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2019-03-12 [twitter投稿]



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春めき桜 ! [ヘッダー画像]

190312no11.JPG
福智山ろく花公園
撮影日:2019.03.12
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半ドンの日 [かわうそ@暦]

□半ドンの日
 今日は、今日の記念日から、「半ドンの日」を取り上げます。「半ドン」、懐かしい言葉です。官公庁や企業の多くが土日休みの週休二日制度を採用し、公立の学校も同様に土日休み(ただし、学校は「週休二日制」とは言わず、「週五日制」と言っています)となって久しく、もう「半ドン」という言葉を知らない人が大部分かもしれませんね。「半ドン」という言葉に懐かしいなという思いを抱く方と、初めて聴いたと言う方とがあると思いますが、その違いは多分年代の差ですね。

◇「半ドン」とは
 週休二日制が導入される前は、官公庁や公立学校では土曜日は半日だけ勤務と云う形態をとっていました。朝普通に出勤し昼間までが仕事。午後はお休みという勤務の形態です。公立の学校も同様で、授業は午前中だけでした。私はこの「土曜半ドン」制度の時代に学校に通っていましたし、職場も土曜半ドン制をとっていましたから、半ドンと聞くと懐かしくまた、楽しかった記憶が残っています。土曜日も丸一日休みとなった現在のほうが休み自体の時間は長くなったのですが、こうなるとついつい朝寝坊して午前中はごろごろしてしまうというようなことが増えたような気がします(お前が怠惰なのだといわれるとそれっきりですが)。その点半ドン制が生きていた時代は、午前中は仕事ですから普通どおり朝起きて仕事をしますが、昼になれば仕事は終わり後は楽しい週末と思えば、目の前にニンジンをぶら下げられた馬と同じで、午前中の仕事など一瞬で終わってしまったような感覚でした。午後になればいよいよ休み、明日は日曜で、また休み!と黄金の時間がそこに広がっていた気がします。ああ、バラ色の「土曜半ドン」だったわけです。半ドンを体験していた世代の皆さん、どうでしたか?

◇土曜が半ドンとなった理由は?
 これは、太政官布告(現在の法律に相当)により明治 9年 3月12日から官公庁が土曜半休、日曜休日制を採用し、民間も次第にこれに習った結果です。明治政府はそれまで、江戸時代の慣習を踏襲して官公庁の休みを「月の 1と 6のつく日(31日は除く)」としていたのですが、これだと諸外国との交易等に不都合を生じると言うことで、休日を変更したことによります。

◇「半ドン」の語源
 なぜ土曜半休のことを「半ドン」というかには、次の二つの説があります。

○オランダ語の休日を意味する言葉「ドンタク(zondag)」が江戸末期に長崎の出島界隈から徐々に広がり、日本でも一部では休日という意味でこれを使うようになり、土曜日は半分だけ休みだと言うことから「半ドンタク」略して「半ドン」となったとする説。ちなみに、この「ドンタク」の名残は「博多どんたく」などの名にみられます。

○明治時代の午砲からという説。明治時代には、東京始めいくつかの主要都市では正午になると時報代わりに大砲を発射(もちろん砲弾は詰まっていません。空砲です)していました。この大砲のことを午砲と言いましたが、一般にはそのドンッという大きな音から「ドン」呼ばれるようになり、土曜日はこの「ドン」が聞こえるまでの半日の仕事と言うことで「半ドン」となったとするもの。

 語源の話なので、どちらが本当とはなかなか言いにくいところですが、前者の方が有力だと考えられているようです。本日は「半ドンの日」ということで、私には懐かしい「半ドン」の話を書いて見ましたが、残念ながら本日は火曜日。半ドンじゃなくて、ドンタクでもなくて、普通に一日働く平日。ああ、半ドンの日があった昔が懐かしい~とノスタルジーに浸りながら、一日まじめに仕事することにいたします。(「2019/03/12 号 (No.4546)」の抜粋文)
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