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「松迎え」は今日まで? [かわうそ@暦]

□「松迎え」は今日まで?
 今年も残すところ 4日。ここまで来ると意識は年末と言うより、新年に向かい始める頃ですね。新聞やTVのニュースにも、新年の話題がふえてきました。皆さんのお宅でも、新年の準備を始め、あるいはすでに終えられているかもしれませんね。

◇松迎え
 門松などの正月の松飾り用の松を採りに山に入るのは正月の事始め以後。この松飾り用の松を採りに行く行事が松迎えです。松迎えは正月の事始め以後ですから事始めの 12/13以降であればよいわけですがまだまだ、大丈夫なんて思っているうちに気がつけば12/28。あれれ、まずい。もう後がありませんよ。松は、「祀る(まつる)」が語源であるという説があるほどで、古くから神の依り代、神と交わる木として崇めらる木です。正月行事における松は、新年の年神の依り代、或いは年神への目印としての働きが考えられます。本来は依り代的な使い方が主であったと考えられ、この場合は家の神棚に飾られることが多いようです。松は正に「神を待つ木」だったのです。かく言う私の実家ではこの「依り代」としての松で、この松を正月様と呼んでおりました。それがいつの間にやら、年神を導くための目印化して神棚から家の玄関へ、そして門へと移動したようです。門松はすでに平安時代には登場したようですが、登場した頃は門の左右に飾られるのではなくて、門の間(あるいは玄関)に一本だけ飾ってあったとか。神様を導く目印だとすれば「一本」が当たり前ですが、門前、玄関前の真ん中に一本松が立っていたら、人が往来するには不便だったしょうね。門松が現在のような「門の左右」に置かれるようになったのはそうした事情からでしょうか。

◇松迎えは28日まで?
 松迎えは、大体はその家の家長か新年の年男が行うもので、28日頃にはこれを終えておきます。これは、29日は「九」は「苦」に通じるとしてこの日に松を採るのは「苦松(くまつ)」といわれ嫌われたからとか。また、31日では一夜飾り的で、あまりに即席で神様に失礼と考えられるためやはり松迎えの日としては忌まれました。もし28日までに用意出来なかったら・・・、30日が空白の一日でしょうか?

◇松迎えの個人的な思い出
 個人的な松迎えの思い出としては、子供の頃のこと。小学生くらいの頃には、松迎えの役割を与えられてました。その当時は、深い意味などわかりませんでしたが松の木の天辺にある、格好のいい枝を採ってくることが私の使命と、毎年冬になると近所の山の木を眺めて格好の佳い枝を探したものです。その辺の山の木の枝の一本や二本、伐ってきたって誰も問題になどしないのどかな時代(地域的なものかな?)でしたからね。松の木の天辺辺りまで昇って、鋸または鉈で枝を切る時には、林冠に頭を出しているので、遠くの山までよく見えて、北の山から風で運ばれてくる雪が舞う姿を眺めたことを覚えています。子供ながらに何か、一仕事しているような誇らしい気持ちで、舞い飛ぶ雪を眺めたものでした。さて今年も残すところわずか。松迎えも「空白の一日」を別とすれば、今日がラスト。ちょっと焦らないといけませんね。(「2020/12/28 号 (No.5203)」の抜粋文)

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2020-12-28 [twitter投稿]



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落ち葉に埋もれる花 ! [ヘッダー画像]

201225no37.JPG
撮影日:2020.12.25
福智山ろく花公園
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