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今日(4/4)の夜更けの空に昇る月は【下弦の半月】です [かわうそ@暦]

◆今日(4/4)の夜更けの空に昇る月は【下弦の半月】。
下弦の月は日付が切り替わる頃に東の空に昇り、夜明け頃には、真南の空の高い場所に見つけることができます。旧暦日による呼び名では【二十三夜の月】です。

◆お月様の基礎データ
・下弦の半月の瞬間は 4/4 19時 2分 (月齢は 22.0)
 ※下弦の半月とは、月と太陽の黄経の角度差が270度となる瞬間です。
・月出:4/5 1時31分 月没:4/5 11時14分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):4/5 6時21分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 378800 km (平均距離の 0.99倍)。

 月は平均距離付近にあり、見かけの大きさも平均的です。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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2021-04-04 [twitter投稿]



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シャガ(射干)! [ヘッダー画像]

210330no71.JPG
2021.04.02撮影
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復活祭はなぜ移動するのか [かわうそ@暦]

□復活祭はなぜ移動するのか
 今日、2021/4/4はカソリックの復活祭(イースター)です。わざわざ「2021/4/4」と書いたのは年によって日付が大きく変わるから。例えば2020/4/12,2022/4/17のような具合です。ではなぜ復活祭の日付は変わるのでしょうか?あるとき、こんな質問メールを頂いたことがありました。

 『イエスキリストの生誕日は12月25日と日付で決まっていますが、イエスキリストが十字架に架けられた月日が年によって変ります。カソリック教では、春分の後の最初の満月の直後の日曜日が復活日と定められていますが、春分の後の最初の満月の日が一定していないためイエスキリストが十字架に架けられた日も変動します。カソリック教ではどうしてこのような方式で復活日を定めたのでしょうか。』なるほど。生誕日はクリスマスとしてよく知られた12/25に固定されているのに、復活祭の方は、なぜこんな複雑な規則にして毎年日付を変えているのでしょうか? 誰でも疑問に思いますよね。と言うことで、この疑問について考えてみましょう。

◇復活祭の「日付」とは?
 なぜ復活祭の日付はこのように移動してしまうのでしょうか?その理由は復活祭の日付は現在使用している暦とは異なる暦によって定められた祭日であったためです。復活祭の日取りは聖書にあるイエスの受難と復活の記録から推定されたものです。考えてみれば当然のことですが、イエスが人として生きた時代、生きた世界はユダヤ教の世界でした。その受難の物語りもユダヤ教の過越祭から始まります。過越祭はユダヤ教の大祭日である過越節を祝う祭りで、ユダヤ教の世界で使われるユダヤ暦はこの過越節を定めるところから作りはじる暦でした。ユダヤ暦での過越祭は「ニサン(Nisan) の月の14~21日の間」。聖書の記述によれば、イエスの受難はこの過越祭にイエスがエルサレムを訪れたところから始まり、金曜日に十字架に架けられ、日曜日に復活したとされています。この受難と復活が起こった世界の暦日はユダヤ暦で記録されていたはずですし、その復活を祝う行事が原初のキリスト教徒の間で行われていたときにその日取りを決めるために使われた暦も当然ユダヤ暦であったはずです。なぜなら彼らの生きた世界では、ユダヤ暦が日常の暦だったからです。一部に例外はあったようですが、多くの原初キリスト教徒は復活日をユダヤ暦で求められるユダヤ教の過越祭の期間の日曜日に祝っており、この慣習が固定化して、これが現在の復活祭の日付の計算の元となりました。

◇復活祭の日付が変わるのは、旧暦の日付を新暦で表しているから
 さて、ユダヤ教の過越祭の期間の日曜日を復活祭の日付とするのなら、ユダヤ暦のカレンダーを入手すればよいわけですが、キリスト教がキリスト教として確立し、ユダヤ教とは違った道を歩むようになると、このユダヤ暦によって復活祭を祝うという方式が問題となりました。ユダヤ暦は太陰太陽暦の一種で、時々閏月が挿入される暦でした。閏月が挿入されるか、されないかでは一年の日数が大きく異なる暦です。困ったことに、当時のユダヤ暦では閏月は計算で求められるものではなくて作物の出来など幾つかの要素を観察、検討して閏月の挿入の有無をユダヤの最高法院の会議で決定するという経験的暦法でした(四世紀以降は計算方式となった)。ユダヤ暦を使って復活祭の日付を決めるということは、キリスト教徒にとって最も大切な祭日を異教徒が勝手に決める暦で祝わなければならないと言うことになります。これは教会としては受け入れにくいことです。こうした事情からキリスト教の各教団はユダヤ暦から独立して、自分たちで独自に復活祭の日付を決定することが必要になりました。この時、復活祭を「○月×日に固定」としていれば何も悩むことは無かったのでしょうけれど、復活祭の独自計算の動きが起こったときには、既に復活祭は過越祭の期間の日曜日という慣習が広く行き渡っていて、これを変更することは出来ない状況になっていたのでしょう。そのため、復活祭の独自計算はユダヤ教の過越祭の時期を独自の方法でシミュレートするというものにならざるを得なかったのです。シミュレートするためには幾つか条件が必要ですが、過越祭に係わる部分で考えれば、

  1.ユダヤ暦は太陰太陽暦である(繊月が見えた夕方が 1日となる)
  2.ニサンの月は春の月である
  3.過越節はニサンの月の15日で、この日は月・水・金曜日とはならない。

 といったことあげられます。これをどのようにシミュレートするかは考え方によって幾通りかの方式がありますから、二世紀頃にはこの方式について各派によって何度も論争が行われました(「パスカ論争」と呼ばれます)。キリスト教の教会毎に復活祭の日取りが違うのはもちろん好ましくありませんから、この論争に終止符を打って統一した方式にしようと開かれたのが、AD 325年のニケア公会議でした。このニケア公会議で復活祭の日付を当時使われていたユリウス暦を用いて独自に計算する方式が確立されました。こうして復活祭の日付の計算方式は統一されましたが、この経緯を見れば解るとおり現在の復活祭の日付は太陰太陽暦の日付を太陽暦の日付で祝っているようなものです。日本でいえば、旧暦の正月が新暦の何日から始まるかと言った問題と似ています。元々一年の日数も暦月の日数も異なり、一日の始まりの時刻すら異なる暦で決められた日付を別の暦で表そうとしているのですから、日付が変動してしまうのも無理からぬことなのです。

◇最後に
 「復活祭は春分の後の最初の満月の直後の日曜日」と一口に言いますが、実はこれには様々な問題が含まれていて簡単な話ではありません(「春分」、「満月」といっても天文学的な春分日、満月とは異なる)が、そこまではとても書き切れませんので、今回はこのあたりの話は何も触れませんでした。また、本日は復活祭の日だから書いたと言いましたが、カソリックなどの西方教会系と言われる教会での日付であって、東方正教会系の日付はまた異なっています(東方正教会系では2021/4/24)。折角ニケア公会議で統一したのにこんなことに・・・なんて話もまたする機会があるでしょう(あ、4/24に使える?)。今回書き切れなかったそうした話も、またいつの日にか書くことにしたいと思います。(「2021/04/04 号 (No.5300)」の抜粋文)

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