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デージー ! [ヘッダー画像]

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和名:ヒナギク(雛菊)
2023.12.08撮影
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【冬至から藺の節だけ伸びる】(とうじから いのふしだけ のびる) [かわうそ@暦]

【冬至から藺の節だけ伸びる】(とうじから いのふしだけ のびる)
 (「藺の節」は、畳の目のこと)最も昼の長さの短い冬至(陽暦十二月二十二日ごろ)を過ぎると、畳の目ほど少しずつ日一日と日差しが長くなるということ。
 「冬至から藺の目の一節ずつ伸びる」
 「冬至から畳の目一つだけ長くなる」
 「冬至から畳の目ほど日が伸びる」
 ともいう。
 〔参考〕昼の長くなる進みぐあいは、一日あたり約二分である。(以下略) 《成語林》

 冬至を過ぎて4日が経過しましたので、諺通りだとすれば藺の節4つ分だけ日が伸びるはずですが、さてどうですかね?冬至を過ぎればじりじりと日の長さが長くなると言うことは『成語林』の説の通りですが、この辞書の説明には残念なところがあります。その残念なところは最後に付けられ〔参考〕の解説記事。冬至を過ぎると昼の長さは「ジリジリ」と伸び始めますが、その伸び方は、冬至直後では極々わずかで一日に十秒ほど。日に二分も変化するのは春分や秋分の頃の一番変化の激しい時期なんです。冬至を過ぎたばかりの今日辺りの昼の長さの伸びは日に二分ではなくて十秒くらいのゆっくりした動きです。まあ、「成語林」は理科事典じゃなく、諺や故事の辞典ですから、この辺りの間違いは大目に見てあげましょう。一日二分という劇的な変化は有りませんが、これからはジリジリとジリジリと本当に「藺の節だけ伸びる」くらいのゆっくりしたペースで日が伸びて行きます。ゆっくりしたペースですけれど、日の長さを意識して眺めれば、案外「藺の節」ほどの緩やかな変化でもとらえることが出来るかも知れません。ゆっくりとゆっくりと、藺の節ほどのスピードで季節は動いて行くことを楽しんでみたいですね。

                          (「2023/12/26 号 (No.6296) 」の抜粋文)
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ワビスケ(侘助)! [ヘッダー画像]

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2023.12.26撮影
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赤鼻のトナカイ、ルドルフの話 [かわうそ@暦]

■赤鼻のトナカイ、ルドルフの話
 本日はクリスマス。ですが「クリスマス」の話題は、クリスマスイブの昨日に書いてしまったので、本日は昨日の話でふれなかった、あるいはふれるほどではないどうでもいいクリスマス関連の話を書いてみることにしました。「暦のこぼれ話からこぼれた話」ですね・・・ということで、本日の話題は赤鼻のトナカイ、ルドルフについてです。

◇赤鼻のトナカイとサンタクロースの関係
 クリスマスイブに世界中の子供たちにプレゼントを配るサンタクロースの橇を牽くものといえば、赤鼻のトナカイ、名はルドルフ。この赤鼻のルドルフがサンタクロースの橇を牽くようになった切っ掛けとなった話は有名ですので、もしかしたら知らないという方もいらっしゃるかもしれないので、簡単に書いておきます。トナカイのルドルフは、真っ赤に輝く鼻を持ったトナカイ。他のトナカイと違うこの真っ赤な鼻のため、ルドルフはずっと仲間たちにからかわれ、笑いものにされていました。ルドルフは仲間と違う自分の赤い鼻がはずかしくてなりませんでした。そんなルドルフのもとへ、ある年のクリスマスイブにサンタクロースが訪れたところから赤鼻のルドルフの運命は大きく変わり、一躍世界一のトナカイとなりました。世界中にプレゼントを配らなければならないサンタクロースですが、その年のクリスマスイブは霧が深く、サンタクロースがプレゼントを配るべき家々を探すことが出来なくなっていたのです。その困っていたサンタクロースの目にとまったのが、ルドルフの家から漏れてくる赤い光。ルドルフの赤鼻の発した光でした。サンタクロースは寝ていたルドルフを起こし、自分の橇を牽いてくれるように頼みました。その輝く鼻の光で行く手を照らし、通りの名前や番地を読み取れるようにして、サンタクロースを待つ子供たちのもとへ確実にプレゼントを届けようと云うわけです。ルドルフはサンタクロースの橇を牽くことを快諾し、おかげでサンタクロースは無事に子供たちにプレゼントを届けることが出来ました。サンタクロースはこの危機を救った赤鼻のトナカイのルドルフを世界一のトナカイと褒め、以後は毎年ルドルフがサンタクロースの橇を牽くことになりました。ルドルフがはずかしいと思っていた生まれつきの赤鼻は、この日からルドルフの誇りとなったのでした。目出度し目出度し。

◇ルドルフは通信販売会社の配達担当?
 深い霧のよるでも赤い光だとよく見えるとは、なんと科学的なことか。赤い光は可視光線の中では最も波長の長い光ですから、霧の影響を受けにくいわけですね(物語の作者がそんなことを考えて「赤鼻」にしたとは思えないですけど)。なぜトナカイのルドルフの鼻が赤い光を発していたのか?気になるところですが、そうした疑問は追求しないのが「大人の対応」というものでしょう。さて、この心温まる物語が生み出されたのは1939年のことでした。この物語を書いたのはかの有名なロバート・L・メイです。? 誰、その人? 聞いたこと無いけど?そんな声が聞こえてきた気がします。あんまり有名じゃ無いかな?実はこの童話を書いたメイさんは、童話作家ではありません。どんな仕事をしていたかというと、アメリカの通信販売会社モンゴメリー・ワード社の宣伝広報部員だったのです。モンゴメリー・ワード社では1939年のクリスマスキャンペーンの目玉となる動物物語を作ろうと、メイにこの物語作成を命じたのでした。そして生まれたのが赤鼻のトナカイ、ルドルフの物語(詩)。モンゴメリー・ワード社はこの年の秋にこの物語を 250万部印刷し配布して広めました。コンプレックスを抱いていたものが、一転してヒーローに。なんだかアメリカの人たちが大好きなストーリーって感じですね。それに賢い(ルドルフがそうかどうかはちょっとわかりませんけど)動物が危機に陥った人を助けるなんていうところも、一般受けしそうです。こんな経緯を考えると、ルドルフの牽く橇にはきっとモンゴメリー・ワード社の通販商品が満載されているのでしょうね。ついでに、次回のために通販カタログも入っていたりして・・・。もし同じ事を現代日本で行ったとしたら、主人公は赤鼻のトナカイではなくて、黒い猫だったり、荷物を担いで走るちょんまげ姿の飛脚だったりするんでしょうね。まあ、猫や飛脚が橇を牽くっていうのはちょっと想像できない光景なので、物語自体は大分工夫が必要でしょうけれど。心温まる赤鼻のトナカイの物語ですが、実はアメリカの商業主義が生み出した物語だったという、微笑ましい(?)話でした。ちなみに、クリスマス商戦用のおまけの小冊子として無料配布された赤鼻のルドルフの話でしたが、誕生から8年後の1947年には一般の書籍として出版され、ベストセラーとなりました。赤鼻のトナカイ、ルドルフは大活躍です。最後に、このルドルフの活躍のせいで「トナカイの鼻は赤いもの」と誤解してしまう人が多数いらっしゃるとか。赤い鼻のトナカイが存在しない保証はありませんが、普通のトナカイの鼻の色は黒か茶色のようです。

                          (「2023/12/25 号 (No.6295) 」の抜粋文)
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クリスマス [かわうそ@暦]

□クリスマス
 本日はクリスマス・イブ。明日はクリスマスと云うことで、避けては通れない(?)クリスマスの話です。

◇クリスマスはイエスの誕生日?
 クリスマスは何の日かと質問すれば、その答えの多くは「イエス・キリストの生まれた日」ではないでしょうか?ですが、福音書の記述にはイエスの誕生日が書かれていませんので、聖書からイエスの誕生日を直接に知ることは出来ません。そのためイエスの誕生日は福音書に書かれている誕生の前後の事実から推定するしかないのですが、そうした推定された誕生日の中に、12/25 というクリスマスの日付は見つかりません。たとえば、イエスが厩で生まれたとき、一番にこれを祝福に訪れたのは近くで野宿していた羊飼いであったとされていますが、冬のこの時期には氷点下にまで気温が下がるというシナイ半島で野宿しているというのはかなり無理が有りますし、大体冬の草のない時期に羊飼いが荒野で野宿する必要性はありません(草がないので、この時期に放牧するはずがない)。この羊飼いの記述が事実であるとすれば、イエスの誕生日は初夏の頃辺りがそれにふさわしそうです。

◇クリスマスはイエスの「誕生を記念する日」
 イエスの降誕記念日については三世紀始め頃、アレキサンドリアのクレメンスが5/20と推測しています(これだと、先に書いた「初夏の頃」に合致しますね)。現在の12/25 がクリスマスとして祝われている記録はAD336 のローマの行事を記述したフィロカロスの暦が最古のものといわれています。ここには12/25 にキリストはベツレヘムでお生まれになったと書かれているということですが、これは史実としての日付というより「太陽の誕生」の日と考えられた日付に「義の太陽の誕生」という意味で当てられたものだろうといわれています。キリスト教歳時記(八木谷涼子著・平凡社新書)によれば、12/25 日はイエスの「誕生を記念する日」であって、この日にナザレのイエスが生まれたと本気で主張するクリスチャンは子供を除いてはいないとのこと(本当か否かは、周辺にクリスチャンがいないので確認していません)。

◇キリスト教の布教とクリスマスの関係
 キリスト教は世界宗教として拡がって行く過程で、聖人の記念日の多くをキリスト教布教以前にその地で行われた行事の日付に当てるという戦略をとってきました。これは、その地域で行われている行事はそのままにして、行事の意味だけをキリスト教的なものにすり替えることによって、大きな抵抗を受けることなく、徐々にキリスト教的世界に人々を感化する戦略といわれます。12/25 のクリスマスもこの戦略の一環。この日は当時のローマでは「冬至祭り」の意味合いの日で、キリスト教以前にローマ帝国で広く信仰されていた太陽崇拝のミトラ教では不滅の太陽の誕生の日として大々的に祝われる日だったのです。太陽の誕生日が、冬至に当たるこの日とされたのは至極当然と考えられます。これに対して、キリスト教ではこの日を義の太陽(すなわちキリスト)の誕生の日としてこの冬至祭りを、キリストの誕生を祝う日へと変質させていったのです。太陽に対して「義の太陽」というキリストの象徴に置き換えたということですから、人間としてのイエスの誕生日という意味はそこにないことがお解り頂けると思います。あくまでも象徴としてのキリストの誕生を記念する日なのです。

◇二つのクリスマス
 西方教会と呼ばれるローマ・カソリックやプロテスタントの多くは、祭礼の日付を現在のグレゴリウス暦で祝います。これに対して東方正教会と呼ばれる正教会系の教会では祭礼の日付はユリウス暦を用いている場合が多いので、ユリウス暦での12/25 に当たる日(現在なら、翌年の 1/7がクリスマスとされています(日本の正教会系の教会では、クリスマスだけはグレゴリウス暦での12/25 日としているところもあるそうです)。

◇日本では?
 米国大使館と領事館のHPに掲載されている「宗教の自由に関する国際報告書(2022年版)https://jp.usembassy.gov/ja/religious-freedom-report-2022-ja/によれば、日本におけるクリスチャンの人口比率は 1%。かなり少数派ですね。その割には、「クリスマス」というイベントは定着していて多くの人がこれを祝っています。宗教的な行事と云うより世俗的な年中行事として。日本人にとって、クリスマスとはケーキを食べて、プレゼントをもらえる(またはプレゼントをあげる)日程度のものでしょうか?さて皆さん、今夜はケーキを召し上がりますか?

※宣伝。Web こよみのページのこちらのページも併せてお読みください。
 本日の記事+αの内容です。

 「クリスマス」 http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0755.html

                          (「2023/12/24 号 (No.6294) 」の抜粋文)
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冬桜 ! [ヘッダー画像]

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寒い中、健気に咲いています。
2023.12.23撮影
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星昴以て仲冬を正す [かわうそ@暦]

□星昴以て仲冬を正す
  日短くして 星昴(せいぼう)以て仲冬を正す 『書経・堯典』

 中国古代の政治の様子を記した書経(尚書)に書かれた言葉です。ここには暦に関係する言葉が三つあります。

  1.日短くして ・・・ 冬至の頃の意味。
  2.星昴 ・・・ 中国の星座。二十八宿の一つ昴宿。すばる。
  3.仲冬 ・・・ 三冬の真ん中。陰暦の十一月の異称。

 この短い言葉の中に三つも暦(と天文)に関係する言葉が含まれているわけですから、この言葉自体暦について語られたものだと言うことが想像出来ます。これは当時、季節の動きにあった暦を作る場合の一つの指標を語った言葉です。意味は、

  日が短く、昴(すばる)が夜のはじめに南中する時期が
  冬至の目安で、この時期が正しい仲冬(陰暦十一月)の時期である。

 と言うほどのもの。冬至を含む陰暦十一月は、翌年の暦を作る起点となる月ですから、暦を作る上ではことのほか重要な月です。冬至は北半球では太陽の南中高度が最も低くなる日ですが、太陽の南中高度が最も低くなる日を測ろうと考えたら、これは「言うは易く行いは難し」だと判ります。なかなか太陽の南中高度が一番低い日を求めるというのは大変です。そのため、別の方法でこの時期を知ることが出来ないかと考えます。今ならWeb こよみのページで「冬至」の日を調べれば済むのですが、大昔にはまだこよみのページが存在しませんから、仕方なく(?)考え出されたのが昴が南中する時間で冬至の時期を知るというもの。冒頭の言葉は、こうして生まれたのです。

◇昴(すばる)
 昴は中国の星座の一つ、昴宿。星昴などとも呼ばれます。日本では「すばる」の呼び名で知られる星で、現在はプレアデス星団と呼ばれる散開星団がこの星の正体だと知られています。余談ですが、このすばる、「スバル」と書かれることも多くて、こう書かれるとなんだか外来語のように思えますが、「統(す)ばる星」が語源だと考えられる歴とした日本語なのでした。お間違えのないように。プレアデス星団は百数十個の生まれたばかりの若い星が集まった散開星団ですが、その中でも6~7つの星が特に明るく、肉眼でもよく見えることから、日本では古くは「六連星(むつらぼし)」などともも呼ばれました。また連なった形から羽子板星などとも呼ばれます。日本では枕草子で「星はすばる」と星の中で一番に取り上げられたことでも判るとおり、美しい星の代表と考えられ美須麻流之珠(みすまるのたま)とも称えられています。中国でも日本でも、またギリシャでも個別の名前を与えられているところを見ると洋の東西を問わずその美しさは人の目を惹く存在であったと考えられます。

◇昴の南中する時間
 現在なら正確な時計などゴロゴロしていますが、大昔には正確な水晶時計などありませんでしたから、日の出や日の入りという判りやすく毎日起こる現象が時計の役割を果たしていたと推測されます。ですから、日が暮れて間もなく目立つ星が南中すると言った現象は観測する側にとっては大変有り難い現象だったはず。目立つ星、昴が日暮れから間もない時刻に南中するのを観測すると、冬至の時期が判るというのは暦を作る古代の天文学者には本当に有り難いことだったと思われます。だから書経にまでそれを意味する言葉が残ったのでしょう。さて今日は冬至の日。夜のはじめに昴が真南に見える・・・「星昴以て仲冬を正す」の言葉が生まれた理由から考えるとこうなるはずなのですが、現実の星空はそうなっていません。現在、冬至の時期に昴が南中する時刻は21:30~22:00頃。これだと、「夜のはじめ」の時間とは少々言いにくいですね。では書経に書かれた言葉がおかしいのかというとそれも違います。この違いが生まれたのは書経が成立した時代と現代との年月の隔たりです。書経の成立時期は孔子の生きた頃だと考えられていますから、今から考えると2500年程前。この2500年の隔たりが昴の見える時間を変えてしまいました。地球の「歳差運動」という現象のため、ほんの少しずつですが同じ季節でも星の見える時刻が変化して行きます。ほんの少しのずれではあるのですが、これが2500年分も積み重なるとこの差は目に見えるようになります。では、書経が成立した時代には昴が南中するのは何時頃かというと、現在の時刻で言えば、19:30 頃。書経成立以前に数百年分の観測があった結果、この言葉が生まれて書き込まれたのだと考え、更に時間を遡って考えるとこの時間帯は、19:00~19:30頃と考えられます。なるほど、夜のはじめに昴が南中する頃が冬至の頃だったんですね。

  日短くして 星昴(せいぼう)以て仲冬を正す

 と言う言葉は、季節の変化を示すと共に星の見える時間が変わるほどの年月の流れをも感じさせてくれるなと、冬至の日に思うかわうそでした。今夜晴れたら、空を見上げて昴の姿を探してみませんか?

                          (「2023/12/22 号 (No.6292) 」の抜粋文)
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冬至と柚湯・南瓜 [かわうそ@暦]

■冬至と柚湯・南瓜
 明日は冬至。近頃はクリスマス行事に隠れてしまってちょっと影が薄らいだ冬至ですが、暦の上では大事な基点。この日を境として新しい四季の巡りが始まる日ですから、冬至にまつわる行事も多く残ります。そんな大切な冬至の日を明日に控えておりますので、本日は冬至に備えて冬至の日にはつきものの(?)柚湯と南瓜の話です。

◇柚湯(ゆずゆ)
 冬至の日に柚を浮かべた風呂に入ると、一冬風邪をひくことが無いという言い伝えがあります。柚はそのまま丸ごとのものをいくつか湯に浮かべるというところもありますし、半分に切って布製の袋に入れて湯につける所もあります。我が家では布製の袋(現在はお手軽に洗濯用ネット)に半分に切った柚を数個入れて湯に浮かべています。湯につかった柚からは、精油成分が溶け出して、柚を浮かべたお風呂に入ると、身体がぽかぽかと暖まります(最初はチクチクした感じがします)。柚湯には血行促進の効果があり、冷え性、腰痛、神経痛の緩和に効果があるとか。冬至は、太陽の南中高度が最も低くなる日(北半球では)で暦の上では冬の極みなのですが、気候的に考えるとこの日を境に寒さがつのる日でもありますから、これからの寒い日々に風邪などひかず元気に過ごせるようにと言うまじないの意味があります。また「ユズ」は「融通」に通じて、お金の巡りが良くなりますようにと言う願いも込められているとか。柚の数を増やせば増やすほど金回りが・・・なんてことまでは言いませんけれど。柚湯は季節の変わり目に健康に注意しようと言う考えと、季節の節目に行う禊ぎの風習が結びついた行事ではないかと考えられています。禊ぎと言えば「水」でしょうけれど、冬のこの時期に「水」というのは、何かの修行をしている方以外には辛すぎます。柚湯でよかった・・・。

◇冬至南瓜(とうじかぼちゃ)
 冬至には南瓜を食べる風習があって、これを冬至南瓜と言います。冬至には他にも、冬至粥(とうじがゆ)といって、小豆の入ったお粥をたべるという地方もあります。冬至南瓜や、冬至粥は春を呼び戻す神を祀って、この神に供えた食べ物を一緒に食べるという祭事がその元にあると考えられます。春を呼び戻すと言うことは、太陽の力を再び呼び戻すと言うことで、太陽の力の戻ってくる「南」から伝来した珍しい南瓜という夏野菜(南瓜は、外来の野菜。日本には「カンボジア」経由で伝えられたところから「カボチャ」と呼ばれるようになったそうです)は、太陽の力の復活を願う行事の供え物としては最適だったのでしょう。名前だって「南の瓜」。本当にピッタリですね。南瓜は食べ物としてだけ見ても栄養価が高く、また夏野菜であるにもかかわらず長く保存出来るものですから、野菜の少ない冬の時期には貴重な栄養源にもなります。冬至の日に南瓜を食べると、中風にならず、風邪もひかないと言う言い伝えが各地に残りますが、単なる呪いだけでない栄養学的な理由もあると言うところでしょうか。明日に迫った当時の日に備え、柚と南瓜を調達しましょう!冬至南瓜を食べ、柚の浮かぶお風呂に入って、これからますます寒くなる冬を元気に乗り切りましょう!!

※こちらもよろしく、参考記事「冬至の話」( http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0748.html )

                          (「2023/12/21 号 (No.6291) 」の抜粋文)
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