2020-01-26 [twitter投稿]
hippocampus460イチゴ - 絵画風 https://t.co/bSIUZjrSEv @hippocampus460さんから01/25 15:58 hippocampus460『KAGAYA (@KAGAYA_11949)』hippo@home|https://t.co/eTuHfrm0uM01/25 22:55 hippocampus460おはようございます!7時起床、天気 /ほぼ新月(7時52分、輝面比1%)視認できず。今日は二日月(既朔)、月齢1.0。月の出:8時16分、月の入:18時54分です(北九州) /今朝の空は薄雲に覆われている。一部晴れ間有り。PM… https://t.co/aM6dE8lTEA01/26 07:59 hippocampus460『「左遷」と「お詫び」の日』hippo@home|https://t.co/irByjv0cMD01/26 11:39 hippocampus460『バコパ(ステラ)!』hippo@home|https://t.co/coaVUYPEQM01/26 16:56 hippocampus460日中、曇り空続く。PM2.5のレベルは4(4→4)、変化なし。AQI:良い /午前中、何もせず部屋でPCしながら過ごす。昼食後は録り溜めたビデオ観る。退屈な一日でした。01/26 17:22
「左遷」と「お詫び」の日 [かわうそ@暦]
■「左遷」と「お詫び」の日
不幸は、我が身に降りかかってくれば、まさしく「不幸」ですが、それが自分以外の人に降りかかっている場合はどうでしょう?「その場合は、『幸い』あるいは『楽しみ』」なんて言ってしまうと、人間性を疑われてしまうのでそんなことは言いませんが、内心は・・・。本日はとある人に降りかかった不幸についての記念日を取り上げます。一年に一度、この日が巡ってくると、ついつい取り上げてしまうということを考えると人間性を疑われても仕方がないと観念しているかわうそです(「疑うまでもない」という声も聞こえてきそうですね・・・)早速、この日に不幸に見舞われてた方々をご紹介します。
◇菅原道真(すがわらの みちざね)さんの場合
1つ目は日本の史実から出た記念日。「左遷の日」です。不幸に見舞われた方は菅原道真さん。この日は、菅原道真は右大臣から大宰権帥へと左遷されたとされる日、901(延喜元)年1/25に因む記念日、「左遷の日」です。菅原道真は宇多天皇、醍醐天皇に仕えて「寛平の治(かんぴょうのち)」と呼ばれる治世の出現の一翼を担った名臣として知られています。ただ、家格の低い道真が右大臣まで出世したということで、これを妬むものもあり、讒言されて左遷の憂き目をみることになりました。道真公が左遷された1/25という当時の暦の日付けを、現在の季節と関連づけられるように現代の暦に当てはめてみると2/21頃になります。左遷された道真を追って、一夜で太宰府まで飛び、その地で根付いたと云う飛梅伝説の梅も、この時期だともう咲いていたでしょうから、その花を見て『こちふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ』を詠んだのでしょうか。
◇ハインリッヒ4世さんの場合
2つ目はヨーロッパのこれも史実から出た話。「おわびの日」教皇グレゴリウス 7世によってカソリック教会から破門された神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ 4世が許しを乞うた日を記念した日です。ハインリッヒ 4世はこの日から 3日間、雪の中を裸足で破門の解除を願ったというあの、「カノッサの屈辱」の日です。神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ4世は皇帝の影響力強化の為に、ミラノ大司教他の多くの司教に自分の息のかかった司祭たちを任命した。これに対して、ローマ教皇は司祭の叙任権は教会にあるものであるとして、ハインリッヒ4世に司教任命を中止するように求めた。しかし、ハインリッヒ4世はこれに応じなかったことから、両者は対立し、ローマ教皇グレゴリウス7世はハインリッヒ4世を教会から破門するとともに皇帝権の剥奪を宣言するに至ります。これ以後、すったもんだが繰り広げられます(詳しくは世界史の本をどうぞ)が、結局はハインリッヒ4世が屈して「お詫びの日」が出来てしまいました。自業自得の結果ともいえないこともありませんが、かわいそうですからせめてこの日の 3日後の許された日も「許しの日」にしてくれたらいいのに。今更そんなことをされてもハインリッヒ4世の慰めにはならないかな?以上、散々な記念日の並んだ、1/25の暦のこぼれ話でした。(「2020/01/25 号 (No.4865) 」の抜粋文)
不幸は、我が身に降りかかってくれば、まさしく「不幸」ですが、それが自分以外の人に降りかかっている場合はどうでしょう?「その場合は、『幸い』あるいは『楽しみ』」なんて言ってしまうと、人間性を疑われてしまうのでそんなことは言いませんが、内心は・・・。本日はとある人に降りかかった不幸についての記念日を取り上げます。一年に一度、この日が巡ってくると、ついつい取り上げてしまうということを考えると人間性を疑われても仕方がないと観念しているかわうそです(「疑うまでもない」という声も聞こえてきそうですね・・・)早速、この日に不幸に見舞われてた方々をご紹介します。
◇菅原道真(すがわらの みちざね)さんの場合
1つ目は日本の史実から出た記念日。「左遷の日」です。不幸に見舞われた方は菅原道真さん。この日は、菅原道真は右大臣から大宰権帥へと左遷されたとされる日、901(延喜元)年1/25に因む記念日、「左遷の日」です。菅原道真は宇多天皇、醍醐天皇に仕えて「寛平の治(かんぴょうのち)」と呼ばれる治世の出現の一翼を担った名臣として知られています。ただ、家格の低い道真が右大臣まで出世したということで、これを妬むものもあり、讒言されて左遷の憂き目をみることになりました。道真公が左遷された1/25という当時の暦の日付けを、現在の季節と関連づけられるように現代の暦に当てはめてみると2/21頃になります。左遷された道真を追って、一夜で太宰府まで飛び、その地で根付いたと云う飛梅伝説の梅も、この時期だともう咲いていたでしょうから、その花を見て『こちふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ』を詠んだのでしょうか。
◇ハインリッヒ4世さんの場合
2つ目はヨーロッパのこれも史実から出た話。「おわびの日」教皇グレゴリウス 7世によってカソリック教会から破門された神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ 4世が許しを乞うた日を記念した日です。ハインリッヒ 4世はこの日から 3日間、雪の中を裸足で破門の解除を願ったというあの、「カノッサの屈辱」の日です。神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ4世は皇帝の影響力強化の為に、ミラノ大司教他の多くの司教に自分の息のかかった司祭たちを任命した。これに対して、ローマ教皇は司祭の叙任権は教会にあるものであるとして、ハインリッヒ4世に司教任命を中止するように求めた。しかし、ハインリッヒ4世はこれに応じなかったことから、両者は対立し、ローマ教皇グレゴリウス7世はハインリッヒ4世を教会から破門するとともに皇帝権の剥奪を宣言するに至ります。これ以後、すったもんだが繰り広げられます(詳しくは世界史の本をどうぞ)が、結局はハインリッヒ4世が屈して「お詫びの日」が出来てしまいました。自業自得の結果ともいえないこともありませんが、かわいそうですからせめてこの日の 3日後の許された日も「許しの日」にしてくれたらいいのに。今更そんなことをされてもハインリッヒ4世の慰めにはならないかな?以上、散々な記念日の並んだ、1/25の暦のこぼれ話でした。(「2020/01/25 号 (No.4865) 」の抜粋文)