2018-09-26 [twitter投稿]
hippocampus460おはようございます!6時半起床、天気 /満月(7時01分、輝面比100%)視認できず。今日は立待月、月齢16.2。月の入:6時51分、月の出:19時06分です(北九州) /今朝の空は雲に覆われているが晴れ間有り。福智山頂も雲の… https://t.co/fHQf4BC83609/26 07:07 hippocampus460タイワンホトトギス - 絵画風 https://t.co/sgN5hFBc5E09/26 07:24 hippocampus460『【ワープロ】と「埋め草の記」』hippo@home|https://t.co/dRbC9dsnnT09/26 13:29 hippocampus460『ヤマジノホトトギス(山路の杜鵑草)!』hippo@home|https://t.co/Nz479pbWIG09/26 16:49 hippocampus460日中も曇り空続く。PM2.5のレベルは7(7→7)変化なし、AQI:良い /午前中、菜園作業。3畝整地して、ホウレンソウ、コマツナ、シュンギク、レタス2種のタネを播く。どれだけ発芽するか、楽しみです。09/26 17:10
【ワープロ】と「埋め草の記」 [かわうそ@暦]
【ワープロ】
ワード - プロセッサーの略。
【ワード プロセッサー】(word processor)
文書作成のための、入出力・記憶・編集・印字などの機能を備えたコンピューター装置。または、同様の機能を持つパーソナルコンピューター用のソフトウェア。ワープロ。 《広辞苑・第六版》
本日は、ワープロの日と言うことで、「ワープロ」という言葉を取り上げてみました。現在ワープロというと「ワープロ・ソフト」という意味で使われると思いますが、一昔前にはワープロといえばハードウェア一体のワードプロセッサー専用機を指していました。日本のワープロの歴史は1978年 9月26日に東芝が JW-10というワードプロセッサを完成させ、即日展示会に出品したことに始まります。完成したワープロの大きさは、机一つ分の大きさ。価格は 630万円。1978年当時の 630万円です。これだけあれば他のものならどれくらいの買い物が出来たでしょうか?一時期はPC +ワープロソフトという汎用機を使用したものよりこのワープロ専用機が広く使われ隆盛を極めました。Rupo(ルポ)、文豪、書院、オアシスなど様々なメーカーの様々なワープロ機が登場しました。ところが気が付くといつの間にか、ワープロ専用機は姿を消し、現在のようにワープロといえばコンピューターの上で動作する一アプリケーションソフトとなってしまいました。私見ですが、ワープロ専用機は「独自の強化機能競争」に陥って、本当に使う側が必要とした使いやすさや、低価格化と違った方向に向かったため、何時しか魅力を失ってしまったように思えます。その絶滅の様はなぜか中生代の地球の王者恐竜が滅びた姿とダブって見えます。さて、皆さんの家にも押し入れや物置で発掘調査を行えば、昔使ったワープロが埃まみれになって出てくるのでは。まるで恐竜の化石が発見されるように。
※最初のワープロ JW-10 https://goo.gl/Kg5O8d
■埋め草の記 (「編集後記」のようなもの)
小学生の頃です。
家の近所で土器のかけらや石器(矢じりなど)が見つかることもあって、古代の人の暮らしにあこがれ(?)て、百科事典や、図書館の本などを読んで子供ながらに、土器や石器を作ってみたことがあります(土器を焼くために冬に田んぼの隅で盛大に火を焚いて、あとで父親にしこたま怒られたりしました・・・)そんな古代人のまね事の一つに、「どんぐりでのパン作り」もありました。何せ、付近には山は沢山ありましたから、材料となるどんぐりは沢山ありましたから。結果からいうと、パン作りは失敗。苦くて、食べるどころではありませんでした。材料としたのがクヌギのどんぐりで苦味が強かったからです。もっと粉にしてから水で晒して苦味を抜くなどしていたらよかったのかもしれませんでしたが、小学生の私は、そこまで知恵が回りませんでした。「苦い思い出」となってしまいました。そんな私の現在の職場は、近くに公園があります。その公園を散歩していると、沢山のマテバシイの木があることに気が付きました。今年の春のことです。一度気がついて、注意しているようになると、公園だけでなく、通勤経路に面した官公庁の敷地にも結構な数のマテバシイが植えられていました。あれから半年。現在、季節は秋。秋になってみると気になるのは、マテバシイのどんぐりのこと。マテバシイは結構大きなどんぐりを付ける木なのです。こんなに木があるなら、どんぐりも落ちているのではと思っていたのですが公園管理が行き届いているのか、なかなか落ちているどんぐりを見つけることが出来ずにいたのですが、ようやく本日、1個目のどんぐりを発見。もちろん拾ってきました。やはり、大きい。拾ったのは公園ではなくて、歩道の上。どこかの役所の敷地から顔をだしていた木の枝からこぼれ落ちたもののようです。1つ見つかれば、あとはまた・・・。なぜ私がこのどんぐりの実に執着しているのかというと、とある樹木の図鑑を眺めていたら、「マテバシイのどんぐりは美味しい」とあったからです。この説明を読んだのが春。それから半年が経過して、ようやく確かめるチャンスがめぐってきたというわけです。「炒るとふかしたイモのような味」と件の図鑑には書かれていました。さすがにまだ1個では試してみる気にはなりませんが、これからは注意して2個、3個と集めて、程々の数がたまったら、試してみたい。上手くいけば、少年時代の「苦い思い出」を払拭できるかも。そんなことを思いながら歩くと、通勤時間も楽しい時間に早変わり。ああ、明日は何個、どんぐりを見つけられるかな?(「2018/09/26 号 (No.4379)」の抜粋文)
ワード - プロセッサーの略。
【ワード プロセッサー】(word processor)
文書作成のための、入出力・記憶・編集・印字などの機能を備えたコンピューター装置。または、同様の機能を持つパーソナルコンピューター用のソフトウェア。ワープロ。 《広辞苑・第六版》
本日は、ワープロの日と言うことで、「ワープロ」という言葉を取り上げてみました。現在ワープロというと「ワープロ・ソフト」という意味で使われると思いますが、一昔前にはワープロといえばハードウェア一体のワードプロセッサー専用機を指していました。日本のワープロの歴史は1978年 9月26日に東芝が JW-10というワードプロセッサを完成させ、即日展示会に出品したことに始まります。完成したワープロの大きさは、机一つ分の大きさ。価格は 630万円。1978年当時の 630万円です。これだけあれば他のものならどれくらいの買い物が出来たでしょうか?一時期はPC +ワープロソフトという汎用機を使用したものよりこのワープロ専用機が広く使われ隆盛を極めました。Rupo(ルポ)、文豪、書院、オアシスなど様々なメーカーの様々なワープロ機が登場しました。ところが気が付くといつの間にか、ワープロ専用機は姿を消し、現在のようにワープロといえばコンピューターの上で動作する一アプリケーションソフトとなってしまいました。私見ですが、ワープロ専用機は「独自の強化機能競争」に陥って、本当に使う側が必要とした使いやすさや、低価格化と違った方向に向かったため、何時しか魅力を失ってしまったように思えます。その絶滅の様はなぜか中生代の地球の王者恐竜が滅びた姿とダブって見えます。さて、皆さんの家にも押し入れや物置で発掘調査を行えば、昔使ったワープロが埃まみれになって出てくるのでは。まるで恐竜の化石が発見されるように。
※最初のワープロ JW-10 https://goo.gl/Kg5O8d
■埋め草の記 (「編集後記」のようなもの)
小学生の頃です。
家の近所で土器のかけらや石器(矢じりなど)が見つかることもあって、古代の人の暮らしにあこがれ(?)て、百科事典や、図書館の本などを読んで子供ながらに、土器や石器を作ってみたことがあります(土器を焼くために冬に田んぼの隅で盛大に火を焚いて、あとで父親にしこたま怒られたりしました・・・)そんな古代人のまね事の一つに、「どんぐりでのパン作り」もありました。何せ、付近には山は沢山ありましたから、材料となるどんぐりは沢山ありましたから。結果からいうと、パン作りは失敗。苦くて、食べるどころではありませんでした。材料としたのがクヌギのどんぐりで苦味が強かったからです。もっと粉にしてから水で晒して苦味を抜くなどしていたらよかったのかもしれませんでしたが、小学生の私は、そこまで知恵が回りませんでした。「苦い思い出」となってしまいました。そんな私の現在の職場は、近くに公園があります。その公園を散歩していると、沢山のマテバシイの木があることに気が付きました。今年の春のことです。一度気がついて、注意しているようになると、公園だけでなく、通勤経路に面した官公庁の敷地にも結構な数のマテバシイが植えられていました。あれから半年。現在、季節は秋。秋になってみると気になるのは、マテバシイのどんぐりのこと。マテバシイは結構大きなどんぐりを付ける木なのです。こんなに木があるなら、どんぐりも落ちているのではと思っていたのですが公園管理が行き届いているのか、なかなか落ちているどんぐりを見つけることが出来ずにいたのですが、ようやく本日、1個目のどんぐりを発見。もちろん拾ってきました。やはり、大きい。拾ったのは公園ではなくて、歩道の上。どこかの役所の敷地から顔をだしていた木の枝からこぼれ落ちたもののようです。1つ見つかれば、あとはまた・・・。なぜ私がこのどんぐりの実に執着しているのかというと、とある樹木の図鑑を眺めていたら、「マテバシイのどんぐりは美味しい」とあったからです。この説明を読んだのが春。それから半年が経過して、ようやく確かめるチャンスがめぐってきたというわけです。「炒るとふかしたイモのような味」と件の図鑑には書かれていました。さすがにまだ1個では試してみる気にはなりませんが、これからは注意して2個、3個と集めて、程々の数がたまったら、試してみたい。上手くいけば、少年時代の「苦い思い出」を払拭できるかも。そんなことを思いながら歩くと、通勤時間も楽しい時間に早変わり。ああ、明日は何個、どんぐりを見つけられるかな?(「2018/09/26 号 (No.4379)」の抜粋文)