2018-03-10 [twitter投稿]
hippocampus460おはようございます!7時半起床、天気 /欠けていく三日月(7時46分、輝面比48%)視認!今日は下弦の月(弓張月)、月齢22.0。月の出:1時25分、月の入:11時56分です(北九州) /今朝の空、久しぶりに青空広がる。お日さ… https://t.co/x712f4CX9b03/10 07:55 hippocampus460『KAGAYA (@KAGAYA_11949)』hippo@home|https://t.co/w7IrZkvH5W03/10 08:21 hippocampus460『西暦(せいれき)』hippo@home|https://t.co/YGElWZ5dvm03/10 16:34 hippocampus460『オダマキ(苧環)!』hippo@home|https://t.co/5Uyp7Gfxld03/10 16:52 hippocampus460日中は良い天気に恵まれる /午前中、花公園に出かける。サクラが咲き始め、春麗らという感じ?来園者、花撮り、鳥撮り仲間の方々も多かった。カワズザクラ、トサミズキ、ミスミソウ、ジャノメエリカを撮る。ユキワリイチゲは今回も蕾状態で撮れなかった、残念!03/10 17:19
西暦(せいれき) [かわうそ@暦]
□西暦(せいれき)
本日は、西暦2018年 3月10日、土曜日です。といった具合に、当たり前に使われている「西暦」について、本日は採り上げて見みます。あんまり、当たり前に使うものですから、当たり前すぎて、「何を今さら?」と思うかもしれませんが、まずはお付き合いを。
◇辞書による説明
【西暦】(せいれき) 西洋の暦。イエス=キリストが誕生したとされる年を紀元元年とする。
西紀。→紀元 《広辞苑・第六版》
コトノハでいつもお世話になっている広辞苑ですが本日は「暦のこぼれ話」にご登場願いました。しかし、残念なことに説明はあっさりしていて、わずかに二行しかない。広辞苑の説明が、もし20行もあってくれれば、以上、説明終わりと最後に書き加えれば、本日の私の仕事は終わったはずなのに。仕方がない、続きを書くか。
◇もちっと詳しく「西暦」の話
さて、広辞苑の説明のとおりだとすると、イエスが生まれた年が紀元元年。紀元1年ということになります。イエスが生まれたのがクリスマス、12/25 ですから、イエスは西暦 1年12月25日生まれということになるのか・・・。イエスの生まれた年を西暦の始めとするというのであれば、ついでに 12/25を 1/1として年首も移動してくれたら解りやすくてよかったのに、なんてぼやきたいところですが、イエスの生まれた日付が 12/25というのは冬至の儀式の日付を後から「イエスの誕生日だ」としてしまったもので、実際のイエスの誕生日とは無関係ですから、文句を云っても仕方ない。
閑話休題
イエスの誕生年が西暦の元年となったというのは、もちろん後世に決められたものです。何と云っても、イエスが生まれた年に将来その子が、世の救い主と呼ばれる存在になるなんて、誰も知らなかったはずですから(東方の三博士なんて本当にいたとは思えませんものね)、後付けにならざるを得ないのですが。この後付けをしたのは誰かというと、六世紀に生きたローマの大修道院長ディオニシウス・エクシグヌスだと云われています。この人物は、神学者であり、また年代学者でも有りました。当時、ディオニシウスが取り組んでいたのが、復活祭の日付の計算方法を作ることでした。自分たちの信じる神の復活の日を祝うという、キリスト教の祝日の中でもっとも重要な祝日である復活祭の日付の計算というのは、キリスト教教会では大変重要なことなのですが、復活祭は「○月△日は復活祭」と、日付が固定されているものではなくて春分の日以降の満月の次の日曜日を復活祭とするなんていう、面倒くさい(失礼?)決まりになっているため、計算が大変なのです。ちなみに、ここ最近の復活祭の日付を計算して見ると
2017/04/16 , 2018/04/01 , 2019/04/21 , 2020/04/12 , 2021/04/04
※この例はカソリックの計算方式によるものです
となります。まるで無秩序のようにも見えます。今なら、計算機を用いれば複雑な計算も一瞬で終わってしまいますが、そうした便利なものが無い時代には、この計算は大変でした。ディオニシウスはこの大変な問題に取り組んでいたのでした。ディオニシウスは計算方法を研究する中で、計算するために用いる年数を数えるための起点(紀元)として、このイエスの生まれた年を紀元として用いました。「用いました」と書きましたが、実はディオニシウスが計算方法を考えている頃に、当時のローマでよく用いられていた紀元は別のもので、ディオクレティアヌス紀元と呼ばれるものでした。このディオクレティアヌス紀元とは、三世紀から四世紀にかけて生きたローマ皇帝の一人、ディオクレティアヌスの即位年を紀元とするもので、別名を「殉教者の紀元」と呼ばれました。その理由は、ディオクレティアヌス帝がキリスト教徒を残酷に迫害した皇帝であったためでした。ディオニシウスが復活祭の日付の計算方法の研究に取り組んでいた六世紀には、既にキリスト教はローマ帝国の国教となって久しく、キリスト教徒の迫害は遠い過去のことになっていました。とはいえ、キリスト教における最重要の祝日である復活祭の日付を、キリスト教徒の迫害者として知られた皇帝の即位を紀元とする年数で計算するのは具合が悪い。そこでディオニシウスが考えたのが、イエスの生誕年を紀元とする暦、現在の西暦、キリスト紀元の暦です。ディオニシウスは、ディオクレティアヌス紀元 247年 = キリスト紀元 531年とするキリスト紀元の西暦を考え出しました。ディオニシウスがどのようにしてイエスの生誕年を推定したのかは伝わっていないので、検証のしようもないのですが、現在はイエスの生誕はこの西暦で云えば紀元前 4年頃と考えられているようですので・・・間違っていたのかな?キリスト紀元の元年が本当にイエスの生誕した年であったか否かは、そうした研究をする人達にとっては大問題かもしれませんが、そうしたことに興味のない私達にとっては、大した問題ではありません。それよりは、今年は西暦2018年ですということが、正しく伝わりさえすればそれでよいのです。ディオニシウスの考えたキリスト紀元での年数の表記は、次第に支持を得るようになり、十世紀頃からはこの紀元を正式に採用する国が徐々に増えて、現在は世界で最も広く使われる公用紀元となりました。日本ではこのキリスト紀元の記念法を「西洋で使われている暦」という意味で「西暦」と呼ぶようになり、現在に至っています。ちなみに、日本にキリスト教が伝わった頃の日本のキリシタンが用いていた暦には西暦の年数が「御出生以来○○年」と書かれていたそうです。(『2018/03/10 号 (No.4179) 』の抜粋文)
本日は、西暦2018年 3月10日、土曜日です。といった具合に、当たり前に使われている「西暦」について、本日は採り上げて見みます。あんまり、当たり前に使うものですから、当たり前すぎて、「何を今さら?」と思うかもしれませんが、まずはお付き合いを。
◇辞書による説明
【西暦】(せいれき) 西洋の暦。イエス=キリストが誕生したとされる年を紀元元年とする。
西紀。→紀元 《広辞苑・第六版》
コトノハでいつもお世話になっている広辞苑ですが本日は「暦のこぼれ話」にご登場願いました。しかし、残念なことに説明はあっさりしていて、わずかに二行しかない。広辞苑の説明が、もし20行もあってくれれば、以上、説明終わりと最後に書き加えれば、本日の私の仕事は終わったはずなのに。仕方がない、続きを書くか。
◇もちっと詳しく「西暦」の話
さて、広辞苑の説明のとおりだとすると、イエスが生まれた年が紀元元年。紀元1年ということになります。イエスが生まれたのがクリスマス、12/25 ですから、イエスは西暦 1年12月25日生まれということになるのか・・・。イエスの生まれた年を西暦の始めとするというのであれば、ついでに 12/25を 1/1として年首も移動してくれたら解りやすくてよかったのに、なんてぼやきたいところですが、イエスの生まれた日付が 12/25というのは冬至の儀式の日付を後から「イエスの誕生日だ」としてしまったもので、実際のイエスの誕生日とは無関係ですから、文句を云っても仕方ない。
閑話休題
イエスの誕生年が西暦の元年となったというのは、もちろん後世に決められたものです。何と云っても、イエスが生まれた年に将来その子が、世の救い主と呼ばれる存在になるなんて、誰も知らなかったはずですから(東方の三博士なんて本当にいたとは思えませんものね)、後付けにならざるを得ないのですが。この後付けをしたのは誰かというと、六世紀に生きたローマの大修道院長ディオニシウス・エクシグヌスだと云われています。この人物は、神学者であり、また年代学者でも有りました。当時、ディオニシウスが取り組んでいたのが、復活祭の日付の計算方法を作ることでした。自分たちの信じる神の復活の日を祝うという、キリスト教の祝日の中でもっとも重要な祝日である復活祭の日付の計算というのは、キリスト教教会では大変重要なことなのですが、復活祭は「○月△日は復活祭」と、日付が固定されているものではなくて春分の日以降の満月の次の日曜日を復活祭とするなんていう、面倒くさい(失礼?)決まりになっているため、計算が大変なのです。ちなみに、ここ最近の復活祭の日付を計算して見ると
2017/04/16 , 2018/04/01 , 2019/04/21 , 2020/04/12 , 2021/04/04
※この例はカソリックの計算方式によるものです
となります。まるで無秩序のようにも見えます。今なら、計算機を用いれば複雑な計算も一瞬で終わってしまいますが、そうした便利なものが無い時代には、この計算は大変でした。ディオニシウスはこの大変な問題に取り組んでいたのでした。ディオニシウスは計算方法を研究する中で、計算するために用いる年数を数えるための起点(紀元)として、このイエスの生まれた年を紀元として用いました。「用いました」と書きましたが、実はディオニシウスが計算方法を考えている頃に、当時のローマでよく用いられていた紀元は別のもので、ディオクレティアヌス紀元と呼ばれるものでした。このディオクレティアヌス紀元とは、三世紀から四世紀にかけて生きたローマ皇帝の一人、ディオクレティアヌスの即位年を紀元とするもので、別名を「殉教者の紀元」と呼ばれました。その理由は、ディオクレティアヌス帝がキリスト教徒を残酷に迫害した皇帝であったためでした。ディオニシウスが復活祭の日付の計算方法の研究に取り組んでいた六世紀には、既にキリスト教はローマ帝国の国教となって久しく、キリスト教徒の迫害は遠い過去のことになっていました。とはいえ、キリスト教における最重要の祝日である復活祭の日付を、キリスト教徒の迫害者として知られた皇帝の即位を紀元とする年数で計算するのは具合が悪い。そこでディオニシウスが考えたのが、イエスの生誕年を紀元とする暦、現在の西暦、キリスト紀元の暦です。ディオニシウスは、ディオクレティアヌス紀元 247年 = キリスト紀元 531年とするキリスト紀元の西暦を考え出しました。ディオニシウスがどのようにしてイエスの生誕年を推定したのかは伝わっていないので、検証のしようもないのですが、現在はイエスの生誕はこの西暦で云えば紀元前 4年頃と考えられているようですので・・・間違っていたのかな?キリスト紀元の元年が本当にイエスの生誕した年であったか否かは、そうした研究をする人達にとっては大問題かもしれませんが、そうしたことに興味のない私達にとっては、大した問題ではありません。それよりは、今年は西暦2018年ですということが、正しく伝わりさえすればそれでよいのです。ディオニシウスの考えたキリスト紀元での年数の表記は、次第に支持を得るようになり、十世紀頃からはこの紀元を正式に採用する国が徐々に増えて、現在は世界で最も広く使われる公用紀元となりました。日本ではこのキリスト紀元の記念法を「西洋で使われている暦」という意味で「西暦」と呼ぶようになり、現在に至っています。ちなみに、日本にキリスト教が伝わった頃の日本のキリシタンが用いていた暦には西暦の年数が「御出生以来○○年」と書かれていたそうです。(『2018/03/10 号 (No.4179) 』の抜粋文)
KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]
雪桜。
— KAGAYA (@KAGAYA_11949) 2018年3月9日
会うはずのない幻の共演。
(以前の写真より)
今週もお疲れさまでした。おだやかな週末になりますように。 pic.twitter.com/NBDLQ9bOQV