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2019-02-03 [twitter投稿]



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レウィシア ! [ヘッダー画像]

190201no30.JPG
JA直鞍 なのはなガーデン
撮影日:2019.02.01
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節分は異界と繋がる日? [かわうそ@暦]

■節分は異界と繋がる日?
 今日は節分。既に何度も書いているとおり、本来節分は四季それぞれにあって、立春、立夏、立秋、立冬の前日が節分となるのですが、現在、節分と言えばもっぱら立春前の節分を指すようになっています。立春は四季の巡りの始まりの日と考えられますので、そう考えると立春が一年の始まり、ということは、その前日の節分は古い一年の終わりの日とも捉えられるので、立春とその前日の節分は年越しのような特別な意味があって特に重要と考えられたのでしょう。

◇一年の区切りに現れる魔(?)物
 節分の行事といえば思い出されるのは豆撒き。「鬼は外、福は内」の声とともに、豆を撃ち、鬼(邪気)を祓う行事です。この鬼追い行事は、中国から伝わった追儺(ついな)と呼ばれる、厄神などの悪鬼を追い払う行事で、もともとは大晦日に行われた行事でしたが、日本では春迎えの行事などと混交して、立春前の節分に行われるようになっています。追われる鬼は、旧い年の象徴。日本においては旧い季節、ここで云えば冬の気の象徴であって、冬の気を追い払い、春という季節を迎え入れるという意味があるのでしょう。それは解るのですが、この日に登場する「鬼」というこの世のものではないものが、なぜ登場するのかななんて考えていると、他所の国の行事にも似たようなものがあるなと気が付きました。ここで思い浮かんだ、他所の国の行事というのは、ハロウィンのことです。ハロウィンの行事は、10/31 が夏の終わりの日であり、かつ一年の終わりの日と考えていたケルトの人々の祭りが起源です。季節の終わり、一年の終わりという意味では、「節分」そのものです。ケルトの人々は、この季節の変わり目、一年の変わり目の日には、普段は厳然と切り離されている人間の世界と神や悪霊の世界の境界が曖昧となって、異なる世界に属するものが跳梁跋扈する、それがハロウィンの夜なのだと考えたわけです。季節の変わり目、一年の変わり目である日に、目に見えるはずのない悪鬼の姿が具現化し、これを人々が追い払うという日本の節分の行事とハロウィンと、なんだか似ています。さすがに、ハロウィンと節分の鬼追いの行事が同じルーツを持つとは考えませんが、季節の変化とともに生きてゆく人間ということでは、ケルトの人々も日本人も同じ。洋の東西が違い、文化も違う両者ですが、やはり通じるところはあるのかなと思わずにはいられません。

◇もう一つおまけ・・・「夏越の祓」と「釜蓋朔日」
 似ているなという話のついでにもう一つ、なんだか似ている話です。季節の区切りであり、一年の区切りの一つということで考えると、日本には「夏越の祓(なごしの はらえ)」という行事があります。これは、一年の上半期の終わり、六月の晦日に行われる行事で、半年間にたまった穢れを払い、次の半年を迎える行事です。また、六月(旧暦)は夏の終わりで、疫病などの発生する頻度の高い夏の終わりに、疫神を祓うという意味もあります。また、夏越の祓の翌日、七月の一日は「釜蓋朔日(かまぶた ついたち)」といって、地獄の釜の蓋が開き、亡くなった人々の霊が人間の世界に戻ってくる(そして半月の長旅の末、お盆(七月十五日)に子孫を尋ねる)日だとされています。夏越の祓の行事や釜蓋朔日(とそれに連なる盆の行事)も、季節の区切りや一年の区切りの日といった特別な日は、普段は厳然と区別されている神々の世界や、冥界と人間の世界が繋がりまじりあう不思議な日と考えた人々が生み出した行事のようです。特別な日には、何か特別な、不思議なことが起こるはず。人間はそんな風に考える生き物なのかもしれませんね。さてさて、旧い四季と新しい四季の境目となる今日の節分、皆様の目に映る異界の物(者)はどんな姿をしているのでしょうか?(「2019/02/03 号 (No.4509) 」の抜粋文)

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