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2020-09-08 [twitter投稿]



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マルバルコウ(丸葉縷紅)! [ヘッダー画像]

200906no15.JPG
撮影日:2020.09.06
U^ェ^U ハナの散歩道
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明治への改元と、そのちょっと前の話 [かわうそ@暦]

■明治への改元と、そのちょっと前の話
 今(2020年)から152年前、1868年の9月8日は「明治」に改元されました。ちなみに、この時代の暦はまだ、天保暦でしたのでこの9月8日という日付は新暦に直せば10月23日にあたります。もう晩秋の頃だったんですね。とはいえ、日付で記念日を考えれば確かに今日が「明治改元の日」なので、まだ残暑の残るこの時期ですが胸を張って(?)この話を採り上げます。明治改元から152年の間に、現在まで

  明治、大正、昭和、平成、令和

 と5つの元号がありました。令和はまだ始まったばかりなので除いて残り4つの元号の平均の長さざっと38年。31年も続いた平成も、平均以下ですか。もっとも、直前に歴史上最長の64年まで続いた昭和があった影響が大きいですが。とはいえ、一つの元号がこんなに長い時代というのは元号の歴史から見ると異常。明治~平成の4代では平均以下の平成の31年という長さも他の多くの時代の元号から見れば破格に長い部類に入ります。たとえば明治改元直前を例にしてみてみましょう。明治天皇の前代の孝明天皇が崩御なさった日は慶応二年十二月二十五日現在の感覚からすると慶応二年に崩御とは、在位わずかに 2年かと言うことになりそうですが、そんなことはありません。一世一元というように、一人の天皇の在位期間に年号は一つというようになったのは明治以後のことであって、それ以前は在位期間中ころころと何度も改元なさった天皇の例が沢山あります。孝明天皇も随分改元しており、

  嘉永(かえい)
  安政(あんせい)
  万延(まんえん)
  文久(ぶんきゅう)
  元治(げんじ)
  慶応(けいおう)

 と 6つの元号を作りました。孝明天皇の生涯はAD1831~1866。内在位期間はAD1846~66年。在位期間20年に対して 6つの元号ですから平均すれば一つの元号で 3年とちょっと。慶応も 2年で終わりというのも仕方ないですね・・・。『ちょっとまった!!!』日本史の時間には確か、「慶応三年」の出来事をいくつか習った記憶が。どれどれ、大政奉還・・・慶応三年十月十四日あやっぱり。どうなってるんだ?実は、天皇崩御と改元との関係にはいろいろなパターンがあって、こうなったらこうやって、改元するという明確な規定はありませんでした。そのため結構「まちまち」になってしまっています。多くは、前天皇が崩御後、次の天皇が即位したした日に改元となるパターンのようですが、天皇崩御と次の天皇の即位には結構なタイムラグがあるのが普通。孝明天皇崩御後、明治天皇が即位の礼を執り行うまでも実に1年以上もの間を置いた、慶応四年八月二十七日。そして、改元の発表はそれから少しあいた同年九月八日。慶応三年どころか、慶応四年という時代もあったわけです。もっとも、天皇の実質的な即位は即位の礼が行われる以前に既に行われており、こちらは「践祚(せんそ)」と呼ばれます。明治天皇の践祚は慶応三年正月九日のことでした。

  慶応二年十二月二十五日 孝明天皇崩御
   〃三年 正月  九日 明治天皇践祚
   〃四年 八月二十七日 明治天皇即位の礼
   〃   九月  八日 明治へ改元

 と、それぞれ微妙にずれた時期に行われています。既に述べた通り、こうした手順も天皇の代毎に必ずしも同じものではありませんでしたので、天皇崩御即改元と短絡すると事実と異なる結果になりますのでご注意を。明治改元後は、「一世一元」としたため天皇の在位期間と年号の期間の混乱は無くなりました(1日単位ではまだ違いがありますが)。更に現在では、「元号」は法律で定められた手続きに従って変更されるのでそうした意味では曖昧さは無くなっています。こうして、長らく「江戸時代」と呼び習わされた時代から、明治の御代へと変わっていきました。「明治改元の日」という記念日をみて、何か書こうと思いましたが、気がついてみれば「明治改元の日」とはあんまり関係の無い話になってしまいましたね。ま、これが雑談というものかな?(「2020/09/08 号 (No.5092) 」の抜粋文)

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