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2018-03-12 [twitter投稿]



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リュウキンカ(立金花)! [ヘッダー画像]

180310no5.JPG
福智山ろく花公園
撮影日:2018.03.10
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三月に起こった二月革命 [かわうそ@暦]

□三月に起こった二月革命
 『2 月革命 (1917年) 2 月革命は、第一次世界大戦中のロシアで1917年に発生した革命運動である。ロマノフ王朝による帝政が崩壊し、数年間の革命と内戦を経てソヴィエト連邦の設立につながった。』
 ・・・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 このロシア二月革命は、1917/3/8の国際女性デーにロシアの首都ペトログラード(現サンクトペテルブルク)で起こった食料配給の改善を求めるデモに端を発し、デモを鎮圧するために派遣された軍が政府の指揮を離れ反乱を起こし、3/12にはモスクワ他の諸都市にもこれが飛び火して始まった革命です。世界史の授業などでは習うはずですが、どうも近現代史は端折られる(?)ことが多いので、記憶が薄いかもしれませんが、思い出してください。さすがに、教科書には書かれていたはずですから。

◇二月革命は三月に始まった?
 さて、いきなり世界史の話が始まりましたが、この革命の名前、ちょっと暦と関係があります。だって、「二月革命」ですからね。既に書いたとおりことの発端は、1917/3/8の国際女性デー。二月革命と呼ばれるようになったモスクワでの革命運動も3/12。どっちも三月です。なのになぜ二月革命と呼ばれるのでしょうか。不思議に思いませんか?タネをばらしてしまえば、この理由は簡単。当時ロシアが使っていた暦と他の国々の大部分が使っていた暦が違っていたからです。説明に書いた日付は、「世界史」らしく世界の多くの国々が採用していたグレゴリウス暦での日付ですが、1917年当時、ロシアは他のヨーロッパ諸国とは異なった暦を用いておりました。その暦では国際婦人デーは1917/2/23 であり、モスクワでの革命勃発は2/27となるのでした。

◇ロシアの「旧暦」
 では当時のロシアで使われていた暦とは何かというと、グレゴリオ暦の前身であるユリウス暦です。ロシアの暦は現在はグレゴリオ暦ですから、ユリウス暦はロシアの旧暦と言ったところでしょうか。ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦はローマ教皇の名によって、1582年に行われたものですが、各国がすぐにこの改暦を受け入れたわけでは有りません。特に改暦の理由が「宗教がらみ」であったため、同じキリスト教でもカソリック以外の諸宗派の国々での抵抗は激しく、100年,200年 と長い時間がその浸透に必要でした。グレゴリオ暦への改暦が遅かった国の中でも大物と言えるのがこのロシア帝国で、革命の起こった1917年にはまだ、ユリウス暦を使い続けていました。ユリウス暦とグレゴリオ暦は非常によく似た暦ですが、閏日の入れ方が若干異なっていたことで、この違いがつもり積もって1917年の時点で月日が13日ずれていました。このため、

  ユリウス暦 1917/2/27 → グレゴリオ暦 1917/3/12

 といった日付の違いが生まれました(3/12・・・今日でしたね)。ですからこの革命は当時のロシア内で考えれば「二月革命」であり、周辺の諸外国(グレゴリオ暦を使用している)から見れば「三月革命」だったのでした。私の中では、「ロシアの二月革命」ですが、最近は「三月革命」と呼ぶ事もあるようです。

◇主な国々のグレゴリオ暦への改暦年
 参考まで主要な国のグレゴリオ暦への改暦年を書いてみます。

1582~1583年 イタリア、スペイン、フランス、オランダ他カソリック国
1752~1753年 イギリス、スウェーデンなど
1873~1912年 日本、李氏朝鮮、中華民国
1918年 ロシア1923年 ギリシャ

これを見ると「改暦」という事は並大抵の事では無いのだなとわかります。もう私の生きているうちには「改暦」は無いだろうな。(『2018/03/12 号 (No.4181) 』の抜粋文)
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