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2019-01-14 [twitter投稿]



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ブラック・キャット(タッカ・シャントリエリ)の花 ! [ヘッダー画像]

190114no12.JPG
響灘緑地(北九州市若松区)
撮影日:2019.01.11
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今日(1/14)の夜空に見える月は【上弦の半月】です [かわうそ@暦]

◆今日(1/14)の夜空に見える月は【上弦の半月】。
上弦の月は日が暮れる頃は、真南の空の高いところにあり、日付が切り替わる頃に、西の地平線に沈んでゆきます。旧暦日による呼び名では【九日月】です。

◆お月様の基礎データ
・上弦の半月の瞬間は 1/14 15時46分 (月齢は 8.2) ※上弦の半月とは、月と太陽の黄経の角度差が90度となる瞬間です。
・月出:1/14 11時27分 月没:1/15 0時14分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):1/14 17時47分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 392500 km (平均距離の 1.02倍)。

 月は平均より 8100km遠く、見かけの大きさはいつもより少し小さいです。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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小正月と月 [かわうそ@暦]

□小正月と月
 正月の行事を大きく二つに分けると、公的な性格の強い大正月(おおしょうがつ)の行事と、家庭や地域の行事が中心となる小正月(こしょうがつ)があります。大正月は元日を中心とした行事で、これに対して小正月は一月十五日を中心とした行事です。

◇小正月とお月様
 日本の各地には古い時代から受け継がれてきた様々な年中行事がありますが、そうした年中行事が行われる日取りを考えると、まんべんなくあるのではなくて、偏りが見られます。ではどんな日が多いのかと言えば、十五日と一日(ついたち、朔日)です。確かに、15日とか 1日は「今日の記念日」の情報は多いと日刊☆こよみのページを作るものとしては実感として判ります。さてこの日付を見て、何か思い浮かびませんか?

 現在我々が使っている新暦では、暦月の半ばの日と始まりの日と言う意味しかこの日付にはありませんが、太陰太陽暦の一種である旧暦ではそれぞれが、「満月(十五夜)の日」 と 「新月(朔)の日」という意味を持ちます。正月の行事も、この満月の日と新月の日を中心として行われる行事の一つです。そして、新月の日を中心とした正月行事が大正月で、満月を中心とした行事が小正月です。新月を中心とした行事は、新月を暦月の区切りと考える中国式の暦が導入されてからこれにあわせて行われるようになったもので、満月を中心とした行事はそれ以前から行われていたより古い行事ではないかと考えられています。なぜなら、行事を暦の区切りの日、正月の場合は一年の最初の月の最初の日を中心に行うのはわかりますが、新月は「見えない月」ですからこれが起こる日付は月の満ち欠けの変化をある程度予測出来るほどには天文学、暦学が発達してからでないと困難なのです。その点でいえば満月は月を見て決めることが出来るより単純な現象です。そして、暦を作る上で重要なのはその周期の長さであって、起点ではありませんから、月の満ち欠けの周期を知りたいのであれば、新月から新月までをはかるより、満月から満月までをはかる方がずっとわかりやすい。このため原始的な太陰暦は満月を起点として朔望の周期を組み立てていたと考えられるのです。この様に初期の暦は満月から満月までで一区切りという暦であった可能性が高く、もしその時代から新しい年の始まりを祝うと言った行事が行われていたと考えると、その行事は当然当時の暦の区切りである満月の時期に行われていたと考えられます。

◇中国式の暦の導入と二つの正月
 やがて、中国から「新月」を暦の起点とする進んだ暦が導入され、朝廷がこれを正式に使い始めると、こちらが正式な暦となりますから暦の区切りで行われていた行事は、満月の時期から新月の時期へとその時期を移動させられたと考えられます。「暦との関係」では暦の区切りが満月から新月に移動したことで行事の時期は移動して当然ですが、その一方で「月の明るい時期」に行うという面で行事を捉えると、暦の定義が変わっても行事の時期が移動する必要はないわけです。この二つの関係から

  1.暦にあわせて満月から新月に時期を移動した行事
  2.月の満ち欠けにあわせて、暦が変わっても時期が変わらなかった行事
  3.一つだった行事が、二つに分かれてしまった行事

 といったパターンが出現したのではないでしょうか。正月行事はこの3のパターンで、国家の行事としての新年行事は新しく正式な暦の区切りとなった新月を中心とした大正月の行事となり、地域や家庭など私的な性格の強い行事は、昔ながらの満月の時期、小正月に祝われる形で残ったのではないかと考えられます。こう考えて行くと、小正月というのは、より「古い時代の正月」の姿を残したものと言えそうです。

◇ついでに、盆と正月
 「盆と正月が一緒に来た」などと使われるように、年中行事の中で正月行事と対をなす行事にお盆がありますが、こちらは7/15を中心にした行事として現在も営まれています(新暦、旧暦、月遅れと、利用される暦は地方によって異なりますが)。この正月と盆の行事はその意味内容から見るとよく似た双子のような行事です。そして正月行事は「年の始めを祝う」という公的な側面があったため、一部が新月の時期に移動しましたが、そうした「公的な側面」が少なかったお盆はそのまま15日、つまり満月の時期に行われ続けたと考えられます。(※ここでいうお盆の行事とは、仏教伝来前からあったと考えられる祖先崇拝の行事で、現在のお盆行事はこの古い伝統行事が後の時代に仏教行事と融合したものと考えられます)そして、そのお盆のちょうど半年前の日付といえば・・・小正月の日付。どうやらこの双子のような行事は本来、一年の始めと折り返し地点(下半年の始めともいえる)に配置された同じ行事だったようです。このお盆の日付との関係から考えても、本来の正月の時期は満月の時期、つまり小正月の時期だったようです。ただし、現在の暦は月の満ち欠けと日付との関係がありませんので、明日、小正月の日付であっても満月とはなりません(今年は上弦の月の翌日)。(「2019/01/14 号 (No.4489) 」も抜粋文)

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