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明日(2/1)の明け方の東の空に昇る月は【二十六夜の月】です [かわうそ@暦]

◆明日(2/1)の明け方の東の空に昇る月は【二十六夜の月】。
明け方の空に見える月であることから「有明の月」、古代の美人画の眉のように細い月であることから「眉月」とも呼ばれます。この月の後は新月の時期となり、しばらく月はその姿を隠します。

◆お月様の基礎データ
・月齢: 25.1 (1/31 の正午の値)
・月出:2/1 3時50分 月没:2/1 13時59分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):2/1 8時56分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 400300 km (平均距離の 1.04倍)。

 月は平均より 15900km遠く、見かけの大きさはいつもより少し小さいです。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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2019-01-31 [twitter投稿]



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ユリオプス・ゴールデンクラッカー ! [ヘッダー画像]

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JA直鞍 なのはなガーデン
撮影日:2019.01.29
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31日ですが「晦日」の話 [かわうそ@暦]

□31日ですが「晦日」の話
 今日は1/31。1月最後の日ということで、晦日の話をいたします。

◇晦日は「みそか」
 晦日は、「みそか」と読みます、月のおしまいの日を表す言葉です。晦日と書いて「みそか」とは不思議な読み方ですが、こう呼ばれるようになったのは、「みそか」の語源が「三十日」だとわかれば頷けます。新暦では、月の終わりの日は30日か31日、あるいは28日か29日。合計 4通りの日付となりますので月の終わりの日は必ずしも「三十日」ではありませんが、月の終わりの日を「みそか」と呼ぶようになった時代使われていた暦、現在、一般に旧暦と呼ばれるようになった暦では、月の終わりの日付は29日か30日の二通りしかありませんでした。まあ、二通りしかといっても、二通りあたわけで、必ずしも月末の日が30日ではなかったのですが、それでも仮に「三十日」という日があれば、それは間違いなく月末の日でしたから、

  三十日 → みそか → 月のおしまいの日

 ということになり、日付が29日までしかない小の月であっても月の終わりの日は「みそか」と呼ばれるようになっていったのでしょう。

◇晦日は月のない日
 晦日の読み、「みそか」については今述べたとおりですが、晦日には「つごもり」という別の読み方もあります。「つごもり」は「月籠り」を意味する言葉。こちらの読みが生まれたのも旧暦時代のこと。ご承知の通り現在旧暦と呼んでいる暦は、月の満ち欠けによって暦月を区切る太陰太陽暦の一種で、月の終わりの日は新月の直前の日であって、月を見ることは出来ませんでした(厳密にはそうでない場合もあります)から、月の終わりの日は、月がどこかに籠もってその姿を見せない日、つごもりの日だったのです。「晦」という文字は、「くらます」とか「くらい」という意味があります。月(暦月)の終わりの日には月がどこかに姿を「くらまし」ていて、月が姿をくらましているから夜は「くらい」。単に暦月の最後の日なんて呼び方より、「晦日」「みそか」「つごもり」と呼んだり書いたりした方が、なんだか暦や言葉の成り立ちを感じられてよいですね(あくまでも個人的見解)。

◇「晦日」の寿命は?
 新暦にあっては月末でも月が姿をくらまして夜が暗いと決っていませんし、また「三十日」であっても月の最後の日とは限らないので、「晦日」という言葉もいずれはなくなってしまうかもしれません。
 さてさて、「晦日」の命数は後どれくらい残っているのでしょうか?でも、天保暦が廃止されて太陽暦に移行したときには、早晩、この古い暦は使われなくなるだろうと思われたでしょうけれど、気が付いたら150年経ってもまだ、何かというと旧暦が顔を出すことを思うと、「晦日」という言葉も、案外しぶとく、命脈を保つかもしれませんね?(「2019/01/31 号 (No.4506) 」の抜粋文)
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2019-01-30 [twitter投稿]



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コエビソウ(ベロベロネ)! [ヘッダー画像]

190114no54.JPG
響灘緑地(北九州市若松区)
撮影日:2019.01.11
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鶏始めてとやにつく? [かわうそ@暦]

□鶏始めてとやにつく?
 今日(2019/01/30)から七十二候(しちじゅうにこう)の最後となる大寒の末候、「鶏とやにつく」に入りました。「鶏始めてとやにつく、どんな意味ですか?」七十二候は二十四節気を更に、初候・次候・末候と分けたもので細かく風物によって季節を細かく分けたものですが、中にはその意味がわかりにくいものがいくつかあります。今回取り上げた、「鶏始めてとやにつく」も意味のよくわからないものの一つですね。「鶏とやにつく」ってどんな意味なんでしょう。

◇七十二候とは
 今さらながらとも思いますが、お読みくださっている方の中には初めて読むという方もいらっしゃることと思いますので、まずはざっと七十二候について説明をさせて頂きます。七十二候は元々は中国で生まれたものですが、日本に入ってからはそのままでは日本の季節や風土に合わない言葉が多かったため、日本独自に作り直されています。日本で作り直された七十二候を、それがはっきり解るように本朝 七十二候と区別して呼ぶことがあります。二十四節気の一つ一つの期間は約15日(この期間を「気」といいます)。七十二候は二十四節気のこの「気」を更に三分割したものです。約15日の二十四節気の一気を更に三分割していますから、一つ一つの候の期間は 5日程。ここまで細かくしてしまうと、年ごとの寒暖の差などのほうが影響が大きくなってしまって、果たして役に立つのだろうかとちょっと心配になってしまいますが、その辺の悩みはひとまず置いて、「鶏とやにつく」の言葉の意味の話題に戻ります。この語が取り入れられたのは、日本独自の暦である貞享暦から。それ以前に使われていた宣明暦(中国から輸入された暦法)までは

  水沢腹堅 (すいたく あつくかたし)

 でした。実は「鶏とやにつく」のもととなった言葉は宣明暦にもありましたが、これは別の候(大寒の初候)に使われていて、次のような文字が使われていました。

  宣明暦大寒初候 雞始乳 (にわとり はじめてにゅうす)

 意味は、

  「鶏が春の気を感じて交尾し、卵を産み始める時期」

 という意味です。貞享暦での文字はというと「鶏始乳(にわとりはじめてにゅうす)」ですが、「にゅうす」では音から意味がとれないためか、のちに此を「にわとりはじめてとやにつく」と読むようになりました。ここで、「とやにつく」は「鳥屋につく」の意味でしょう。鳥が産卵のために巣に籠もると云う意味です。漢字の意味から意訳的に読み下したと云うところです。

  鶏始めて鳥屋につく

 とした方が解りやすかったですね。でも「鳥屋につく」という言葉が「産卵のために巣に籠もる」とう意味だというのも、あまり一般的とは言いかねる気がしますけど(少なくとも現代では)。七十二候には同じ様にというか、更にと云うか不思議な言葉が沢山ありますので、機会があればまた、不思議な七十二候の言葉を取り上げてみたいと思います。とにかく、今日から始まる「鶏始めてとやにつく」の期間を過ぎると七十二候も新しいサイクルに入ります。ああ、春はそこまで来ているんですね(暦の上ではですけれど)。(「2019/01/30 号 (No.4505) 」の抜粋文)
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