというのは笑いすぎかも知れませんが、「片腹痛い」という言葉であれば、この解釈でも間違いとはいえません。とはいえ、やはりはずかしいことには違いがありませんけれど。元となった「傍ら痛い」は、気の毒であるとか、(相手の気持を慮って)傍らにいて辛くなるという意味の言葉。「片腹痛い」とはまるでちがった意味の言葉です。わかっているつもりの言葉でも、たまには辞書でその意味を確かめてみるべきだなと、教えてくれた「片腹痛い」話でした。しかし、「片腹痛い」ではなくて、その元になった「傍ら痛い」という言葉を使ったとしたら、今じゃほとんどその意味が伝わらないと思うのですが、どうでしょう?間違いから生まれた片腹痛いの陰に隠れるようにして、忘れられてしまった(と思う)傍ら痛いという言葉は気の毒ですね。「傍ら痛い」は、こんなときに使えばいいのかな? 違うかな?(「2018/09/14 号 (No.4367) 」の抜粋文)
[形]かたはらいた・し(ク)(「傍」のカタハラを片腹の意に誤ったことから起こった語)身のほど知らずな相手の態度を笑いとばす意。笑止である。ちゃんちゃらおかしい。日葡辞書「カタハライタイ」。浄瑠璃、出世景清「腕無しのふりづんばい、かたはらいたし、事をかし」→かたわらいたい《広辞苑・第六版》
今からだと7~8年程も前のことになるでしょうか。辞書を引いていて「片腹痛い」の文字がとびこんできました。目が留ったついでに、この言葉の意味を確認してみようと思い、読んでみてはじめて「傍ら痛い」という言葉があること、「片腹痛い」がこの「傍ら痛い」の「傍ら」を「片腹」に取り違えたところから生まれた言葉であると知りました。今までの人生の大部分の期間を私は、この「片腹痛い」の方だけしか知らなかったのでした。そんな迂闊な者が「コトノハ」などとは、片腹痛いそう笑われても仕方がない。身の程知らずの相手を笑いとばし、それこそ脇腹が痛くなるほど笑うことなのかななんて、そんな風にしか考えていませんでした。脇腹が痛くなるほどというのは笑いすぎかも知れませんが、「片腹痛い」という言葉であれば、この解釈でも間違いとはいえません。とはいえ、やはりはずかしいことには違いがありませんけれど。元となった「傍ら痛い」は、気の毒であるとか、(相手の気持を慮って)傍らにいて辛くなるという意味の言葉。「片腹痛い」とはまるでちがった意味の言葉です。わかっているつもりの言葉でも、たまには辞書でその意味を確かめてみるべきだなと、教えてくれた「片腹痛い」話でした。しかし、「片腹痛い」ではなくて、その元になった「傍ら痛い」という言葉を使ったとしたら、今じゃほとんどその意味が伝わらないと思うのですが、どうでしょう?間違いから生まれた片腹痛いの陰に隠れるようにして、忘れられてしまった(と思う)傍ら痛いという言葉は気の毒ですね。「傍ら痛い」は、こんなときに使えばいいのかな? 違うかな?(「2018/09/14 号 (No.4367) 」の抜粋文)