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2021-02-05 [twitter投稿]



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ハナカンザシ(花簪)! [ヘッダー画像]

210205no3.JPG
撮影日:2021.02.05
福智山ろく花公園
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太陰太陽暦廃止と太陰盈虚(たいいん えいきょ) [かわうそ@暦]

□太陰太陽暦廃止と太陰盈虚(たいいん えいきょ)
 いつだったか「日本の公式な暦に太陰太陽暦の日付が載っていたのはいつまでか」という会話をしたことがありました。それは、太陽暦へ改暦された明治 6年の直前、つまり、明治 5(1872)年までだろう?日刊☆こよみのページの読者の方なら、この辺の事情はよくお分かりと思います。基本的には、この考えは正しい。しかし・・・裏技的にですが、もう少し後まで、太陰太陽暦の日付のようなものが残っていました。もちろん、現代の「○○易断△△暦」のような私暦の話じゃなく、政府が刊行していた「官暦」の話です。

◇太陰盈虚(たいいん えいきょ)
 お日様を「太陽」というようにお月様は「太陰」とも呼ばれます。暦の世界では、お日様の動をその暦の仕組みの基礎にしたものを太陽暦といい、お月様の動きを基礎としたものは太陰暦と呼びます。明治 5年まで使われていた日本の暦、旧暦はお月様の満ち欠けによって月並・日並の基礎とし、太陽の動きを補助的に用いて季節と暦のずれを補正する暦でしたので、太陰+太陽の暦ということで太陰太陽暦といいます。さてさて、明治改暦は財政難の明治政府が、財政難脱出のためというか、差し迫った財政問題回避のために、大急ぎでかなり無理矢理に行ったものですから、政府としても後ろめたい部分があったのでしょう。太陽暦に改暦したにもかかわらず、しばらくそれまでの太陰太陽暦の日付も官暦に併記することにしました。とはいいながら、いつまでも旧暦の日付を書いていては、新しい暦の使用が進まない。そこで、実用上では問題ないけど、建前では旧暦じゃないよと言えるように、暦ではないような名前をつけました。それが太陰盈虚(たいいん えいきょ)です。「太陰」はともかく「盈虚」のほうは、現在ではまず使わない言葉です。この難しい言葉は月の満ち欠けを表す言葉です。辞書を引くと

  【盈虚】(えいきょ)
  月の満ち欠け。転じて、栄えることと衰えること。盈虧(えいき)。 《広辞苑・第六版》

 という具合です。太陰暦欄は、内容は同じながら明治13(1880)年からタイトルだけは、この難しい太陰盈虚に変わりました。太陰暦じゃありません、月の満ち欠けですといいたかったわけですね。あ、タイトルだけじゃなく、形式もちょっとだけ変わってました。それまでつけられていた「日」という単位が付かなくなったのです。やっぱり、旧暦を併記し続けていると思われたくなかったんでしょうね。

◇太陰盈虚から月盈虚に、そして・・・
 政府としては、早く官暦から旧暦の影を払拭したかったのでしょうが、なかなか思うように新暦が普及せず、太陰盈虚の記述もやめることが出来ませんでした。途中で、太陰暦を彷彿とさせる「太陰盈虚」から「月盈虚」と呼び名を変えるなどの改変(明治20年)はありましたが、結局この欄は明治42年の官暦まで残りました。この事実上の旧暦併記欄が官暦から姿を消したのは、明治43(1910)年のこと。明治改暦から37年もかかってしまいました。というようなわけで、こうしたことを考えると日本の公式な暦から太陰太陽暦の日付(のようなもの)が完全に姿を消したのは、明治43年というわけです。こうして、官暦からようやく旧暦の日付が消えたのですが、その跡にはこれに替わって

  月齢 ・・・ 月ノ齢 朔ヨリ起算シタル日数

 が記載されるようになりました。あれれ?確かに旧暦の日付じゃないけど・・・。まあ、明治のお役人も大分悩んだみたいですね。(「2021/02/05 号 (No.5242) 」の抜粋文)
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