2018-03-24 [twitter投稿]
hippocampus460モモ - 絵画風 https://t.co/aJO9YZD06D03/23 18:06 hippocampus460kayy5321nukazukeさんの写真 https://t.co/BODMCYetuI03/23 18:27 hippocampus460kayy5321nukazukeさんの写真 https://t.co/UujuUIgKX503/23 18:27 hippocampus460satomeeecoさんの写真 https://t.co/F6IlPqZRU903/23 18:28 hippocampus460merimerimegさんの写真 https://t.co/rx2yTln7HI03/23 18:28 hippocampus460merimerimegさんの写真 https://t.co/imPiJ8pu9e03/23 18:28 hippocampus460おはようございます!7時起床、天気 /満ちていく三日月(7時19分、輝面比40%)視認できず。今日は宵月、月齢6.4。月の入:0時22分、月の出:11時00分です(北九州) /今朝の空は雲が在るものの概ね晴れ!お日さんが眩しい… https://t.co/Eo9hL5G5H903/24 07:26 hippocampus460『時ならぬ雪の日の大事件』hippo@home|https://t.co/xtCUSXof1L03/24 12:37 hippocampus460『サイネリア!』hippo@home|https://t.co/O35Lg4eh9U03/24 16:13 hippocampus460冷たい風が吹くが良い天気に恵まれる! /午前中、月一度の散髪に出かける。帰り、魚屋さんでお気に入りの寿司、お茶屋さんでコーヒー豆と煎茶を購入。昼食は安くて美味しい寿司です(*^_^*) 午後、本屋さん。病気入院で配達不可のため、e-honで注文していた文庫本を取りに行く。03/24 16:33
時ならぬ雪の日の大事件 [かわうそ@暦]
■時ならぬ雪の日の大事件
今朝の東京は、春らしい暖かさ。3日前には雪がちらついたというのに、今週は寒暖の差の激しい一週間でした。それにしても、三日前の春分の日に雪が降ったのには驚きました。3月も下旬だというのに。もう雪は降らないなと安心して、ノーマルタイヤの車で出かけて、大変な目に遭ったという方もいらっしゃったかも。時ならぬ雪は、いろいろな事件を引き起こしたようです。そんな、時ならぬ雪に驚き、また、時ならぬ雪の日に大事件が起こった年がありました。それは、今から 158年前のこと。1860年3月24日がその日。この日は歴史上有名な、桜田門外の変が起こった日です。桜田門外の変は、日米修好条約締結や開港政策、それに安政の大獄などによる倒幕派への強圧的な政策をとり続ける大老井伊直弼への不満から、水戸・薩摩の浪士が井伊大老の登城を狙ってこの行列を襲撃、井伊大老を暗殺した事件です。襲撃に加わった者は、水戸藩十七名(うち一名は総指揮で、襲撃実行部隊には参加していない)、薩摩藩一名。襲撃によって井伊直弼とこれに随従した彦根藩士八名が死亡。襲撃した浪士も八名が死亡(自刃も含む)。さらにその後に捕縛され斬罪に書せられた者七名でした。残りの三名は逃亡しています。
◇桜田門外の変と雛祭り
事変が発生したのは安政 7年 3月 3日。時刻は五ツ半といいますから、現在でいえば午前 9時頃のこと。襲撃がこの日に計画されたのは、この日が 3月 3日、つまり雛祭りだったからです。雛祭りは「上巳の節供(じょうしのせっく)」というのが節供としての正しい呼び名です。上巳の節供は人日、端午、七夕、重陽という他の四つの節供と合わせて五節供といいます。この五節供は江戸幕府が定めた祝日に相当する「式日(しきじつ)」とされていました。式日には、江戸在府の大名は江戸城へ総登城し、将軍家に対して祝いを述べる特別な日となっていましたから、この日であれば井伊大老も必ず登城することがわかっていました。また、式日には基本的に江戸在府の大名は皆、祝いのために登城することになりますから、沢山の大名、旗本の行列が見られます。田舎から出てきた武士達(オノボリさん)たちにとっては、沢山の大名行列を見物することの出来る恰好の日でした。オノボリさん達は、「武鑑」と呼ばれる大名や旗本の紋所や各種解説の記されたガイドブックのような本を片手に、行列見物したのだとか。ですからこの日であれば幾人もの浪士がたむろしていても、さほど怪しまれることがなかったのでした。
◇雪の雛祭り
桜田門が起こった年の上巳の節供の日、江戸には大雪が降ったとのこと。時ならぬ大雪の中を沢山の行列が江戸城に向かいました。その行列の中に、井伊大老を守りながら進む、彦根藩の行列もあったのでした。桜田門外の変では、井伊大老を護衛した彦根藩士八名が亡くなっていますがこのように被害が大きくなったところには、襲撃を予測していなかったということのほかに、この雪が関係しているといわれています。大雪であったため、警護の侍達は槍や刀に雪支度の覆いをかけていたため、襲撃が始まっても迅速に槍や刀を抜くことが出来ず、鞘ごと振り回すといった使い方をせざるをえなかったのでした。それにしても、この日は新暦でいえば3/24。この時期に「大雪」とは驚きです。当時の江戸の人々もこの大雪は「前代未聞」といぶかったそうですから現代の我々同様、当時の人達も驚いていたようです。他の年でもこうした遅い大雪の記録が無いことは無いでしょうが、それにしても何十年に一度の珍しい天気だったことは間違いなさそうです。もしこの日がこんな天気でなければ、ひょっとして井伊大老の暗殺は失敗に終わって、日本の歴史も今とは違ったものになっていた可能性もありますね。「歴史にもしもはない」といいますが、やはり「もしも・・・」と考えてしまいます。(『2018/03/24 号 (No.4193)』の抜粋文)
今朝の東京は、春らしい暖かさ。3日前には雪がちらついたというのに、今週は寒暖の差の激しい一週間でした。それにしても、三日前の春分の日に雪が降ったのには驚きました。3月も下旬だというのに。もう雪は降らないなと安心して、ノーマルタイヤの車で出かけて、大変な目に遭ったという方もいらっしゃったかも。時ならぬ雪は、いろいろな事件を引き起こしたようです。そんな、時ならぬ雪に驚き、また、時ならぬ雪の日に大事件が起こった年がありました。それは、今から 158年前のこと。1860年3月24日がその日。この日は歴史上有名な、桜田門外の変が起こった日です。桜田門外の変は、日米修好条約締結や開港政策、それに安政の大獄などによる倒幕派への強圧的な政策をとり続ける大老井伊直弼への不満から、水戸・薩摩の浪士が井伊大老の登城を狙ってこの行列を襲撃、井伊大老を暗殺した事件です。襲撃に加わった者は、水戸藩十七名(うち一名は総指揮で、襲撃実行部隊には参加していない)、薩摩藩一名。襲撃によって井伊直弼とこれに随従した彦根藩士八名が死亡。襲撃した浪士も八名が死亡(自刃も含む)。さらにその後に捕縛され斬罪に書せられた者七名でした。残りの三名は逃亡しています。
◇桜田門外の変と雛祭り
事変が発生したのは安政 7年 3月 3日。時刻は五ツ半といいますから、現在でいえば午前 9時頃のこと。襲撃がこの日に計画されたのは、この日が 3月 3日、つまり雛祭りだったからです。雛祭りは「上巳の節供(じょうしのせっく)」というのが節供としての正しい呼び名です。上巳の節供は人日、端午、七夕、重陽という他の四つの節供と合わせて五節供といいます。この五節供は江戸幕府が定めた祝日に相当する「式日(しきじつ)」とされていました。式日には、江戸在府の大名は江戸城へ総登城し、将軍家に対して祝いを述べる特別な日となっていましたから、この日であれば井伊大老も必ず登城することがわかっていました。また、式日には基本的に江戸在府の大名は皆、祝いのために登城することになりますから、沢山の大名、旗本の行列が見られます。田舎から出てきた武士達(オノボリさん)たちにとっては、沢山の大名行列を見物することの出来る恰好の日でした。オノボリさん達は、「武鑑」と呼ばれる大名や旗本の紋所や各種解説の記されたガイドブックのような本を片手に、行列見物したのだとか。ですからこの日であれば幾人もの浪士がたむろしていても、さほど怪しまれることがなかったのでした。
◇雪の雛祭り
桜田門が起こった年の上巳の節供の日、江戸には大雪が降ったとのこと。時ならぬ大雪の中を沢山の行列が江戸城に向かいました。その行列の中に、井伊大老を守りながら進む、彦根藩の行列もあったのでした。桜田門外の変では、井伊大老を護衛した彦根藩士八名が亡くなっていますがこのように被害が大きくなったところには、襲撃を予測していなかったということのほかに、この雪が関係しているといわれています。大雪であったため、警護の侍達は槍や刀に雪支度の覆いをかけていたため、襲撃が始まっても迅速に槍や刀を抜くことが出来ず、鞘ごと振り回すといった使い方をせざるをえなかったのでした。それにしても、この日は新暦でいえば3/24。この時期に「大雪」とは驚きです。当時の江戸の人々もこの大雪は「前代未聞」といぶかったそうですから現代の我々同様、当時の人達も驚いていたようです。他の年でもこうした遅い大雪の記録が無いことは無いでしょうが、それにしても何十年に一度の珍しい天気だったことは間違いなさそうです。もしこの日がこんな天気でなければ、ひょっとして井伊大老の暗殺は失敗に終わって、日本の歴史も今とは違ったものになっていた可能性もありますね。「歴史にもしもはない」といいますが、やはり「もしも・・・」と考えてしまいます。(『2018/03/24 号 (No.4193)』の抜粋文)