ジュウガツザクラとフユザクラ [好きなもの、好きなこと]
2018-10-27 [twitter投稿]
hippocampus460コーレア - 絵画風 https://t.co/LznsGstVYR10/26 17:47 hippocampus460おはようございます!6時半起床、天気 /欠けていく凸月(7時17分、輝面比95%)視認!今日は寝待月、月齢17.8。月の入:8時45分、月の出:19時35分です(北九州) /今朝の空は雲が在るものの概ね晴れ!西空にお月さん!、… https://t.co/rre4aDIwq710/27 07:22 hippocampus460『【団栗の背競べ】(どんぐりのせいくらべ)』hippo@home|https://t.co/kA80ZRwtWy10/27 08:41 hippocampus460『カンボタン(寒牡丹)!』hippo@home|https://t.co/hBZbpvDQmu10/27 15:25 hippocampus460日中は良い天気に恵まれる。が、風が強かった!PM2.5のレベルは11(13→11)、AQI:良い /午前中、菜園作業。1畝にグリーンピース、ツタンカーメンの豌豆、スナップ豌豆を播く。猫除けのためネットを張る。最後の植え付けはソラマ… https://t.co/ByvWsNlHTY10/27 15:45
【団栗の背競べ】(どんぐりのせいくらべ) [かわうそ@暦]
【団栗の背競べ】(どんぐりのせいくらべ)
どれもこれも似たようなもので、大したものではないこと。また、大きなちがいはないこと。《広辞苑・第六版》
「ドングリの木」という種類の木があると思っていました。その「ドングリ」という種類の木に生る実がドングリの実だと思っていたのです。「ドングリの木」と思っていた木がクヌギと呼ばれる木だと知ったときにもドングリはクヌギの異称くらいに思っていました。でもクヌギ以外の木、例えばカシやナラの木に生る実も、「ドングリ」だというのを知って、驚いたことを覚えています。私からすると、形は似ていても小振りのカシの木の実などはドングリの仲間には入らないと思っていたからです。そして知ったのが、ドングリ(団栗)はクヌギやカシやナラといった木に生る実の俗称だったということです。つまりドングリという種類の木があるわけではなかったのです。こんなあたりまえのことを知るまで、私は20年くらいかかってしまいました。昔から、ぼんやり暮らしていたんですね。
◇ドングリ独楽
形状やその質感から考えると、私がドングリとは思わなかったカシの木の実も確かにドングリなのですが、どうしてもそう思えないのは形ではなくて大きさの違いによるものです。私にとっては、ドングリの価値はその大きさにあったから。子供の頃に学校の行き帰りに拾って帰るドングリは、大きくてずんぐりしたものが多かったように思います。理由は簡単。そうしたドングリがドングリ独楽にするのに適していたからです。大きなドングリを集めては、家に帰って錐でドングリに穴を開け、その穴に爪楊枝や竹ひごを刺して独楽にし、これを回して遊ぶのが好きでした。私にとってのドングリの価値が大きさにあり、ずんぐりしたものを好んだのも、少しでも長く回り続けるドングリ独楽を作ることが出来るものこそよい「ドングリ」だったからでしょう。ドングリの価値は、よいドングリ独楽が出来ることで決まるとすると、小さなカシの木のドングリはドングリじゃなかったわけです。
◇「同じようなもの」じゃないけど?
よいドングリ独楽を作るために、いろいろなドングリを見比べていた子供の私には、「団栗の背競べ」という言葉の意味は分からなかったと思います。だって、ドングリの実はどれ一つとして同じではなく、同じ木の同じ枝に生ったドングリでさえ、一つ一つ違っていて、似てなんかいなかったから。千差万別といえるほど様々な形や大きさのあるドングリを「どれもこれも似たようなもの」だの、「大したことのないもの」だというのは、それをいうものに見る目の無いことを物語っているだけだと思います。いくつものドングリを並べて背競べをさせたら、「どれもこれも同じようなもの」なんて簡単にいうことができないことに気づくはずです。私達だって、多分団栗の背競べ。でも、人それぞれに違いがあって、それぞれに特徴があります。それに気が付くかどうかは、どれくらい真剣にそれを見ているかという見る側の問題なんです。そうそう、子供の頃にはドングリの評価基準が独楽に適するか否かであった私ですが、大人になって、それ以外の評価基準が出来ました。それは、食べたら美味しいか?です。職場への行き帰りの道で拾ったマテバシイの大きなドングリが、どうやら炒ったら美味しいらしいことを知ったからです。それを知ってから、気になって拾い集めたドングリが30個くらいになりましたので、この週末はそろそろ、その味を試してみようかと。齢50を過ぎて、ドングリの新しい面を知る楽しみ。うん、私も成長したものだ・・・違うかな?(「2018/10/27 号 (No.4410)」の抜粋文)
どれもこれも似たようなもので、大したものではないこと。また、大きなちがいはないこと。《広辞苑・第六版》
「ドングリの木」という種類の木があると思っていました。その「ドングリ」という種類の木に生る実がドングリの実だと思っていたのです。「ドングリの木」と思っていた木がクヌギと呼ばれる木だと知ったときにもドングリはクヌギの異称くらいに思っていました。でもクヌギ以外の木、例えばカシやナラの木に生る実も、「ドングリ」だというのを知って、驚いたことを覚えています。私からすると、形は似ていても小振りのカシの木の実などはドングリの仲間には入らないと思っていたからです。そして知ったのが、ドングリ(団栗)はクヌギやカシやナラといった木に生る実の俗称だったということです。つまりドングリという種類の木があるわけではなかったのです。こんなあたりまえのことを知るまで、私は20年くらいかかってしまいました。昔から、ぼんやり暮らしていたんですね。
◇ドングリ独楽
形状やその質感から考えると、私がドングリとは思わなかったカシの木の実も確かにドングリなのですが、どうしてもそう思えないのは形ではなくて大きさの違いによるものです。私にとっては、ドングリの価値はその大きさにあったから。子供の頃に学校の行き帰りに拾って帰るドングリは、大きくてずんぐりしたものが多かったように思います。理由は簡単。そうしたドングリがドングリ独楽にするのに適していたからです。大きなドングリを集めては、家に帰って錐でドングリに穴を開け、その穴に爪楊枝や竹ひごを刺して独楽にし、これを回して遊ぶのが好きでした。私にとってのドングリの価値が大きさにあり、ずんぐりしたものを好んだのも、少しでも長く回り続けるドングリ独楽を作ることが出来るものこそよい「ドングリ」だったからでしょう。ドングリの価値は、よいドングリ独楽が出来ることで決まるとすると、小さなカシの木のドングリはドングリじゃなかったわけです。
◇「同じようなもの」じゃないけど?
よいドングリ独楽を作るために、いろいろなドングリを見比べていた子供の私には、「団栗の背競べ」という言葉の意味は分からなかったと思います。だって、ドングリの実はどれ一つとして同じではなく、同じ木の同じ枝に生ったドングリでさえ、一つ一つ違っていて、似てなんかいなかったから。千差万別といえるほど様々な形や大きさのあるドングリを「どれもこれも似たようなもの」だの、「大したことのないもの」だというのは、それをいうものに見る目の無いことを物語っているだけだと思います。いくつものドングリを並べて背競べをさせたら、「どれもこれも同じようなもの」なんて簡単にいうことができないことに気づくはずです。私達だって、多分団栗の背競べ。でも、人それぞれに違いがあって、それぞれに特徴があります。それに気が付くかどうかは、どれくらい真剣にそれを見ているかという見る側の問題なんです。そうそう、子供の頃にはドングリの評価基準が独楽に適するか否かであった私ですが、大人になって、それ以外の評価基準が出来ました。それは、食べたら美味しいか?です。職場への行き帰りの道で拾ったマテバシイの大きなドングリが、どうやら炒ったら美味しいらしいことを知ったからです。それを知ってから、気になって拾い集めたドングリが30個くらいになりましたので、この週末はそろそろ、その味を試してみようかと。齢50を過ぎて、ドングリの新しい面を知る楽しみ。うん、私も成長したものだ・・・違うかな?(「2018/10/27 号 (No.4410)」の抜粋文)
2018-10-26 [twitter投稿]
hippocampus460返り咲き!、ボケ - 絵画風 https://t.co/MSAoFO9M7H10/25 17:09 hippocampus460『KAGAYA (@KAGAYA_11949)』hippo@home|https://t.co/XmCdMr648W10/25 20:46 hippocampus460おはようございます!6時半起床、天気 /ほぼ満月(6時55分、輝面比99%)視認!今日は居待月、月齢16.8。月の入:7時41分、月の出:18時52分です(北九州) /今朝の空は雲が在るものの概ね晴れ!西空にお月さん!東空にお… https://t.co/Q13Ra8vo4O10/26 07:04 hippocampus460『【暈】(かさ)』hippo@home|https://t.co/AUCKAZMMhY10/26 12:30 hippocampus460『コーレア(クリスマスベル)!』hippo@home|https://t.co/hI7hMpfwZE10/26 17:25 hippocampus460日中は曇のち雨。PM2.5のレベルは27(10→27)、AQI:平常 /午前中、家内のアッシー君で出かけ、降ろした後、花公園に向かう。空模様が怪しくなったので急ぎ、園内を回る。フユザクラ、フユイチゴを撮る(*^_^*) 茶店で常連さんと談笑して帰宅する。10/26 17:42
【暈】(かさ) [かわうそ@暦]
【暈】(かさ)
〔天〕(halo)太陽または月の周囲に見える光の輪。光が、微細な氷の結晶から成る雲で反射・屈折を受ける結果生じる。広義には光冠をも含む。うん(暈)。光環。ハロー。「月に暈がかかる」《広辞苑・第六版》
太陽や月の周りに、ほんのりと色づいた光の環が見えることがあります。この光の環のことを暈といいます。太陽や月の周りに出来る光の環なので、「光環(こうかん)」と呼ばれることもあります。この現象は、空の高いところに巻層雲などの氷の粒(氷晶)で出来た薄い雲がある場合に見られる現象です。時としてこの暈は大小二つ見えることがあります。この二つの暈はそれぞれ
内暈(うちがさ) ・・・ 22度
外暈(そとがさ) ・・・ 46度
と呼ばれます。説明のついでに後ろに書き入れた角度は、それぞれの暈の見かけの半径の角度です。太陽や月を中心としてこの角度だけ離れた円弧を描くのが暈の特徴です。この暈は「ほんのりと色づいた」と書いたとおりよく見ると内側が赤、外側が青味を帯びて見えるはずです。このことから分かるとおり、暈は高層の雲の氷晶がプリズムの役割を果たし、太陽や月の光を屈折させることによって見える現象です。虹の仲間といってもよいでしょう。
◇月に雨笠日笠なし
「つきにあまがさ ひがさなし」という諺があります。月に暈がかかると次の日には雨が降るという意味です。「暈」がかかると翌日は雨笠はいるが日笠はいらないということでしょう。太陽や月に暈は空の高いところに巻層雲などがある場合に出来ると書きました。こうした雲が現れるのは天気の崩れる前兆でもありますから、月に暈がかかって見えるなら翌日は雨というわけです。私も、「月に暈がかかったら明日は雨だ」と両親から教えられた憶えがあります。もっとも子供の頃にこの話を聞いたときには「月に暈」は「月に傘」だと単純に思っていましたから、お月様が傘をさした翌日は自分も傘をさすのかと単純に思っていました。ちなみに「暈」は「ぼかす」の意味(このとおり「ぼかす」とも読みます)で、子供の頃の私が想像したお月様の「傘」では無かったようです。(「2018/10/26 号 (No.4409)」の抜粋文)
〔天〕(halo)太陽または月の周囲に見える光の輪。光が、微細な氷の結晶から成る雲で反射・屈折を受ける結果生じる。広義には光冠をも含む。うん(暈)。光環。ハロー。「月に暈がかかる」《広辞苑・第六版》
太陽や月の周りに、ほんのりと色づいた光の環が見えることがあります。この光の環のことを暈といいます。太陽や月の周りに出来る光の環なので、「光環(こうかん)」と呼ばれることもあります。この現象は、空の高いところに巻層雲などの氷の粒(氷晶)で出来た薄い雲がある場合に見られる現象です。時としてこの暈は大小二つ見えることがあります。この二つの暈はそれぞれ
内暈(うちがさ) ・・・ 22度
外暈(そとがさ) ・・・ 46度
と呼ばれます。説明のついでに後ろに書き入れた角度は、それぞれの暈の見かけの半径の角度です。太陽や月を中心としてこの角度だけ離れた円弧を描くのが暈の特徴です。この暈は「ほんのりと色づいた」と書いたとおりよく見ると内側が赤、外側が青味を帯びて見えるはずです。このことから分かるとおり、暈は高層の雲の氷晶がプリズムの役割を果たし、太陽や月の光を屈折させることによって見える現象です。虹の仲間といってもよいでしょう。
◇月に雨笠日笠なし
「つきにあまがさ ひがさなし」という諺があります。月に暈がかかると次の日には雨が降るという意味です。「暈」がかかると翌日は雨笠はいるが日笠はいらないということでしょう。太陽や月に暈は空の高いところに巻層雲などがある場合に出来ると書きました。こうした雲が現れるのは天気の崩れる前兆でもありますから、月に暈がかかって見えるなら翌日は雨というわけです。私も、「月に暈がかかったら明日は雨だ」と両親から教えられた憶えがあります。もっとも子供の頃にこの話を聞いたときには「月に暈」は「月に傘」だと単純に思っていましたから、お月様が傘をさした翌日は自分も傘をさすのかと単純に思っていました。ちなみに「暈」は「ぼかす」の意味(このとおり「ぼかす」とも読みます)で、子供の頃の私が想像したお月様の「傘」では無かったようです。(「2018/10/26 号 (No.4409)」の抜粋文)
KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]
空をご覧ください。
— KAGAYA (@KAGAYA_11949) 2018年10月25日
東に立待月(たちまちづき)が昇りました。
満月の瞬間から約18時間が経ち、双眼鏡などで見ると右上の方が少しだけ欠けているのがわかります。
写真は今望遠鏡を使って撮影したものです。 pic.twitter.com/SJ0YKOKmDx
2018-10-25 [twitter投稿]
hippocampus460アキノタムラソウ - 絵画風 https://t.co/g4HZXoswih10/25 17:10 hippocampus460おはようございます!6時半起床、天気 /満月(7時06分、100%)視認できず。今日は立待月、月齢15.8。月の入:6時39分、月の出:18時13分です(北九州) /今朝の空は少し霞んでいるが晴れ。お日さんが眩しい!PM2.5… https://t.co/YWfYPFKqIQ10/25 07:13 hippocampus460『KAGAYA work (@kagaya_work)』hippo@home|https://t.co/segG2JRsna10/25 07:17 hippocampus460『KAGAYA work (@kagaya_work)』hippo@home|https://t.co/r0NPdAqsP310/25 07:18 hippocampus460『明日(10/25)の夜空に見える月は【満月】です』hippo@home|https://t.co/QmLOh4uT1A10/25 11:55 hippocampus460『返り咲き!、ボケ(木瓜)』hippo@home|https://t.co/h4hTAdEM2M10/25 16:09 hippocampus460日中は良い天気に恵まれる。PM2.5のレベルは18(16→18)、AQI:平常 /午前中、菜園作業。レタスの移植とキャベツ、ハクサイ、ブロッコリー、カリフラワーの畝、除草して土寄せをする。シャツ一枚で作業したが少し汗ばむ。吹く風が… https://t.co/UnqIJez92e10/25 16:28