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南半球でも「夏至」は「summer solstice」? [かわうそ@暦]

■南半球でも「夏至」は「summer solstice」?
 あるとき、本の翻訳をしていると言う方からこんな質問を頂きました。

 > 絵本を日本語から英語に翻訳しているのです。
 > その作業の中で[夏至]を[summer solstice]と訳そうと思ったのですが
 > オーストラリアの自然科学系のサイトで見ると
 > [summer solstice : 昼が最も長く夜が最も短くなる日。12/21-23頃]
 > と説明されていて、夏至の時期ではありません。
 > 「夏至」は元々東洋で生まれた二十四節気の言葉と言うことですから、南
 > 半球であっても「summer solstice」と訳してもよいものでしょうか?

 うーむ、暦や天文の話じゃなくて英語の話だよな。高校時代に英語で赤点を頂戴したことのある私に聞かれてもな・・・とは思いましたが、折角質問してくださったのでちょっと真面目に考えてることにしました。皆さんなら、どんな風に答えますか?ちなみに、Web こよみのページの二十四節気の解説ページの「夏至」の項の説明は次のようになっています。

 『夏至 (げし) 6/21頃 五月中(皐月:さつき) 二至二分 太陽視黄経 90 度 陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以て也(暦便覧)一年中で一番昼が長い時期であるが、日本の大部分は梅雨の時期であり、あまり実感されない。花しょうぶや紫陽花などの雨の似合う花が咲く季節である。』

 質問をくださった方のご指摘どおり、北半球で生まれた二十四節気の概念そのもので、南半球の皆さんのことなんてこれっぽっちも考慮していない説明でした。

◇[solstice]は太陽の動きが止まる点
 さて、今回登場した英語の[solstice]はラテン語の[solstitium]から来た言葉で、solstitium は

  solsitium : sol(太陽)+sistere(静止する)

 として生まれた言葉だと辞書に出ていました。太陽が静止するというのはどういうことかというと、一年を通して太陽の南中高度(真南に見えたときの地平線からの角度)を測って行くと、この南中高度は毎日少しずつ変わってゆくのですが、この変化がほとんど見られなくなる時期が年に2度あり、この時期を「太陽が静止する」と表現したものです。天文学風に言えば、太陽の位置が天の赤道から最も離れる点(あるいはその点を通過する日)と言うことが出来るでしょう。年に2度ある、そうした日が「夏至」そして「冬至」なのです。夏冬の区別無く[solstice]を日本語に置き換えるとすれば「至点」と言う言葉が妥当でしょう。こよみのページでは頻繁に登場する「夏至」「冬至」という言葉は、冒頭の質問者がおっしゃったとおり、二十四節気の言葉で、その言葉が生まれたのは古代中国の時代。もちろん北半球とか南半球とかといった概念が無かった遙か昔に生まれた言葉です。ですから夏至を summer solstice と訳すと、南半球ではおかしなことになると言われても「夏至」という言葉を生み出した古代中国の人々を責めるのはあまりに酷ですよね?

◇2つの至点を区別する方法
 至点が年に2度有ることは、北半球でも南半球でも同じこと。太陽がその至点を通過する瞬間も南北半球で異なることはありません。地球上、どこでも同じ瞬間です。では、質問にあったような問題がなぜ生まれるのかといえば2つの始点を区別するために使った言葉

  夏と冬
  summer と winter

 という季節を表す言葉の問題です。北半球と南半球では季節が逆になるわけですから南半球では真冬におとづれる一方の至点を[夏至:summer solstice]とされると確かに違和感をおぼえますね。夏におとづれる至点だから「夏至」冬におとづれる至点ならば「冬至」と北半球で生まれた(そして北半球で死んだであろう)二十四節気の作者達は、わかりやすく表現しただけなのですが、地球の反対側の半球にまで世界が拡がってしまったから、2つの至点を夏冬で分けることに問題が出てきたわけです。ならば、問題の無い分け方をすればよいだけですよね?と言うことで、私は質問者にA~Cの至点の区別の方法を提案しました。

 A.夏冬で区別する方式 ・・・ Summer solstice , Winter solstice
 B.暦月で区別する方式 ・・・ June solstice , December solstice
 C.太陽の位置で区別する方式 Northern solstice , Southern solstice

 A案は元々のもので至点を「夏におとづれる」あるいは「冬におとづれる」と区別する方式。これだと北半球と南半球では異なる至点を指してしまうと言う問題が発生します。

 B案は「6月におとづれる」「12月におとづれる」と暦月で区別する方式。問題としては、これは現在、世界の多くの国で通用しているグレゴリオ暦での暦月を想定していると言うこと。それ以外の暦を使われると、必ずしもこうした表現が出来るわけではありません(太陰暦や太陽太陰暦だと、至点が毎年同じ暦月に来るということ自体、保証できません)。

 C案は、太陽が天の赤道のどちら側にあるときに至点がおとづれるかで区別する方式。「北側でおとづれる」のか「南側でおとづれる」のか。こちらの場合、季節や暦月に関係無く、南北両半球で問題無く使える表現です。

◇さてどうなりましたか?
 紛らわしさの回避や普遍性と言うことから考えれば、C案が最も妥当だと思いますが、正確ならそれが一番というものでもないので、ここから先は翻訳をなさっているとおっしゃる質問者様の判断次第。「夏至」という言葉がどのような文脈で登場しているのか。何を説明しようとしているのかによって、どのように訳すのが最良かは異なってくるでしょうからね。さて、どの案が採用されたかな(全部「没」だったりするかも?)。結果はわかりませんが、時代が変わって世界も拡がって、長い間なんの問題も無かったことが、問題になることもあるんだなと、今回の質問に答えながら、感慨に耽ってしまったかわうそでした。(「2021/05/02 号 (No.5328) 」の抜粋文)
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2021.04.27撮影
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