KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]
今日の空のやさしい虹色
— KAGAYA (@KAGAYA_11949) February 10, 2021
1、日中に現れた日暈(太陽の周りの環)と上部タンジェントアーク(太陽の上の淡い虹色の帯)
2、夕焼けのかすかな彩雲。
今日もお疲れさまでした。 pic.twitter.com/2SjQlSH8tk
2021-02-11 [twitter投稿]
hippocampus460ツバキ - 絵画風 https://t.co/OP1unxF3DX @hippocampus460より02/10 18:01 hippocampus460おはようございます!7時半起床、天気 /ほぼ新月(7時53分、輝面比1%)視認できず。今日は晦日月、月齢28.7。月の出:6時54分、月の入:17時19分です(北九州) /今朝の空は薄曇り。霞んでいますが福智山は視えます。PM… https://t.co/KdULR8ZmS302/11 08:00 hippocampus460『梅花節と建国記念の日』hippo@home|https://t.co/qbw92TTJys02/11 13:01 hippocampus460『ナバナ(菜花)の花です!』hippo@home|https://t.co/JScOabAxgX02/11 17:43 hippocampus460日中、薄曇り続く。PM2.5のレベルは25(10→25)、AQI:平常 /午前中、菜園作業。1畝にジャガイモ(メイクイーン)を植え付け猫が掘り起こさないように抜いていた雑草で表面を覆う 。効果あるかな?その後、赤タマネギ、ニンニクの畝に油かすを撒く。昼食後は昼寝です(*^_^*)02/11 18:05
梅花節と建国記念の日 [かわうそ@暦]
□梅花節と建国記念の日
今日、 2月11日は建国記念日。明治憲法下の時代には紀元節(きげんせつ)と呼ばれる祝日でした。この紀元節は「梅花節(ばいかせつ)」とも呼ばれました。それなのに、祝日前日だからと油断して夜更かしして、気がついたら・・・寝坊しちゃった。いけない。さて、気を取り直して建国記念の日の話を書くことにします。上巳の節供が桃の節供、端午の節供が菖蒲の節供というように、節目となる日にその季節の代表的な植物の名を取って呼ぶことがあるように、立春過ぎのまだまだ寒さの残るこの時期の紀元節には、他の花に先駆けて咲く花の兄とも呼ばれる梅の名を付けて呼ばれたものと考えられます。東京での梅の開花の時期は 2月の始め頃といわれていますから、もうそこかしこで梅の花が咲き始めていますね。
◇現在の「建国記念の日」の日付
国民の祝日に関する法律には
建国をしのび、国を愛する心を養う
というのが建国記念の日の意味として国民の祝日に関する法律に書かれています。国民の祝日に関する法律には、それぞれの祝日の日付と意味が書かれており、その書き方は次の例のようになっています。
元日 一月一日
年の始めを祝う。
成人の日 一月の第二月曜日
おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。
建国記念の日 政令で定める日(2月11日)
建国をしのび、国を愛する心を養う
これをご覧になってお気づきでしょうか? 祝日法には、祝日名とその日がいつになるかが書かれ、その後にその祝日の意味が書かれています。他の祝日の多くは、元日のようにその日付が直接書き込まれています。また、成人の日のように「一月の第二月曜日」のような日付が移動するルールを書いたものもあります。ところが、この建国記念の日に関しては一風変わった書き方になっています。「政令で定める日」というのがそれです。これは、戦後に新しい祝日の候補リストを作った際に、戦前の紀元節は GHQから、国家神道の復活に繋がるものと考えて、紀元節の復活は認められませんでした。
◇建国記念の日が認められたのは昭和41年
国民の祝日に関する法律が誕生したのは昭和23年のことですが、GHQ の反対にあって、建国を記念する日はその法律によって新たに決定された祝日の中からは漏れてしまいました。その後、GHQ の統治が終了した後も、建国記念の日の祝日化とその日付については賛否が分かれ、なかなか決着がつかず、なかなか祝日となることが出来ませんでした。その日付については、伝説上の神武天皇の即位日を根拠としていることに抵抗感のある人々も多かったことも、建国記念の日の祝日制定が遅れた理由だと考えます。その結果、「建国記念の日」を祝日にするけれど、日付は決めきれないので別途ということになってしまったようです。祝日化自体についても、やはり抵抗感があったためでしょうか、「体育の日」と「敬老の日」という祝日化することについて誰一人反対することが無さそうな二つの祝日と同時に祝日化を図られています。なんだかどさくさに紛れて祝日化してしまったかのようです。いろいろ賛否のあった日付に関しても結局は、日本のように長い年月をかけて自然発生的に生まれた国家の生まれた日が伝説的で有るのは致し方なく、国民の多くがその伝説を知っていれば、それが必ずしも歴史的な事実である必要はないという至極常識的な考えによって、旧来の紀元節と同じ日付に落ち着いたようです。そのため、この日は建国の日ではなくて、建国を記念する日なのでした。われわれもただ形式的でなく、本来の「建国をしのび、国を愛する心を養う」という意味を考える日として今日という祝日を過ごしたいものです(って、寝坊した私が言っても説得力が・・・)。(「2021/02/11 号 (No.5248)」の抜粋文)
今日、 2月11日は建国記念日。明治憲法下の時代には紀元節(きげんせつ)と呼ばれる祝日でした。この紀元節は「梅花節(ばいかせつ)」とも呼ばれました。それなのに、祝日前日だからと油断して夜更かしして、気がついたら・・・寝坊しちゃった。いけない。さて、気を取り直して建国記念の日の話を書くことにします。上巳の節供が桃の節供、端午の節供が菖蒲の節供というように、節目となる日にその季節の代表的な植物の名を取って呼ぶことがあるように、立春過ぎのまだまだ寒さの残るこの時期の紀元節には、他の花に先駆けて咲く花の兄とも呼ばれる梅の名を付けて呼ばれたものと考えられます。東京での梅の開花の時期は 2月の始め頃といわれていますから、もうそこかしこで梅の花が咲き始めていますね。
◇現在の「建国記念の日」の日付
国民の祝日に関する法律には
建国をしのび、国を愛する心を養う
というのが建国記念の日の意味として国民の祝日に関する法律に書かれています。国民の祝日に関する法律には、それぞれの祝日の日付と意味が書かれており、その書き方は次の例のようになっています。
元日 一月一日
年の始めを祝う。
成人の日 一月の第二月曜日
おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。
建国記念の日 政令で定める日(2月11日)
建国をしのび、国を愛する心を養う
これをご覧になってお気づきでしょうか? 祝日法には、祝日名とその日がいつになるかが書かれ、その後にその祝日の意味が書かれています。他の祝日の多くは、元日のようにその日付が直接書き込まれています。また、成人の日のように「一月の第二月曜日」のような日付が移動するルールを書いたものもあります。ところが、この建国記念の日に関しては一風変わった書き方になっています。「政令で定める日」というのがそれです。これは、戦後に新しい祝日の候補リストを作った際に、戦前の紀元節は GHQから、国家神道の復活に繋がるものと考えて、紀元節の復活は認められませんでした。
◇建国記念の日が認められたのは昭和41年
国民の祝日に関する法律が誕生したのは昭和23年のことですが、GHQ の反対にあって、建国を記念する日はその法律によって新たに決定された祝日の中からは漏れてしまいました。その後、GHQ の統治が終了した後も、建国記念の日の祝日化とその日付については賛否が分かれ、なかなか決着がつかず、なかなか祝日となることが出来ませんでした。その日付については、伝説上の神武天皇の即位日を根拠としていることに抵抗感のある人々も多かったことも、建国記念の日の祝日制定が遅れた理由だと考えます。その結果、「建国記念の日」を祝日にするけれど、日付は決めきれないので別途ということになってしまったようです。祝日化自体についても、やはり抵抗感があったためでしょうか、「体育の日」と「敬老の日」という祝日化することについて誰一人反対することが無さそうな二つの祝日と同時に祝日化を図られています。なんだかどさくさに紛れて祝日化してしまったかのようです。いろいろ賛否のあった日付に関しても結局は、日本のように長い年月をかけて自然発生的に生まれた国家の生まれた日が伝説的で有るのは致し方なく、国民の多くがその伝説を知っていれば、それが必ずしも歴史的な事実である必要はないという至極常識的な考えによって、旧来の紀元節と同じ日付に落ち着いたようです。そのため、この日は建国の日ではなくて、建国を記念する日なのでした。われわれもただ形式的でなく、本来の「建国をしのび、国を愛する心を養う」という意味を考える日として今日という祝日を過ごしたいものです(って、寝坊した私が言っても説得力が・・・)。(「2021/02/11 号 (No.5248)」の抜粋文)