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涅槃会の日付と仏滅の話 [かわうそ@暦]

□涅槃会の日付と仏滅の話
 今日、 3/15は涅槃会。お釈迦様が入滅なさったと伝えられる日です。といっても、お釈迦様の入滅の日は2/15とされていますので、3/15は旧暦の日付を一月後の月の同じ日に読み替える(?)という、いわゆる月遅れの日付での涅槃会です。さてさて、お釈迦様が入滅なさった、つまり「仏」が「滅した」日ですから今日はきっと「仏滅」なんでしょうね、と今日の暦を見ると おお、やはり仏滅だ!!ということですが、これは単なる偶然。実は本来の日付2/15を、旧暦で考えれば、これは確かに必ず「仏滅」となるのですが、月遅れの暦の日付まで六曜が同じになるわけではありませんので。「旧暦の日付では2/15は必ず仏滅になります」と書きましたが、ではやはりお釈迦様が無くなったから仏滅になったんだということなのかというと、実はこれも大分怪しい。多分、後からこじつけられたもの(それもそんなに古い話ではない)だと思われます。

◇お釈迦様の亡くなった日
 釈迦入滅の日とされています。この日がいつかというと諸説あるようですがBC 386年の 2/15というのが有力なようです。ただし、それが現在の何月何日なのかと言われるとこれは困ります。なぜかというと、2400年も前のインドの一地方で使われていた暦がどんな仕組みで作られており、その計算精度はどれくらいかなんて、もう五里霧中のことですから。きっと、その分野では研究している方がいるのでしょうけれど、とても一般的な「暦の話」のレベルで論じられるものではないので、早々に白旗を揚げます。おそらく日本に仏教が伝来した時代だって、その頃使われた暦に換算したら何日かなんていうことは誰も気にしていなかったと思います(そもそもそんな疑問を持った人がいたかどうかさえ、怪しい)。ではどうしていたのか。答えは簡単。どんな暦で計算された日付だったかなんて気にしない。2/15は、2/15として、その時使われていた暦の日付で涅槃会を執り行っていたわけです。昔の事件の日付を、そのまま現在の日付で「○○の日」というのはおかしいという意見をよく聞きますが、それはどうでしょうか。暦法が違えば、同じ日付でも季節も違えば月の満ち欠けの具合も違います。何かを基準にして違った暦同士の日付を換算しようとしても、全ての条件が一致するはずはありません(完全に一致したら、それは違う暦じゃなくて同じ暦ですからね・・・)。季節に合わせれば日付が変わるし、月の満ち欠けも異なる。月の満ち欠けに合わせれば季節も日付も変わる・・・。何かを採れば何かを棄てるしかないのですから、要はその「何」を重視するかの違いです。釈迦入滅の日のように忌日や或いは誕生日と言った類は、季節や月の満ち欠けより先にやはり「日付」を重視して数えていると思いますから、涅槃会の日付も、その昔の人たちが、暦法の違いなど気にせず2/15は涅槃会とおおらかに受け入れればよいのでは無いでしょうか。

◇旧暦の涅槃会は仏滅はこじつけ?
 旧暦の涅槃会は仏滅と書きました。お釈迦様がご健在(?)であらせられて時代の暦と、現在「旧暦」として括られている日本でかつて使われた太陰太陽暦は、おそらくまるで違った暦だと考えられるのに、何故お釈迦様が亡くなった日付が仏滅になるのか。それを、六曜の仕組みを考えて順に考えて見ましょう。まず六曜の仕組みのおさらい。六曜は旧暦の月と日付で決まります。月をM,日をDとすると、

  (M + D) ÷ 6 = N あまり X

 で、このうちの「あまり X」の Xが

  0:大安 1:赤口 2:先勝 3:友引 4:先負 5:仏滅

 となります。この計算で行くと涅槃会の日付 2月15日は

  (2 + 15) ÷ 6 = 2 あまり 5 ・・・ あまりが 5は、仏滅

 となります。なるほど。それで仏滅か。ところがこの現在の六曜ですが、過去にさかのぼって見るとこの順番や言葉が現在とは全く違ってしまいます。正徳 2年(1712年)に出版された「和漢三才図会」という、当時の百科事典のような本に書かれた六曜の順番と名前は、先に書いた月と日の和を 6で割ったあまりで表すと

  0:小吉 1:空亡 2:大安 3:留連 4:速喜 5:赤口 (和漢三才図会)
  0:大安 1:赤口 2:先勝 3:友引 4:先負 5:仏滅 (参考:現在)

 です。現在のものを再び並べてみますと違いは一目瞭然。全然違ってますね。現在の仏滅に当たるものはどうやら、「空亡」というものだったようなのですが、これを仏滅と読み替えたとしても、これだと 2月15日は仏滅にはなりません。和漢三才図会はおよそ 300年前に書かれた書物。それに対してお釈迦様が亡くなったのは2400年前ですから、和漢三才図会が書かれた時代にはまだお釈迦様は健在で、だからその亡くなった日は決まっていなかったなんていうはずはありません。しっかり亡くなった後(ざっと2100年後)に書かれた本です。こうしたことから考えると「お釈迦様が亡くなった日だから仏滅となった」というのはどうやら現在の六曜を作った人たちが後付で考えた話のようだと解ります。ちなみに江戸時代も末期に出版されている安政雑書万暦大成などをみても、まだ「ぶつめつ」は「物滅」と書かれていて、仏滅は登場していません。どうやら「仏滅」という言葉が生まれ、広がったのは明治時代、おばけ暦が流行して以降のことのようです。お釈迦様の亡くなった 2/15は「物滅」となっていたし、それなら「ぶつめつ」を「仏滅」とした方がインパクトがあって説得力もあると考えたんじゃないでしょうか?2400年も経ってから、勝手に自分の亡くなった日にこじつけて「仏滅」なんて言葉を作られた釈迦様にとっては、いい迷惑かもしれませんね。今日は月遅れの日付での涅槃会ということで、お釈迦様を出しに使って暦の日付(とついでに六曜について)考えてみました、本日の暦のこぼれ話でした(お釈迦様を出しに使うなんて罰当たりだったかな?)。(「2019/03/15 号 (No.4549)」の抜粋文)

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2019-03-15 [twitter投稿]



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ベニスモモ(紅李)の花 ! [ヘッダー画像]

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福智山ろく花公園
撮影日:2019.03.15
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