KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]
梅雨明けの海に出ると、心地よい南風。
— KAGAYA (@KAGAYA_11949) 2019年6月30日
満天の星の下、遠くに稲妻が光りました。
写真右の星はケンタウルス座のαとβ。
(昨日沖縄県宮古島にて撮影)
今日もお疲れさまでした。明日からもおだやかな一週間になりますように。 pic.twitter.com/AHrfAxV8FQ
2019-06-30 [twitter投稿]
hippocampus460フウセンカズラ - 絵画風 https://t.co/TBs6pqICvo06/29 16:33 hippocampus460【フウセンカズラ(風船葛)の花 】 https://t.co/Dme145JEAV06/29 16:35 hippocampus460おはようございます!6時起床、天気 /欠けていく三日月(8時32分、輝面比11%)視認できず。今日は有明月、月齢26.7。月の出:2時51分、月の入:16時53分です(北九州) /今朝の空はいつ雨が降ってもおかしくない空模様。… https://t.co/WpbOFBd3GK06/30 08:44 hippocampus460(続き) その後、半年一度の公民館掃除に出かける。7時から小一時間外回りの草を刈りをして帰宅。シャワーを浴び、朝食を摂る。働いた直後の食事は旨い!(*^_^*)06/30 08:44 hippocampus460『茅の輪くぐり』hippo@home|https://t.co/X1x70rQbK006/30 10:09 hippocampus460『アフリカハマユウ(アフリカ浜木綿)!』hippo@home|https://t.co/54iwABnDjT06/30 17:03 hippocampus460hippo:Blogger https://t.co/ApQP5E5AsD06/30 17:10 hippocampus460日中曇のち雨、梅雨模様!PM2.5のレベルは7(13→7)、AQI:良い /午前中、組内総出で公民館掃除をする。帰宅後、シャワーを浴びて朝食です。快感!その後、録り溜めたビデオ観る。昼食後は昼寝です!06/30 17:32
茅の輪くぐり [かわうそ@暦]
□茅の輪くぐり
気が付けば今日で六月が終わり。六月が終わると言うことは、今年も上半期が終わるということ。長かったような気も、短かったような気もする半年でした。そんな半年の終わりの暦のこぼれ話は、この半年の間に身についてしまった穢れを祓うための夏越の祓えにまつわるものにいたします。六月最後の日には夏越の祓(なごしのはらえ)という行事があります。この夏越の祓は年末の大晦日に行われる大祓と対をなすもので、ちょうど半年離れたところにあります。旧暦時代は六月は夏の終わり、晩夏の月でした。夏の終わりである六月晦日とその翌日の七月朔日は暦の上では夏から秋への切り替えの日で、この夏の最後の日にそれまで半年間の罪障、穢れを祓うというのがこの祓え行事の意味だと考えられます。水無月の祓とか、輪越の祓などとも呼ばれます。
◇茅の輪の由来
夏越の祓には「茅の輪」と呼ばれる茅(ちがや)や、真菰(まこも)、蒲の穂を束ねて作った大きな輪を神社の鳥居や拝殿に据えて、これをくぐる行事が行われます。この輪をくぐることによって災厄や疫病から免れることが出来ると言われています。この茅の輪の由来とされるのは備後風土記にあった(逸文)とされるにある「蘇民将来(そみんしょうらい)」の故事です。ある村に巨旦将来と蘇民将来という兄弟が住んでいました。弟の巨旦将来は富裕でしたが兄の蘇民将来は貧乏でした(このあたり、ありがちな物語の設定ですね)。さてある夜のこと、武塔(むとう)の神という正体のわからない神様が旅の途中にこの村を通りかかり、そこで一夜の宿を請うたところ、裕福な巨旦将来はこれを断り、貧乏な蘇民将来はこれを受け入れ、この神をもてなしました(これもなんだかありがちな設定・・・)。さて、旅の帰り道に再び武塔の神はこの村に立ち寄り、宿を貸してくれた蘇民将来に自分がスサノオであると名乗り、この村に疫病が拡がり人々が死ぬであろうと伝えます。そしてお前とお前の子孫はこの災厄を免れるだろう。お前の子孫には目印として腰に「茅の輪」をつけさせよ。と言って立ち去ります。そしてその言葉通り、茅の輪を腰に付けたものを残して人々は疫病で死んでしまったそうです。それ以来、この茅の輪は疫病を避ける呪いの品となりました。長野県では茅の輪ではなくて、蘇民将来子孫という札を玄関にかける場合もあります。茅の輪も蘇民将来札も「私は疫病を免れると約束された蘇民将来の子孫です」という証。蘇民将来がこの様子を見たら、自分の子孫(を名乗る人)のあまりの多さにビックリするかも知れませんね。
◇閏六月のあった頃
さて余談ですが、旧暦時代には閏月がありました。「夏越の祓は六月晦日、夏の最後の日に行われる」と言いましたが、もし閏六月があったらどうしましょう?この「閏月」のあった昔にもやはりこれに人々は悩んだようで、これに対して専門家(陰陽師)に尋ねたところ、夏越の祓は夏の終わりの日祓えなのだから、閏月であっても六月は六月であり、夏の内であるから閏六月に行うべきだと返答を受けたという話が「吾妻鏡」にあります。余分なもの(閏月)があると、余計な心配事が増える例でしょうか。
※最後に宣伝
Web こよみのページの「暦と天文の雑学」に夏越の祓 http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0733.htmという記事を書いておりますので、こちらもよろしく!(「2019/06/30 号 (No.4656) 」の抜粋文)
気が付けば今日で六月が終わり。六月が終わると言うことは、今年も上半期が終わるということ。長かったような気も、短かったような気もする半年でした。そんな半年の終わりの暦のこぼれ話は、この半年の間に身についてしまった穢れを祓うための夏越の祓えにまつわるものにいたします。六月最後の日には夏越の祓(なごしのはらえ)という行事があります。この夏越の祓は年末の大晦日に行われる大祓と対をなすもので、ちょうど半年離れたところにあります。旧暦時代は六月は夏の終わり、晩夏の月でした。夏の終わりである六月晦日とその翌日の七月朔日は暦の上では夏から秋への切り替えの日で、この夏の最後の日にそれまで半年間の罪障、穢れを祓うというのがこの祓え行事の意味だと考えられます。水無月の祓とか、輪越の祓などとも呼ばれます。
◇茅の輪の由来
夏越の祓には「茅の輪」と呼ばれる茅(ちがや)や、真菰(まこも)、蒲の穂を束ねて作った大きな輪を神社の鳥居や拝殿に据えて、これをくぐる行事が行われます。この輪をくぐることによって災厄や疫病から免れることが出来ると言われています。この茅の輪の由来とされるのは備後風土記にあった(逸文)とされるにある「蘇民将来(そみんしょうらい)」の故事です。ある村に巨旦将来と蘇民将来という兄弟が住んでいました。弟の巨旦将来は富裕でしたが兄の蘇民将来は貧乏でした(このあたり、ありがちな物語の設定ですね)。さてある夜のこと、武塔(むとう)の神という正体のわからない神様が旅の途中にこの村を通りかかり、そこで一夜の宿を請うたところ、裕福な巨旦将来はこれを断り、貧乏な蘇民将来はこれを受け入れ、この神をもてなしました(これもなんだかありがちな設定・・・)。さて、旅の帰り道に再び武塔の神はこの村に立ち寄り、宿を貸してくれた蘇民将来に自分がスサノオであると名乗り、この村に疫病が拡がり人々が死ぬであろうと伝えます。そしてお前とお前の子孫はこの災厄を免れるだろう。お前の子孫には目印として腰に「茅の輪」をつけさせよ。と言って立ち去ります。そしてその言葉通り、茅の輪を腰に付けたものを残して人々は疫病で死んでしまったそうです。それ以来、この茅の輪は疫病を避ける呪いの品となりました。長野県では茅の輪ではなくて、蘇民将来子孫という札を玄関にかける場合もあります。茅の輪も蘇民将来札も「私は疫病を免れると約束された蘇民将来の子孫です」という証。蘇民将来がこの様子を見たら、自分の子孫(を名乗る人)のあまりの多さにビックリするかも知れませんね。
◇閏六月のあった頃
さて余談ですが、旧暦時代には閏月がありました。「夏越の祓は六月晦日、夏の最後の日に行われる」と言いましたが、もし閏六月があったらどうしましょう?この「閏月」のあった昔にもやはりこれに人々は悩んだようで、これに対して専門家(陰陽師)に尋ねたところ、夏越の祓は夏の終わりの日祓えなのだから、閏月であっても六月は六月であり、夏の内であるから閏六月に行うべきだと返答を受けたという話が「吾妻鏡」にあります。余分なもの(閏月)があると、余計な心配事が増える例でしょうか。
※最後に宣伝
Web こよみのページの「暦と天文の雑学」に夏越の祓 http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0733.htmという記事を書いておりますので、こちらもよろしく!(「2019/06/30 号 (No.4656) 」の抜粋文)