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和風月名(わふうげつめい)の話 [かわうそ@暦]

□和風月名(わふうげつめい)の話
 もうすぐ、新年。新しい月の巡りは始まりますので、本日は間もなく巡りはじめる一年の暦月の名前ということで、そうした名前の一つ、和風月名について書いてみることにします。和風月名といっても、何のことだろうと思う方もいらっしゃると思いますが次の暦月名をみれば、ああ、これかと思っていただけるでしょう。

  睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神無月 霜月 師走

 これが、和風月名です。一月(正月)、二月、三月・・・と年首からの順番に番号を振られた暦月ですが、この暦月にはさまざまな異称があります。ここに書いた和風月名も、そうしたさまざまな暦月の異称の一つです。ここで本題に入る前ですがちょっと寄り道。どれくらい異称があるのかを一月(正月)について、一部を拾って見みるとこんなにあります。

  睦月、建寅月、孟春、霞初月、暮新月、早緑月、三微月、太郎月、子日月、初空月、初春月、
初見月、王春・・・

 もう勘弁して下さいというくらいです。さらに、地方独特の呼び名などもあるでしょうから、その数といったら・・・。これだって「一部」ですからね。一月(正月)だけでこれくらいですから、十二ヶ月分となると、それはすごい数になります。こんなに沢山の異称があるということは、暦月というものがどれほど人間の生活に深く関係するもので、大切なものかを裏付ける証拠といえるかも知れません。さて、そろそろ寄り道から元の話に戻ることにします。

◇和風月名
 さて、沢山存在する暦月の異称ですが、その沢山の中で別格の十二の名前が冒頭に掲げた和風月名です。孟春や太郎月といってもそれが何月のことか解らない人が多いと思いますが睦月といえば、ああ正月かと解ると思います。誰しもどこかで目にし、耳にしたことがある月の異称、それが和風月名です。既にご存じのこととは思いますけれど、確認の意味で和風月名の一つ一つについて、読みと月名の由来、意味等を簡単に書いてみます。(注意:由来、意味については、諸説さまざまな中からその一つ、二つをかわうそが選んだものです)

 ・睦月(むつき)
   一月。貴賤が往来し拝賀し、親類一同が集まって睦みあう月。
 ・如月(きさらぎ)
   二月。まだ寒さが残り衣を更に着る月。衣更着とも書く。
 ・弥生(やよい)
   三月。木草弥生い茂る(草木が盛んに伸び茂る)月。
 ・卯月(うづき)
   四月。苗を植える月(なえうづき)。また卯の花の咲く月。
 ・皐月(さつき)
   五月。早苗(さなえ)を植える月。
 ・水無月(みなづき)
   六月。田に水を入れる月(水の月)。
 ・文月(ふづき)
   七月。稲の穂が実る月(穂含月:ほふみづき)。
 ・葉月(はづき)
   八月。木々の葉が落ちる月(葉落ち月)。
 ・長月(ながつき)
   九月。夜の長い月(夜長月)。
 ・神無月(かんなづき)
   十月。新穀を神に捧げる月(神嘗月:かんなめづき)。
 ・霜月(しもつき)
   十一月。霜の降る月。
 ・師走(しわす)
   十二月。師匠も趨走(すうそう)する月。また歳果月(歳果てる月)。

◇月名の由来
 和風月名のそれぞれの月の名前と由来、意味を簡単に書きました。その直前に「意味については・・・かわうそが選んだものです」とわざわざ断りを入れました。これは、その由来、意味については諸説紛々として、本当はどれが正しいといいきることが出来ないからです。ただ身近な植物の様子や農耕作業に関連した言葉、家族や地域といった狭い範囲での行事に関連する言葉から生まれたと考えられる名前が並んでいることには気がつきます。どうやら、和風月名は周囲の自然の変化を見て季節の移り変わりを計っていた、自然暦と呼ばれる原始的な暦の時代まで遡る言葉のようです。「む+月」とか「う+月」といった具合に、月と組み合わされる言葉が一文字(一音)であることも、単語数が少なく言葉が単純な時代にまで遡る言葉ではないかと推測させるものがあります。おそらくは、日本にまだ文字がなかった頃から使われていた言葉だったのでしょう。ですから、その由来についてははっきり言って藪の中。後世になってからいろいろな人があれやこれやともっともらしい由来を「発明」はするのですが、本当のところは誰にも解らないものとなってしまっています。

◇和風月名は旧暦の月名?
 和風月名は旧暦時代の月名と説明されることがあるのですが、これはどうかなと私は思います。

・昔の暦には睦月、如月、弥生・・・と書かれていた?
 まず基本的な話として、旧暦といわれる暦がまだ現役の暦であった時代、例えば江戸は天保の頃の暦の月名がどう書かれていたかですが 正月・二月・三月・・・と書かれていました。当時の暦にも睦月・如月・弥生・・・は書かれていません。もっとも「正月」と書いて「むつき」と読んでいけないわけではありませんけれど。少なくとも書かれてはいませんでした。

・睦月は旧暦の正月のこと?
 和風月名を旧暦の月名と考える方は、和風月名の名の由来を考えると旧暦の月の方がよくあうという理由からそう考えるようです。例えば、弥生が草木が伸び茂る月と考えると、新暦の三月ではまだちょっと早すぎる。まだ芽が出始めたばかりじゃないか。その点旧暦三月ならば、新暦の四月頃ですから、よい具合です。八月を意味する葉月も新暦では「木々の葉が落ちる月」とはとても云えない暑さの厳しい時期です。こうした植物の生育状況などを表す言葉が由来と考えられる月だと、新暦の月ではピッタリこないというのはうなずけます。ですが、師走とか睦月はどうでしょう?師走は年末の慌ただしさを、睦月は年の初めを祝う人々の様子という年中行事と深く結びついた名前です。現在でも年中行事を旧暦の日取りで行う地域もないではありませんが、多くの人は新暦によって正月を祝うと思います。年末の慌ただしさも、大部分の方は新暦の十二月に感じるでしょう。新暦では間もなく新年を迎えるこの時期は、慌ただしく、旧暦ではまだ霜月だといったところで気分はやはり「師走」ですよね。こんな風に、社会全体の動きと連動した部分では、やはり現在の社会が使用している暦、新暦の方が合っています。暦は季節の変化を計る(示す)ための道具である一方で、人間の社会生活のリズムを刻む道具でもあります。改暦によって年首の位置がおよそ一月移動しても自然は暦にあわせて、春の位置を一月移動してはくれません。ですが暦を使って社会生活を送る人間の生活のリズムは、改暦による年首の移動に合わせて変化します。和風月名には、人間の都合(改暦)では変わらない自然と、人間の都合で変わる生活のリズムそれぞれに関係した名前の両方がありますから、「和風月名は旧暦の月名」と単純には言い切れないと思うのです。かといって、じゃあ「弥生は新暦の四月、卯月は五月、皐月は六月とすればいい」ともいえません。「皐月」は「五月」とも書くくらいで、元は自然の変化から生まれた自然暦から発した言葉であっても千年以上も弥生は三月、卯月は四月、皐月は五月・・・という伝統と世間の慣習を簡単に覆すことは出来ないでしょうから。これから「和風月名」はどうなって行くのか、それは今の私には解りません。変化して行くのかそれとも変わらずに残って行くのか、もしかしたら和風月名そのものが忘れ去られて行くのか。長生きして、その先行きを見続けてみたいと思うかわうそでした。(「2020/12/29 号 (No.5204) 」の抜粋文)

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2020-12-29 [twitter投稿]



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ナデシコ(撫子)! [ヘッダー画像]

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撮影日:2020.12.22
福智山ろく花公園
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今日(12/29)の夜空に見える月は【十五夜の月】です [かわうそ@暦]

◆今日(12/29)の夜空に見える月は【十五夜の月】。
月は日暮れの頃に東の空から昇り、翌日の夜明け頃に西の地平線に沈んでゆきます。新月から数えて15日目の十五夜の月と満月は同じものと考えられがちですが、十五夜と満月が同じ日になる確率は50%以下。案外はずれています。(今回も一致しませんでした)

◆お月様の基礎データ
・月齢: 14.4 (12/29 の正午の値)
・月出:12/29 15時46分 月没:12/30 6時47分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):12/29 23時16分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 394600 km (平均距離の 1.03倍)。

 月は平均より 10200km遠く、見かけの大きさはいつもより少し小さいです。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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「松迎え」は今日まで? [かわうそ@暦]

□「松迎え」は今日まで?
 今年も残すところ 4日。ここまで来ると意識は年末と言うより、新年に向かい始める頃ですね。新聞やTVのニュースにも、新年の話題がふえてきました。皆さんのお宅でも、新年の準備を始め、あるいはすでに終えられているかもしれませんね。

◇松迎え
 門松などの正月の松飾り用の松を採りに山に入るのは正月の事始め以後。この松飾り用の松を採りに行く行事が松迎えです。松迎えは正月の事始め以後ですから事始めの 12/13以降であればよいわけですがまだまだ、大丈夫なんて思っているうちに気がつけば12/28。あれれ、まずい。もう後がありませんよ。松は、「祀る(まつる)」が語源であるという説があるほどで、古くから神の依り代、神と交わる木として崇めらる木です。正月行事における松は、新年の年神の依り代、或いは年神への目印としての働きが考えられます。本来は依り代的な使い方が主であったと考えられ、この場合は家の神棚に飾られることが多いようです。松は正に「神を待つ木」だったのです。かく言う私の実家ではこの「依り代」としての松で、この松を正月様と呼んでおりました。それがいつの間にやら、年神を導くための目印化して神棚から家の玄関へ、そして門へと移動したようです。門松はすでに平安時代には登場したようですが、登場した頃は門の左右に飾られるのではなくて、門の間(あるいは玄関)に一本だけ飾ってあったとか。神様を導く目印だとすれば「一本」が当たり前ですが、門前、玄関前の真ん中に一本松が立っていたら、人が往来するには不便だったしょうね。門松が現在のような「門の左右」に置かれるようになったのはそうした事情からでしょうか。

◇松迎えは28日まで?
 松迎えは、大体はその家の家長か新年の年男が行うもので、28日頃にはこれを終えておきます。これは、29日は「九」は「苦」に通じるとしてこの日に松を採るのは「苦松(くまつ)」といわれ嫌われたからとか。また、31日では一夜飾り的で、あまりに即席で神様に失礼と考えられるためやはり松迎えの日としては忌まれました。もし28日までに用意出来なかったら・・・、30日が空白の一日でしょうか?

◇松迎えの個人的な思い出
 個人的な松迎えの思い出としては、子供の頃のこと。小学生くらいの頃には、松迎えの役割を与えられてました。その当時は、深い意味などわかりませんでしたが松の木の天辺にある、格好のいい枝を採ってくることが私の使命と、毎年冬になると近所の山の木を眺めて格好の佳い枝を探したものです。その辺の山の木の枝の一本や二本、伐ってきたって誰も問題になどしないのどかな時代(地域的なものかな?)でしたからね。松の木の天辺辺りまで昇って、鋸または鉈で枝を切る時には、林冠に頭を出しているので、遠くの山までよく見えて、北の山から風で運ばれてくる雪が舞う姿を眺めたことを覚えています。子供ながらに何か、一仕事しているような誇らしい気持ちで、舞い飛ぶ雪を眺めたものでした。さて今年も残すところわずか。松迎えも「空白の一日」を別とすれば、今日がラスト。ちょっと焦らないといけませんね。(「2020/12/28 号 (No.5203)」の抜粋文)

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2020-12-28 [twitter投稿]



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落ち葉に埋もれる花 ! [ヘッダー画像]

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撮影日:2020.12.25
福智山ろく花公園
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2020-12-27 [twitter投稿]



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クリスマスローズ ! [ヘッダー画像]

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撮影日:2020.12.22
JA直鞍なのはな畑
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餅つき雑話 [かわうそ@暦]

□餅つき雑話
 「もう幾つ寝るとお正月~」の歌の似合う季節です。お正月といえばお餅。「皆さん、お餅の準備はできましたか?」といささか強引にお餅の話です。

 餅はハレの食べ物。
 これから迎える正月には鏡餅に、雑煮にとなくてはならない食べ物です。正月には欠かせない餅ですから、新年が迫ってくると、あちこちで餅つきが行われるようになります。昨今は、餅は食品メーカーが大量に作ったものを、お店で買ってくるというのが一般的。手間がかからなくて便利といえば便利ですが、なんだか寂しいものです。こういう時代になる前はどんな風に、正月の餅を用意したのだろうと云うことで、本日は江戸の街の餅つきの様子を調べてみました。

◇江戸の街の餅つき風景
 正月が近づくと餅を準備するのは江戸の昔も今と変わりません。江戸時代の餅の入手法はというと、

 1.お抱えの職人をつかって自宅の庭で餅つきをする。
 2.菓子屋に頼んで、自家分の餅をついてもらう「賃餅(ちんもち)」。
 3.町内の鳶(とび)が、4~5人の人足を引き連れ、釜、臼、杵、蒸籠(せいろ)、薪を持参して行う餅つきの出張サービス(餅米はこれを依頼する家が用意す)を利用する「引きずり餅」。
 4.年の市などで購入する。

 の 4種類だったようです。1のように、お抱えの職人にというのは、上級武士や富裕な商家が行うもので、これが出来たのはごく一部。ということは、残りは2~4の3とおりとなります。2と4は、なんとなくクリスマスケーキの予約注文(2)と店頭販売(4)のような感じです。2の賃餅については、人気のケーキ屋さんのクリスマスケーキを入手しようとすると、クリスマスの何日も前に予約を入れないといけないのと同じで、師走の中頃までにこれを注文しないと、受けてもらえませんでした。4の年の市等での購入は、庶民レベルではもっとも一般的な餅の入手方法だったと思われます。先のクリスマスケーキの喩えで云えば、当日の店頭販売に近いものです。クリスマスを過ぎて、売れ残ったクリスマスケーキが安売りされるのと同じく、餅の方も正月直前になると、安売りたたき売りが行われたようです。説明最後に残ったのは、3の引きずり餅。威勢のいい、鳶の兄さんと人足が道具持参で自宅の前で餅を搗いてくれるのですから、活気があって景気づけにいいと結構な需要があったそうです。今だって、こんな出張サービスがあったら、やはりそこそこの需要はある気がします(もしかしたら、本当にあるかも知れませんね)。現在と違って餅は機械で大量生産というわけにはいきません。みんな臼と杵とで搗くわけですから年の瀬も押し迫ると、賃餅を受けた菓子屋や引きずり餅を行う鳶の兄さん方は大忙し。朝は暗いうちから灯火を用意して餅をつき始め、夜遅くまで搗き続けたとのことです。ということは、師走も半ばを過ぎたあたりから、大晦日の明け方頃まで、江戸の街には、一日中、餅つきの音が響いていたのでしょう。現在は餅も、機械による大量生産が可能ですから、一日中、臼で餅を搗く音が聞こえるということはありません(多分、防音壁完備の工場のなかでしょうから)。この点は、江戸の街の餅つき事情が羨ましいかな?今年の私は、東京で一人での年越し&正月となる予定なのでお餅を食べるのも一人。ということで、特別な餅の調達方法は考えておらず、便利で味気ない現代の調達法、「近所のスーパーで購入」ということになります。ま、味気ないけど、仕方ないですね。

◇個人的な記憶では・・・
 私の生まれ育ったところは東北地方の田舎で、近所の農家には立派な木製の臼を持つ家もあって、正月が近づくとその臼(もちろん杵も)を借りて餅つきをしていました。少し大きくなると、杵で搗く手伝いもさせてもらえましたが、狙ったところに的確に杵を運ぶのは思いのほか難しかった。失敗して臼の角に杵をぶつけたりすると、臼や杵の一部が欠けて、その小さな木片が餅に混ざってしまったりして。そんな失敗も、今はいい思い出です。あ、借り物の臼や杵を傷つけていたわけで、考えてみれば申し訳ないことをしていたのですね・・・。(「2020/12/27 号 (No.5202)」の抜粋文)


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