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2020-01-08 [twitter投稿]



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ツバキ(椿)! [ヘッダー画像]

200107no40.JPG
撮影日:2020.01.07
福智山ろく花公園
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正月事納め [かわうそ@暦]

□正月事納め
 正月行事の期間といえば、これを松の内とか注連(しめ)の内などと呼び、現在は正月の七日までとするところが多いようです。松の内は門松の飾られている期間から、注連の内は注連縄(しめなわ)の飾られていた期間ということです。古くは正月十五日までとされていましたが、現在は約半分の長さに短縮されているわけです。

◇聖域から生活の場へ
 正月行事は様々な福をもたらす新しい年神を家に迎え入れる行事です。門松は元々はこの神の依代(よりしろ)でした。不老長寿の象徴として常緑の松が選ばれています(ところによっては、榊、竹、椿などの場合もあるとか)。また門松と並んで正月の代表的な風物として、藁で作られた正月飾りがありますが、これのルーツは「注連の内」という言葉が残るとおり、注連縄でした。注連縄といえば、普段は神社に掛けられたものを見かけるように、聖域の範囲を示す結界に張られた縄であったと考えられます。正月の期間にこの聖域の範囲を示す注連縄が転じた正月飾りを家につけるのは、この期間は家に年神を迎えている期間だからです。神が家におわしますから、家自体が聖域となっているわけです。家は元々、生活の場であるわけですが、注連の内の期間だけは日常の生活の場から、神聖な場所となっているわけです。正月事納めの日は、神の依代であった門松、聖域であることを示す正月飾りを取り外すことによって、家を聖域から普段の生活の場に戻すという意味があります。

◇防火のために短縮?
 昔は松の内の期間が十五日までと書きましたが、これが現在のように短縮された理由には、明暦の大火があります。明暦の大火は明暦三年(1657年)に発生した大火災で、江戸の市街地の大半を焼き尽くした火災で、別名「振袖火事」と呼ばれます(死者は 3~10万人といわれています)。さて、この明暦の大火の教訓から、幕府は延焼拡大を防ぐための様々な方策を打ち出すことになりますが、その一つが門松を飾る期間の短縮化がありました。常緑の松とはいえ、門松は半月以上も飾っておくわけですから切り取られた松は正月半ばともなれば、大分枯れて乾燥しています。沢山の油分を含んだ松は枯れるととっても燃えやすい木です。こんなものが家々の門前に飾られていたら、延焼拡大のもとになってしまうというわけで、明暦の大火から 5年後の寛文二年(1662年)に松飾りは七日には片づけるように町触れ(まちぶれ)がなされ、これ以後江戸の町では松飾りは正月七日までとなりました。近所の料理屋さん(お魚主体の料理屋さんなので、魚料理の多くが苦手の私は一度も入ったことがありません)の入り口にはまだ門松がありましたが、夕方になったら、消えてるかな?ああ、お正月も終わっちゃったですね。(「2020/01/08 号 (No.4848)」の抜粋文)
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