KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]
今、北海道でオーロラの撮影に成功しました。
— KAGAYA (@KAGAYA_11949) December 1, 2023
北の空低く、肉眼でもほのかに見えていました。
磁気嵐の予報をみて、急遽北海道に来たところでした。
(北海道網走郡にて撮影) pic.twitter.com/aNW5YFPTfJ
「カレンダーの日」と日付について [かわうそ@暦]
□「カレンダーの日」と日付について
本日、12/3は「カレンダーの日」。数行上(↑)の今日の記念日からこの記念日の由来を引用すると「全国団扇扇子カレンダー協議会が1987年(昭和62年)に制定したもので、1872年(明治5年)のこの日から太陽暦が採用されたことに由来する。」となります。世の中にはいろいろな団体があって、いろいろな記念日を提唱しているものです。全国団扇扇子カレンダー協議会なんていう団体もあるんですね。
全国団扇扇子カレンダー協議会 ⇒ https://zenkyo.net/index.html
カレンダーの日 ⇒ https://zenkyo.net/calendar/calendars-day/
カレンダーの日の由来の中に登場する改暦は太陰太陽暦(天保壬寅暦)から太陽暦(グレゴリウス暦、ただし置閏法は1898年に修正するまでは誤ってユリウス暦法のもの)への改暦です。この改暦はそれまでも幾度もあった改暦とは比べものにならない大改暦。社会的な影響も大きいものでした。現在「旧暦と新暦」と言われる場合の旧暦と新暦はこの改暦以前と以後の暦と言う意味になります。この改暦では
明治 5年(1872年)12月 2日の翌日は、 (太陰太陽暦)
明治 6年(1873年) 1月 1日 (太陽暦)
となりました。つまり明治 5年12月 3日に相当する日が明治 6年 1月 1日ということから、全国団扇扇子カレンダー協議会は
> 1872年(明治5年)のこの日から太陽暦が採用されたことに由来する
としてこの記念日を設けています。が、なんだか変ですね、この説明。皆さんは覚えませんか、この違和感。この違和感の原因を考える、行き着いた答えは次の3つ。
1.明治 5年12月 3日という日付は改暦によって無いことになっている。
2.明治 5年12月 3日という日付になるはずだった日はグレゴリウス暦では明治 6年 1月 1日である。
3.現在使われている新暦はグレゴリウス暦(準拠)である。
上記の1~3から考えると、「カレンダーの日」に相応しいグレゴリウス暦の日付は・・・1月1日になりませんかね?失われた明治 5年12月 3日を悼む記念日というのであれば12月3日でも良いと思うのですが。
◇「カレンダーの日」に見る、日付の発明
このちょっとおかしな「カレンダーの日」の日付ですが、これを見ると、日付の発明というのは、すごいことだったんだなと考えさせられます。明治改暦によって、新しく採用された太陽暦による年の始まりがカレンダーの日であれば、それは明治6年の1月1日であって、現在もその新暦を使い続けていることを考えれば、「カレンダーの日」は1月1日の方が相応しい気もしますが、カレンダーの日は結局はなくなってしまった明治5年の12月3日という日付の月日の部分だけを取り出して、それを異なる暦である新暦の12月3日という同じ月日に当てはめた記念日です。月日が同じだからといって、その月日が異なる暦によって表されたものである以上、「同じ日」を表しているわけではないのですが「カレンダーの日」の日を新暦の12月3日とすることについて、さほどの違和感は覚えません。まぁ、普通の方々は「カレンダーの日」の存在そのものを知らないと思いますがね。目に見ることも出来ず、捉えることも出来ない時の流れを記録する一つの方法として、どこかの誰かが「日付」という概念で、捉え難い時の流れに目印をつけることを発明してくれたおかげで、私たちは過去と未来について具体的に時の流れを捉えることが出来るようになりました。これは月日だけではなく年についても同じ。徳川家康が江戸幕府を開いたのは慶長8年(西暦1603年)などと説明されることがありますが、慶長8年と西暦1603年は同じ期間を示すものではありません。大概の場合それを問題にすることはありません。「今年は江戸幕府が開かれてから420年か」と。慶長8年(西暦1603年)という時の流れに結びつけられた(固定された)標識の遠さを見て、その標識までの距離という具体的な感覚を得ることが出来るようになった。
※慶長8年の期間は西暦(グレゴリオ暦)1603/2/11~1604/1/30ですから、年数だけを抜き出せば1603年か1604年となります。
「カレンダーの日」が現実にはなかったはずの明治5年12月3日という日付に結びつけられていることは、おかしな話にも思えますが毎年12月3日という標識の横を通り過ぎるたびにああ、この日付は旧暦から新暦に切り替わった特別な日なんだと思い出すことが出来ます。こう考えてみると、時の流れという見えないものを日付(年月日)という目に見える形を与えるという発明は、すごい発明だなと思えます。なお、「カレンダーの日」は明治6年1月1日に置いた方が矛盾がないと私は思いますが、1月1日では沢山の「標識」が林立していることでしょうから、目立たせるためにあえて12月3日にしたのだろうという意図は理解します。大人の事情というやつですかね。本日の「カレンダーの日」の詳しい由来などについては、きっと他の暦やカレンダー関係のサイト(先に紹介した全国団扇扇子カレンダー協議会のサイトとか)が書いてくれているでしょうから、こよみのページでは、「カレンダーの日」という標識と結びつけて、日付という大発明について、かわうその感想(?)を書いてみました。まったくもって「雑感」でございました。下らない話で済みません。
(「2023/12/03 号 (No.6273)」の抜粋文)
本日、12/3は「カレンダーの日」。数行上(↑)の今日の記念日からこの記念日の由来を引用すると「全国団扇扇子カレンダー協議会が1987年(昭和62年)に制定したもので、1872年(明治5年)のこの日から太陽暦が採用されたことに由来する。」となります。世の中にはいろいろな団体があって、いろいろな記念日を提唱しているものです。全国団扇扇子カレンダー協議会なんていう団体もあるんですね。
全国団扇扇子カレンダー協議会 ⇒ https://zenkyo.net/index.html
カレンダーの日 ⇒ https://zenkyo.net/calendar/calendars-day/
カレンダーの日の由来の中に登場する改暦は太陰太陽暦(天保壬寅暦)から太陽暦(グレゴリウス暦、ただし置閏法は1898年に修正するまでは誤ってユリウス暦法のもの)への改暦です。この改暦はそれまでも幾度もあった改暦とは比べものにならない大改暦。社会的な影響も大きいものでした。現在「旧暦と新暦」と言われる場合の旧暦と新暦はこの改暦以前と以後の暦と言う意味になります。この改暦では
明治 5年(1872年)12月 2日の翌日は、 (太陰太陽暦)
明治 6年(1873年) 1月 1日 (太陽暦)
となりました。つまり明治 5年12月 3日に相当する日が明治 6年 1月 1日ということから、全国団扇扇子カレンダー協議会は
> 1872年(明治5年)のこの日から太陽暦が採用されたことに由来する
としてこの記念日を設けています。が、なんだか変ですね、この説明。皆さんは覚えませんか、この違和感。この違和感の原因を考える、行き着いた答えは次の3つ。
1.明治 5年12月 3日という日付は改暦によって無いことになっている。
2.明治 5年12月 3日という日付になるはずだった日はグレゴリウス暦では明治 6年 1月 1日である。
3.現在使われている新暦はグレゴリウス暦(準拠)である。
上記の1~3から考えると、「カレンダーの日」に相応しいグレゴリウス暦の日付は・・・1月1日になりませんかね?失われた明治 5年12月 3日を悼む記念日というのであれば12月3日でも良いと思うのですが。
◇「カレンダーの日」に見る、日付の発明
このちょっとおかしな「カレンダーの日」の日付ですが、これを見ると、日付の発明というのは、すごいことだったんだなと考えさせられます。明治改暦によって、新しく採用された太陽暦による年の始まりがカレンダーの日であれば、それは明治6年の1月1日であって、現在もその新暦を使い続けていることを考えれば、「カレンダーの日」は1月1日の方が相応しい気もしますが、カレンダーの日は結局はなくなってしまった明治5年の12月3日という日付の月日の部分だけを取り出して、それを異なる暦である新暦の12月3日という同じ月日に当てはめた記念日です。月日が同じだからといって、その月日が異なる暦によって表されたものである以上、「同じ日」を表しているわけではないのですが「カレンダーの日」の日を新暦の12月3日とすることについて、さほどの違和感は覚えません。まぁ、普通の方々は「カレンダーの日」の存在そのものを知らないと思いますがね。目に見ることも出来ず、捉えることも出来ない時の流れを記録する一つの方法として、どこかの誰かが「日付」という概念で、捉え難い時の流れに目印をつけることを発明してくれたおかげで、私たちは過去と未来について具体的に時の流れを捉えることが出来るようになりました。これは月日だけではなく年についても同じ。徳川家康が江戸幕府を開いたのは慶長8年(西暦1603年)などと説明されることがありますが、慶長8年と西暦1603年は同じ期間を示すものではありません。大概の場合それを問題にすることはありません。「今年は江戸幕府が開かれてから420年か」と。慶長8年(西暦1603年)という時の流れに結びつけられた(固定された)標識の遠さを見て、その標識までの距離という具体的な感覚を得ることが出来るようになった。
※慶長8年の期間は西暦(グレゴリオ暦)1603/2/11~1604/1/30ですから、年数だけを抜き出せば1603年か1604年となります。
「カレンダーの日」が現実にはなかったはずの明治5年12月3日という日付に結びつけられていることは、おかしな話にも思えますが毎年12月3日という標識の横を通り過ぎるたびにああ、この日付は旧暦から新暦に切り替わった特別な日なんだと思い出すことが出来ます。こう考えてみると、時の流れという見えないものを日付(年月日)という目に見える形を与えるという発明は、すごい発明だなと思えます。なお、「カレンダーの日」は明治6年1月1日に置いた方が矛盾がないと私は思いますが、1月1日では沢山の「標識」が林立していることでしょうから、目立たせるためにあえて12月3日にしたのだろうという意図は理解します。大人の事情というやつですかね。本日の「カレンダーの日」の詳しい由来などについては、きっと他の暦やカレンダー関係のサイト(先に紹介した全国団扇扇子カレンダー協議会のサイトとか)が書いてくれているでしょうから、こよみのページでは、「カレンダーの日」という標識と結びつけて、日付という大発明について、かわうその感想(?)を書いてみました。まったくもって「雑感」でございました。下らない話で済みません。
(「2023/12/03 号 (No.6273)」の抜粋文)