2020-01-11 [twitter投稿]
hippocampus460『【寒の水】(かんのみず)』hippo@home|https://t.co/mOcRVhWOag01/10 19:44 hippocampus460おはようございます!7時起床、天気 /満月(7時38分、輝面比100%)視認できず。今日は立待月、月齢15.6。月の入:7時38分、月の出:17時55分です(北九州) /今朝の空は一面グレー一色です。福智山は視えます!PM2.… https://t.co/PK0fGQDGYc01/11 07:43 hippocampus460『鏡餅』hippo@home|https://t.co/RaScmKDqtZ01/11 09:15 hippocampus460『シネラリア!』hippo@home|https://t.co/kwULRNnasY01/11 15:56 hippocampus460日中、良い天気に恵まれる!PM2.5のレベルは5(6→5)、AQI:良い /午前中、家事手伝いの後、部屋でカメラボディー・レンズの手入れをしながら取扱説明書を読む。知らないこと多々有り!「スペイン人は、走ってしまった後で考える」(… https://t.co/3NXJ1wXYo301/11 16:32
鏡餅 [かわうそ@暦]
■鏡餅
本日は、1/11。鏡開きの日です。ということで、本日「開かれる」はずの鏡餅の話です。
◇鏡餅(かがみもち)
お正月の食べ物と云えば、真っ先に思い浮かぶのは「餅」。やはり日本のハレの行事に欠かせないのが「餅」ですね。さて、「お正月といえば餅」の餅ですが、本当はお正月のためにつく餅は、私たちが食べるための餅ではなくて、神様仏様にお供えするためのお供え餅でした。もちろん、私たちが食べるための餅もありますが、これはあくまでもお供え餅をつくついでについたもので、それが主ではありません。その正月の餅つきの目的である神仏へのお供えの餅こそが、鏡餅です。正月用の餅をつく場合、餅をつくための臼の下に藁をひきます。また所によっては臼自体に注連縄(しめなわ)をはったりもするそうです。臼に注連縄を張ることを見れば分かるとおり、正月の餅つきはそれ自体が既に神聖な行事であったのです。本来の正月の餅つきが神仏に供える餅をつくためのものだったのですから、それも当然です。神様仏様に穢れたものを供えるわけにはいきませんから。こうしてつかれた餅が、鏡餅となりました。私たちがお正月にいただく餅は、この神様用の鏡餅を作ったついでに作られた餅だったのです。現在は、鏡餅も鏡餅のついでにつかれた我々の食べる餅もどちらも同じ米(もち米)を使いますが、米が貴重であった時代には、神仏用は米、人間用は、黍や粟などの餅という具合に材料を異にした餅が作られていました。もちろん、お米に余裕があるような裕福な家では、全部米ということもあったでしょうけれども、それは例外的。
◇鏡餅の形と名前
鏡餅といえば、形は丸くて平べったいもの。また、一つではなくて必ず二つ以上の餅を積み上げた形となったものですね。丸い形は「タマ」をあらわしています。「タマ」は、神霊をあらわす「霊(タマ)」の形であり、生命の根元である「魂(タマ)」の形だと考えられます。この神霊をあらわす丸餅を二つ以上積み上げるのは、神霊へのお供えを奉る行為をあらわすと考えられます。奉る(たてまつる)は供物を縦に並べて祀るという行為をあらわす言葉だそうで、餅を積み上げる行為はまさに縦に並べて(積み上げて)祀る行為なのです。さて、こうして神霊の形を象った餅を奉った鏡餅の名前ですが、この「鏡」もやはり、神霊の権威をあらわすものと考えられます。神社が祭礼の際に鏡を掲げたり、鏡自体をご神体としたりするように、鏡は神霊の権威をあらわすものです。鏡餅は、単に神霊に供えられたものというのでは無く、神霊がその中に宿りそれ自体が、祭られる存在になると考えられますので、神霊がそこにあることを示す「鏡」という名で呼ばれるようになったのでしょう。
◇鏡開き
鏡開きの主役である「鏡餅」は年神の霊力の象徴または、年神が宿るものです。鏡開きはその年神の宿ったあるいはその力を象徴した鏡餅を細かく砕いて大勢で食べる行事です。簡単に言ってしまえば神様を食べる(こういうとちょっとグロテスクかな?)ようなもので、これにより年神の運んできた霊力を行事参加者の皆に分け与えるという意味があります。昔から鏡餅を細かく分ける場合は包丁などを用いず、木槌や手によって餅を細かく砕いて行くことになっています。なぜ包丁などを用いないかといえば、神霊が刃物(金物?)を嫌うためだといわれます。1/11は、農家にあっては畑仕事の開始である野入りの日。この日を仕事の始めとする職種も多かったようです。年神の力を分けていただいて、一年を元気に乗り切ってゆきたいですね。(「2020/01/11 号 (No.4851)の抜粋文)
本日は、1/11。鏡開きの日です。ということで、本日「開かれる」はずの鏡餅の話です。
◇鏡餅(かがみもち)
お正月の食べ物と云えば、真っ先に思い浮かぶのは「餅」。やはり日本のハレの行事に欠かせないのが「餅」ですね。さて、「お正月といえば餅」の餅ですが、本当はお正月のためにつく餅は、私たちが食べるための餅ではなくて、神様仏様にお供えするためのお供え餅でした。もちろん、私たちが食べるための餅もありますが、これはあくまでもお供え餅をつくついでについたもので、それが主ではありません。その正月の餅つきの目的である神仏へのお供えの餅こそが、鏡餅です。正月用の餅をつく場合、餅をつくための臼の下に藁をひきます。また所によっては臼自体に注連縄(しめなわ)をはったりもするそうです。臼に注連縄を張ることを見れば分かるとおり、正月の餅つきはそれ自体が既に神聖な行事であったのです。本来の正月の餅つきが神仏に供える餅をつくためのものだったのですから、それも当然です。神様仏様に穢れたものを供えるわけにはいきませんから。こうしてつかれた餅が、鏡餅となりました。私たちがお正月にいただく餅は、この神様用の鏡餅を作ったついでに作られた餅だったのです。現在は、鏡餅も鏡餅のついでにつかれた我々の食べる餅もどちらも同じ米(もち米)を使いますが、米が貴重であった時代には、神仏用は米、人間用は、黍や粟などの餅という具合に材料を異にした餅が作られていました。もちろん、お米に余裕があるような裕福な家では、全部米ということもあったでしょうけれども、それは例外的。
◇鏡餅の形と名前
鏡餅といえば、形は丸くて平べったいもの。また、一つではなくて必ず二つ以上の餅を積み上げた形となったものですね。丸い形は「タマ」をあらわしています。「タマ」は、神霊をあらわす「霊(タマ)」の形であり、生命の根元である「魂(タマ)」の形だと考えられます。この神霊をあらわす丸餅を二つ以上積み上げるのは、神霊へのお供えを奉る行為をあらわすと考えられます。奉る(たてまつる)は供物を縦に並べて祀るという行為をあらわす言葉だそうで、餅を積み上げる行為はまさに縦に並べて(積み上げて)祀る行為なのです。さて、こうして神霊の形を象った餅を奉った鏡餅の名前ですが、この「鏡」もやはり、神霊の権威をあらわすものと考えられます。神社が祭礼の際に鏡を掲げたり、鏡自体をご神体としたりするように、鏡は神霊の権威をあらわすものです。鏡餅は、単に神霊に供えられたものというのでは無く、神霊がその中に宿りそれ自体が、祭られる存在になると考えられますので、神霊がそこにあることを示す「鏡」という名で呼ばれるようになったのでしょう。
◇鏡開き
鏡開きの主役である「鏡餅」は年神の霊力の象徴または、年神が宿るものです。鏡開きはその年神の宿ったあるいはその力を象徴した鏡餅を細かく砕いて大勢で食べる行事です。簡単に言ってしまえば神様を食べる(こういうとちょっとグロテスクかな?)ようなもので、これにより年神の運んできた霊力を行事参加者の皆に分け与えるという意味があります。昔から鏡餅を細かく分ける場合は包丁などを用いず、木槌や手によって餅を細かく砕いて行くことになっています。なぜ包丁などを用いないかといえば、神霊が刃物(金物?)を嫌うためだといわれます。1/11は、農家にあっては畑仕事の開始である野入りの日。この日を仕事の始めとする職種も多かったようです。年神の力を分けていただいて、一年を元気に乗り切ってゆきたいですね。(「2020/01/11 号 (No.4851)の抜粋文)