2021-05-30 [twitter投稿]
hippocampus460タイサンボク - 絵画風 https://t.co/a3ZFb5aVUZ @hippocampus460より05/29 17:02 hippocampus460『紅花栄う(七十二候)・雑感』hippoの菜園|https://t.co/pNyb55CAqK05/29 17:16 hippocampus460おはようございます!7時起床、天気 /欠けていく凸月(7時42分、輝面比85%)視認できず。今日は寝待月、月齢18.1。月の入:8時35分、月の出:23時29分です(北九州) /今朝は霞んでいるが快晴!お日さんが眩しい!PM2… https://t.co/l7jH0L4qW405/30 07:48 hippocampus460『【紅一点】(こう いってん)』hippo@home|https://t.co/LMM0Sa88q405/30 12:46 hippocampus460『KAGAYA (@KAGAYA_11949)』hippo@home|https://t.co/gYMmEf7RSp05/30 12:47 hippocampus460『アメリカデイゴ(亜米利加梯梧)!』hippo@home|https://t.co/FcepiGElwi05/30 15:57 hippocampus460日中、良い天気に恵まれる。暑かった!(>_<。) PM2.5のレベルは11(5→11)、AQI:良い /午前中、家内の依頼で近くのスーパーに買い物。帰宅後は、部屋で録り貯めたビデオを観る。午後は昼寝です(*^_^*)05/30 16:10
KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]
本日夕暮れのほんのひと時、金星と水星が並んで輝いていました。
— KAGAYA (@KAGAYA_11949) May 29, 2021
金星と水星がこれほど近づいてきれいに見えるのはなかなか珍しいのです。
(1枚目は望遠レンズ、2枚目は望遠鏡を使って撮影)
今日もお疲れさまでした。 pic.twitter.com/BrQVVrcHME
【紅一点】(こう いってん) [かわうそ@暦]
【紅一点】(こう いってん)
[書言故事、王荊公石榴詩「万緑叢中紅一点」](青葉の中に一輪の赤い花が咲いている意)唯一つ異彩を放つもの。転じて、多くの男性の中にただ一人の女性がいること。《広辞苑・第六版》
昔は現在に比べて圧倒的に職場における女性の比率が少なかった(少なくとも私の職場では)ので、時折この「紅一点」という言葉を耳にすることがありました。最近はどうかな?石榴詩の「万緑叢中紅一点」が示す情景はとても印象的ですので、よく憶えていたのですが、「紅一点」の出典がこの詩だったことは、今回、始めて知りました。何となく、それ以前から使われていた表現を王荊公(王安石)が詩の中で用いたものと思っていました。そうか、石榴詩がこの言葉の出典だったのか。そういえば今は5月末。ちょうど石榴の花の季節。ちょうどいいやということで、現在多く使われている「多くの男性のの中にただ一人の女性がいる」という言葉の意味ではなくて、元々の青葉の中に異彩を放つ赤い花が咲いているという情景の話にしてしまいます。「石榴詩」の題名のとおり、ここで詠われた紅い花は石榴の花です。石榴は現在のアフガニスタンあたりが原産だと言われている木ですが、最も古くから栽培が為されていた果樹の一つと考えられるほど、古い時代から世界各地で栽培されてきた木で、日本でも果樹や庭木として育てられている石榴の木をよく見かけます。石榴は、ごつごつとした瘤のような形で種の多い大きな実、そしてこの実がとっても酸っぱい、で知られますが、5~6月頃に咲く真っ赤な花もまた、見る者に強い印象を与えます。石榴の花を一度でも目にした人には、石榴詩の中の「万緑叢中紅一点」の光景をありありと思い浮かべることが出来るはずです。季節の情景を表し、人の心を動かすのに、多くの言葉や多くの色彩は必要ない。深い緑の中に一輪の紅い花があれば十分である。王荊公が生きた時代から千年あまり時を隔て、海を隔てても石榴の紅い花は相変わらず私たちに、季節の姿を鮮やかに示してくれているようです。雨の多いこれからの季節、雨に濡れて色の濃さを増す緑の中に、真っ赤な石榴の花を目にすることがあれば、石榴詩の一節も思い出してみてください。(「2021/05/30 号 (No.5356)」の抜粋文)
[書言故事、王荊公石榴詩「万緑叢中紅一点」](青葉の中に一輪の赤い花が咲いている意)唯一つ異彩を放つもの。転じて、多くの男性の中にただ一人の女性がいること。《広辞苑・第六版》
昔は現在に比べて圧倒的に職場における女性の比率が少なかった(少なくとも私の職場では)ので、時折この「紅一点」という言葉を耳にすることがありました。最近はどうかな?石榴詩の「万緑叢中紅一点」が示す情景はとても印象的ですので、よく憶えていたのですが、「紅一点」の出典がこの詩だったことは、今回、始めて知りました。何となく、それ以前から使われていた表現を王荊公(王安石)が詩の中で用いたものと思っていました。そうか、石榴詩がこの言葉の出典だったのか。そういえば今は5月末。ちょうど石榴の花の季節。ちょうどいいやということで、現在多く使われている「多くの男性のの中にただ一人の女性がいる」という言葉の意味ではなくて、元々の青葉の中に異彩を放つ赤い花が咲いているという情景の話にしてしまいます。「石榴詩」の題名のとおり、ここで詠われた紅い花は石榴の花です。石榴は現在のアフガニスタンあたりが原産だと言われている木ですが、最も古くから栽培が為されていた果樹の一つと考えられるほど、古い時代から世界各地で栽培されてきた木で、日本でも果樹や庭木として育てられている石榴の木をよく見かけます。石榴は、ごつごつとした瘤のような形で種の多い大きな実、そしてこの実がとっても酸っぱい、で知られますが、5~6月頃に咲く真っ赤な花もまた、見る者に強い印象を与えます。石榴の花を一度でも目にした人には、石榴詩の中の「万緑叢中紅一点」の光景をありありと思い浮かべることが出来るはずです。季節の情景を表し、人の心を動かすのに、多くの言葉や多くの色彩は必要ない。深い緑の中に一輪の紅い花があれば十分である。王荊公が生きた時代から千年あまり時を隔て、海を隔てても石榴の紅い花は相変わらず私たちに、季節の姿を鮮やかに示してくれているようです。雨の多いこれからの季節、雨に濡れて色の濃さを増す緑の中に、真っ赤な石榴の花を目にすることがあれば、石榴詩の一節も思い出してみてください。(「2021/05/30 号 (No.5356)」の抜粋文)