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2020-05-12 [twitter投稿]



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ミヤコワスレ(都忘れ)! [ヘッダー画像]

200420no98.JPG
撮影日:2020.05.04
JA直鞍なのはなガーデン
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【貧者の一灯】(ひんじゃの いっとう) [かわうそ@暦]

【貧者の一灯】(ひんじゃの いっとう)
 貧しい者が苦しい生活から出費して神仏に供える、真心のこもった一つの灯明。たとえわずかでも、心のこもった行為こそ尊いということのたとえ。「長者の万灯より貧者の一灯」《旺文社 成語林・初版》

 今更解説するまでもなくよく知られた言葉です。有り余るほどの財産をもつ長者が納めた万の数の灯が強風によって吹き消された後も、貧しい者が苦しい生活の中からやっと納めた一本の灯明だけが消えずに残った。行いの尊さとは物理的な量ではなく、どれだけ真心を込めたによって量られるものだという教えです。蝋燭の灯の明るさという見えるものの背後に潜む、目に見えない精神性の高さを感じ取ることというのは大切なことです。こうした話に感動する心を持つことは大切なことです。しかし、この話には一面の危うさも感じてしまいます。どうも、私たちの中には「貧者=善人」「富者=悪人」といった構図があるように思います。かつて、長寿番組の代名詞といってもよかった時代劇に、水戸黄門がありました。この番組では悪人は金持ちの越後屋で、善人は裏長屋に住む貧しい職人の親子といった取り合わせがほぼ定番でした(かなり乱暴な言い方ですけど)。こんなパターンが成り立っていたのも、「貧者=善人」「富者=悪人」という構図が私たちの心の中にあったからではないでしょうか。こうしたイメージのためか、どうも世間では富者の行為は割り引かれて見られ、貧者の行為その分高く評価されてしまうきらいがあるように私は感じるのですが、皆さんはいかがでしょうか。近頃はいくらか緩和されてきましたが、武漢肺炎騒動が起こって以来マスク不足が問題になっていました。そうしたご時世でしたので、マスク不足で困っている自治体などへのマスクの寄付の話が時折ニュースになりました。中学生が貯めていたお小遣いやお年玉のお金で材料を買って、手作りのマスクを何百枚も寄付したというようなニュースを、皆さんも覚えているのではないでしょうか。このご時世ですから、こうしたニュースには心を温められましたし、こんな真心のこもったマスクをいただいた人たちにとっては、それはただのマスク以上の尊いものに思えたことでしょう。私も、いい話だなと思いました。しかし、マスクを寄付したのは人ばかりではなく、企業が行ったものも何万枚という単位のものもありました。企業の行った万単位の寄付の話は、寄付されたマスクの数量の割にはニュースにならなかったように思います。富者=悪人のイメージとまでは言わないまでも、大企業ならそれくらいやって当たり前という感覚は、みんな何処かに満っているのでしょう。込められた真心の量は灯の数では量れないというのは一面の真理ではありますが、現実の問題を解決する上で灯の数が重要だということもまた、もう一つの面の真理です。貧者の一灯の精神と、長者の万灯の現実的効用。どちらも忘れてはいけない大切なことですね。(「2020/05/12 号 (No.4973)」の抜粋文)
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