2020-12-09 [twitter投稿]
hippocampus460ノブドウ - 絵画風 https://t.co/eYp4q1lS0t @hippocampus460より12/08 18:02 hippocampus460『今日(12/8)の夜更けの空に昇る月は【下弦の半月】です』hippo@home|https://t.co/AR5FiJ3gI712/08 18:30 hippocampus460『KAGAYA (@KAGAYA_11949)』hippo@home|https://t.co/mJu8IBSJjU12/08 22:24 hippocampus460おはようございます!6時半起床、天気 /欠けていく三日月(7時17分、輝面比42%)視認!今日は有明月、月齢23.8。月の出:0時38分、月の入:13時30分です(北九州) /今朝の空は薄曇り、南空の高い位置にお月さん!PM2… https://t.co/Z6nLyGGMbf12/09 07:23 hippocampus460『【片腹痛い】 (かたはら いたい)』hippo@home|https://t.co/ni6VjU1VDu12/09 12:20 hippocampus460『クリスマスローズ !』hippo@home|https://t.co/CHlFeXyvbV12/09 17:24 hippocampus460日中、良い天気に恵まれる。風は冷たかった!PM2.5のレベルは8(15→8)、AQI:良い /午前中、3ヶ月に一度の歯石除去で歯科医院に出かける。特に異状なし!其の足で、久しぶりにJA直鞍なのはな畑に向かい、花を少しパチリ(*^_… https://t.co/CfOGBDGyGc12/09 17:42
【片腹痛い】 (かたはら いたい) [かわうそ@暦]
【片腹痛い】 (かたはら いたい)
[形]かたはらいた・し(ク)(「傍」のカタハラを片腹の意に誤ったことから起こった語)身のほど知らずな相手の態度を笑いとばす意。笑止である。ちゃんちゃらおかしい。日葡辞書「カタハライタイ」。浄瑠璃、出世景清「腕無しのふりづんばい、―・し、事をかし」→かたわらいたい《広辞苑・第六版》
十年程も前になりますが、辞書を引いていて「片腹痛い」の文字がとびこんできました。目に飛び込んできたついでに、この言葉の意味を確認してみようと思い、語釈を読んでみてはじめて「傍ら痛い」という言葉があることと「片腹痛い」がこの「傍ら痛い」の「傍ら」を「片腹」に取り違えたところから生まれた言葉であると知りました。今までの人生のうち、実に 80%以上の期間を私はこの「片腹痛い」の方だけしか知らなかったのでした。そんな迂闊な者が「コトノハ」などとは、片腹痛いそう笑われても仕方がない。身の程知らずの相手を笑いとばし、それこそ脇腹が痛くなるほど笑うことなのかなと、そんな風にしか考えていませんでした。脇腹が痛くなるほどの笑いは笑いすぎかも知れませんが、「片腹痛い」という言葉であれば、この解釈でも間違いとはいえません。とはいえ、はずかしいことには違いがありませんけれど。元となった「傍ら痛い」は、気の毒であるとか、(相手の気持を慮って)傍らにいて辛くなるという意味の言葉。「片腹痛い」とはまるでちがった意味の言葉です。わかっているつもりの言葉でも、たまには辞書でその意味を確かめてみるべきだなと、教えてくれた「片腹痛い」話でした。しかし、「片腹痛い」ではなくて、その元になった「傍ら痛い」という言葉は、今でもまだ使えるかな? 使っても意味が伝わらないかもと思うのですが、どうでしょう?間違いから生まれた片腹痛いの陰に隠れるようにして、忘れられてしまった(と思う)傍ら痛いという言葉は気の毒です。「傍ら痛い」は、こんなときに使えばいいのかな?(「2020/12/09 号 (No.5184)」の抜粋文)
[形]かたはらいた・し(ク)(「傍」のカタハラを片腹の意に誤ったことから起こった語)身のほど知らずな相手の態度を笑いとばす意。笑止である。ちゃんちゃらおかしい。日葡辞書「カタハライタイ」。浄瑠璃、出世景清「腕無しのふりづんばい、―・し、事をかし」→かたわらいたい《広辞苑・第六版》
十年程も前になりますが、辞書を引いていて「片腹痛い」の文字がとびこんできました。目に飛び込んできたついでに、この言葉の意味を確認してみようと思い、語釈を読んでみてはじめて「傍ら痛い」という言葉があることと「片腹痛い」がこの「傍ら痛い」の「傍ら」を「片腹」に取り違えたところから生まれた言葉であると知りました。今までの人生のうち、実に 80%以上の期間を私はこの「片腹痛い」の方だけしか知らなかったのでした。そんな迂闊な者が「コトノハ」などとは、片腹痛いそう笑われても仕方がない。身の程知らずの相手を笑いとばし、それこそ脇腹が痛くなるほど笑うことなのかなと、そんな風にしか考えていませんでした。脇腹が痛くなるほどの笑いは笑いすぎかも知れませんが、「片腹痛い」という言葉であれば、この解釈でも間違いとはいえません。とはいえ、はずかしいことには違いがありませんけれど。元となった「傍ら痛い」は、気の毒であるとか、(相手の気持を慮って)傍らにいて辛くなるという意味の言葉。「片腹痛い」とはまるでちがった意味の言葉です。わかっているつもりの言葉でも、たまには辞書でその意味を確かめてみるべきだなと、教えてくれた「片腹痛い」話でした。しかし、「片腹痛い」ではなくて、その元になった「傍ら痛い」という言葉は、今でもまだ使えるかな? 使っても意味が伝わらないかもと思うのですが、どうでしょう?間違いから生まれた片腹痛いの陰に隠れるようにして、忘れられてしまった(と思う)傍ら痛いという言葉は気の毒です。「傍ら痛い」は、こんなときに使えばいいのかな?(「2020/12/09 号 (No.5184)」の抜粋文)