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節分と年越し [かわうそ@暦]

□節分と年越し
 今日は節分。節分に関しては、よくこんな質問を頂きます。旧暦の時代は、節分で年が変わると聞きましたが、旧暦の日付ではそうなっていないようです。なぜでしょうか?これと似た話に、立春より前(節分以前)に生まれた人の干支は、1年前の干支であるなどというのもあります。この話にも枕詞のように「旧暦では」とつけられるようですが、こんな話を耳にしたことはありませんか?本日はなぜこんな話があるのか、節分と年越しの関係について説明してみたいと思います。

◇節分とは?
 このメールマガジンでは度々登場する表現、「暦の上では春ですが」などという場合の「春」は、二十四節気の立春の日から始まります。同様に、夏は立夏、秋は立秋、冬は立冬からそれぞれ暦の上の季節が始まります。全て「立○」です。この「立つ」には始まるという意味があります。「出立」とか、「旅立ち」という場合の立つです。つまり、立春は 「春立つ ⇒ 春の始まり」 ということですね。「立○」は四季それぞれにあって当然 4つですから、総称して「四立」ともいいます。さて、今年の節分は 2/2です。そしてその翌日 2/3は立春。これは偶然でしょうか? いえいえ、偶然ではありません。節分は「四立」の前日を指す言葉なのです。四立は既に書いたとおり、四季それぞれの始まりの日です。節分は四立の前日ですから季節の変わり目ということになります。節分というその名は、ここから生まれています。つまり、

  季節を分ける日 → 季「節」を「分」ける日 → 節分

 です。よって本来節分は四季それぞれ全てにあるわけです。昔の宮中行事をしらべると、確かに四季それぞれの節分には節分行事がありました。現在は春の節分だけにその行事が残って他は廃れてしまったために、立春前日だけが「節分」だと思われるようになりました。

◇節分を年の変わり目と考える理由
 現在は冬の真っ盛りの新年に、なぜか受け取る年賀状には「迎春」「新春」の文字がおどりますね。皆さんご存じの通りこれは旧暦時代の慣習の名残。旧暦では、正~三月は春、四~六月は夏、七~九月は秋、十~十二月は冬と考えられてきました。ですから、正月の挨拶状である年賀状には「迎春」となるわけです。長らく日本で用いられてきた旧暦ではこのように、「一年は春に始まる」という概念があります。逆の言い方をすれば、「春の始まりは一年の始まり」ともいえます。一方、暦の上の春の始まりは「立春」ですから、

  春は一年の始め + 立春は春の始め → 立春は一年の始め

 となるわけです。さて、立春の前日は節分です。立春が年の始めだとすればその前日、節分は年の終わりを示すことになります。こう考えれば、「節分が年の変わり目である」という考えが解ります。

◇実際の旧暦の日付での年の変わり目と、節分が一致しない理由
 節分は立春の前日ですから、ここでは節分自体ではなく立春について考えます。立春は二十四節気の一つとしてその日付を計算されます。この二十四節気は、太陽の位置を元に計算される値です。なお、1843年以前はの日本の暦では、二十四節気は冬至の日からの日数で決まっていました。この方式で計算すると、今年の立春は2/5。現在の方式とは日付が微妙に違いますね・・・と、寄り道でした。本来の話に戻しましょう。二十四節気は太陽による暦なのです。ここで、「あれ?」と思った方もいらっしゃるでしょう。多くの方は二十四節気というと旧暦で決まっているもの。そして旧暦は太陰暦、太陽暦というのなら、現在使われているいわゆる新暦ではないかと。さて何処がおかしいのでしょうか?おかしな点は、「旧暦は太陰暦」という点です。旧暦は太陰太陽暦というのが正しく、太陰暦と太陽暦を折衷したような暦なのです。そして、折衷された「太陽暦」としての側面を代表するのが二十四節気なのです。ではもう一つの側面である「太陰暦」を代表するものは何かというと、それは「暦月の区切りは新月の日である」と言うこと。つまり暦月の一日(朔日)は必ず新月(そして十五夜はだいたい満月)という具合です。旧暦は、日次(ひなみ:日並)を月の満ち欠けで決定し、月次(つきなみ:月並)は太陽の位置で決めるという暦です。月の満ち欠けがちょうど12回で1年であれば、立春を毎年正月一日、つまり元日とすることが出来たのでしょうが、世の中そんなに都合は良くなく、新月の日に立春となるような年は滅多にありません。立春は旧暦元日から±15日程の間で変化します。旧暦は概念上は「立春を正月とする暦」ですが、現実には「立春付近に正月をおいた暦」と言うのが正しい姿です。旧暦では節分が年の変わり目というのは、現実の旧暦を概念上の旧暦と混同した結果生まれたものです。誤解されたものとはいえ、多くの人が「節分は年の変わり目」という考えを持てば、本来は年越しの行事であったものが、節分に行われるようになったり、節分行事と年越し行事が混ざり合ったりしてしまいました。現代に残る、節分の夜の鬼追いは、元来は年越しに行われた旧年の邪気、疫神を追う追儺(ついな)が元々の姿でしょうし、恵方巻きにしても、新年の歳徳神のおわす方向、恵方から福を得ようというものだというのが、その内容から容易に想像出来ます。「鬼は外、福は内」と唱えながら鬼を追い、恵方巻きを無言で食べるときには、これは年越しの行事でもあるのだなと、頭の片隅で思い出してくださいね。(「2021/02/02 号 (No.5239)」の抜粋文)

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2021-02-02 [twitter投稿]



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デージー ! [ヘッダー画像]

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和名:ヒナギク(雛菊)
撮影日:2021.02.02
JA直鞍なのはな畑
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