2021-02-12 [twitter投稿]
hippocampus460ナバナの花です! - 絵画風 https://t.co/j0QnaHfEn4 @hippocampus460より02/11 18:11 hippocampus460『KAGAYA (@KAGAYA_11949)』hippo@home|https://t.co/skhJ42IC0i02/11 18:14 hippocampus460おはようございます!7時起床、天気 /新月(7時30分、輝面比0%)視認できず。今日は朔月、月齢0.1。月の出:7時34分、月の入:18時23分です(北九州)/今朝の空は曇り、PM2.5の所為でしょう、霞んでいます。PM2.5… https://t.co/vKrnGd62QR02/12 07:37 hippocampus460『今日(2/12)のお月様は【新月】です』hippo@home|https://t.co/h1GWtrfN9w02/12 13:48 hippocampus460『旧正月はなぜ「寅の月」?』hippo@home|https://t.co/RgHk7CBcKR02/12 13:55 hippocampus460『フクジュソウ(福寿草)!』hippo@home|https://t.co/ZuClskFfHA02/12 17:07 hippocampus460日中、曇りのち晴れ。温かい一日! PM2.5のレベルは21(29→21)、AQI:平常 /午前中、花公園に出かける。常連さんも来ていました(*^_^*) 園内を一周する。早春を告げる草花、ユキワリソウ、ユキワリイチゲ、フクジュソウ… https://t.co/c9aeUg2ZkN02/12 17:28 hippocampus460ユキワリイチゲです! https://t.co/BnmEfv6cfy02/12 17:29
旧正月はなぜ「寅の月」? [かわうそ@暦]
□旧正月はなぜ「寅の月」?
今日は旧暦の元日ということで、旧正月の話です。では早速、旧正月の話。「旧暦の正月は立春に近い位置に置かれており、月を表す十二支では寅の月となります。」唐突ですが、内容的にはこのとおりです。既に暦のこぼれ話でも何度か書いたとおり、十二支は元々暦の月の順番を表す記号(数詞)でした。そしてそれに従えば旧正月は「寅の月」です。このため、旧暦の正月の別名は建寅月(けんいんげつ)とも呼ばれます。ちょっと余談になりますが、建寅月の「建」は「おざす」とも読みます。北天に一年中見えている北斗七星は昔の中国では時を司る重要な星座と考えられており、北斗七星の「柄」に当たる部分がどの方向を向いているかによって、その季節を知ったとも言われます。その柄がどちらを向いているかを「建(おざす)」と呼びました。この方式によると旧正月の時期は、「寅の方位」に北斗七星の柄が向くため
寅の方位におざす月 ⇒ 建寅月
となります。と、余談はここまで。さて、一般常識的に考えてなんだか変な感じがしませんか?だって、寅は十二支の 3番目。それが正月ですよ? 普通に考えたら年の始めを示す月は十二支の最初である「子の月」になりそうなものですよね?それがなぜ、寅の月??では十二支の最初である「子」の月は何月かと言えば、旧暦では建子月は十一月。正月より 2ヶ月早い月を表しています。さてここでもう一つ。 旧暦時代(日本で太陰太陽暦が正式な暦だった時代)、作暦はまず前年の冬至を含む月である十一月を決定することからはじまった。これも正しい話。さてだんだんと判ってきましたか。日本や中国で使われて来た太陰太陽暦の特長の一つとして一年の始め(正月)を立春前後に置いていたことをあげる方がいらっしゃるのですが、そうと決まったものではなかったのです。そして、現在の旧正月が寅の月であることや作暦の開始が前年の十一月(子の月)の計算からはじまるという理由を考えると現在の旧暦十一月(建子月)を正月としていた時代があったということが朧気に判ってきます。ではその時代は何時かというと、それは十二支を暦の順番を表す数詞として使い始めた頃、つまり中国の周王朝がそうした時代だったわけです。周王朝の暦は冬至を含む月を「正月」として、年の始めと考えていました。ですから周王朝の末期に暦月の順番を示すために生まれた十二支は周王朝の年の始めの月(正月)から順に「子丑寅卯・・・」と割り振られました。また、暦作成もまずは「正月」に当たる「建子月」を求めるところから計算がはじまったわけです。至極もっとも。そしてこの「子の月」を正月とする暦は周王朝の暦でしたから、周正(しゅうせい)の暦と呼ばれるようになりました。中国では、古代の三つの王朝、夏・殷・周はそれぞれ違った正月を採用していたと考えそれぞれを、
夏正(建寅月が正月)
殷正(建丑月が正月)
周正(建子月が正月)
と考えました(三つまとめて「三正」という)。現在の旧暦(なんだか変な表現ですがご勘弁)は建寅月に正月をおきましたから「夏正の暦」と言うことが出来ます。漢の時代の以後の暦は夏正の暦(一部に例外はある)を標準とするようになり現在に至ります。長いことずっと建寅月を正月とする夏正の暦を使い続けていましたから、いつしか「太陰太陽暦は立春付近に正月をおく暦」だと誤解されるに至ったわけで、太陰太陽暦には正月を建寅月におかなければならない理由があるわけではないのです。そして漢王朝の暦の正月が現在の位置に決められても、十二支によってあらわされる暦月の順番は周代に決められた時からの連続性を保ったため、正月が十二支の 3番目に当たる寅の月(建寅月)となってしまったのでした。英語の月名でも、例えば9月を表すSeptemberはラテン語で「第7の」を表すseptemであるように、本来の意味と現在とでは表す月の番号が変化してしまっていることがあります。暦が生まれてからの長い年月、いろいろなことがあって、そうした「いろいろ」が積もり積もって現在の暦になっているんだなと考えさせられますね。さて、今年も一年、新しい「いろいろ」が旧暦の上に積もってゆくんでしょうね。(「2021/02/12 号 (No.5249)」の抜粋文)
今日は旧暦の元日ということで、旧正月の話です。では早速、旧正月の話。「旧暦の正月は立春に近い位置に置かれており、月を表す十二支では寅の月となります。」唐突ですが、内容的にはこのとおりです。既に暦のこぼれ話でも何度か書いたとおり、十二支は元々暦の月の順番を表す記号(数詞)でした。そしてそれに従えば旧正月は「寅の月」です。このため、旧暦の正月の別名は建寅月(けんいんげつ)とも呼ばれます。ちょっと余談になりますが、建寅月の「建」は「おざす」とも読みます。北天に一年中見えている北斗七星は昔の中国では時を司る重要な星座と考えられており、北斗七星の「柄」に当たる部分がどの方向を向いているかによって、その季節を知ったとも言われます。その柄がどちらを向いているかを「建(おざす)」と呼びました。この方式によると旧正月の時期は、「寅の方位」に北斗七星の柄が向くため
寅の方位におざす月 ⇒ 建寅月
となります。と、余談はここまで。さて、一般常識的に考えてなんだか変な感じがしませんか?だって、寅は十二支の 3番目。それが正月ですよ? 普通に考えたら年の始めを示す月は十二支の最初である「子の月」になりそうなものですよね?それがなぜ、寅の月??では十二支の最初である「子」の月は何月かと言えば、旧暦では建子月は十一月。正月より 2ヶ月早い月を表しています。さてここでもう一つ。 旧暦時代(日本で太陰太陽暦が正式な暦だった時代)、作暦はまず前年の冬至を含む月である十一月を決定することからはじまった。これも正しい話。さてだんだんと判ってきましたか。日本や中国で使われて来た太陰太陽暦の特長の一つとして一年の始め(正月)を立春前後に置いていたことをあげる方がいらっしゃるのですが、そうと決まったものではなかったのです。そして、現在の旧正月が寅の月であることや作暦の開始が前年の十一月(子の月)の計算からはじまるという理由を考えると現在の旧暦十一月(建子月)を正月としていた時代があったということが朧気に判ってきます。ではその時代は何時かというと、それは十二支を暦の順番を表す数詞として使い始めた頃、つまり中国の周王朝がそうした時代だったわけです。周王朝の暦は冬至を含む月を「正月」として、年の始めと考えていました。ですから周王朝の末期に暦月の順番を示すために生まれた十二支は周王朝の年の始めの月(正月)から順に「子丑寅卯・・・」と割り振られました。また、暦作成もまずは「正月」に当たる「建子月」を求めるところから計算がはじまったわけです。至極もっとも。そしてこの「子の月」を正月とする暦は周王朝の暦でしたから、周正(しゅうせい)の暦と呼ばれるようになりました。中国では、古代の三つの王朝、夏・殷・周はそれぞれ違った正月を採用していたと考えそれぞれを、
夏正(建寅月が正月)
殷正(建丑月が正月)
周正(建子月が正月)
と考えました(三つまとめて「三正」という)。現在の旧暦(なんだか変な表現ですがご勘弁)は建寅月に正月をおきましたから「夏正の暦」と言うことが出来ます。漢の時代の以後の暦は夏正の暦(一部に例外はある)を標準とするようになり現在に至ります。長いことずっと建寅月を正月とする夏正の暦を使い続けていましたから、いつしか「太陰太陽暦は立春付近に正月をおく暦」だと誤解されるに至ったわけで、太陰太陽暦には正月を建寅月におかなければならない理由があるわけではないのです。そして漢王朝の暦の正月が現在の位置に決められても、十二支によってあらわされる暦月の順番は周代に決められた時からの連続性を保ったため、正月が十二支の 3番目に当たる寅の月(建寅月)となってしまったのでした。英語の月名でも、例えば9月を表すSeptemberはラテン語で「第7の」を表すseptemであるように、本来の意味と現在とでは表す月の番号が変化してしまっていることがあります。暦が生まれてからの長い年月、いろいろなことがあって、そうした「いろいろ」が積もり積もって現在の暦になっているんだなと考えさせられますね。さて、今年も一年、新しい「いろいろ」が旧暦の上に積もってゆくんでしょうね。(「2021/02/12 号 (No.5249)」の抜粋文)
今日(2/12)のお月様は【新月】です [かわうそ@暦]
◆今日(2/12)のお月様は【新月】。
今日の月は日の出の頃に昇り、日の入りの頃に沈みます。空に昇っている時間は概ね太陽と同じ。日食でも起こさない限り、月の在処はわかりません。旧暦では、この新月の日が暦月の一日(朔日)となります。
◆お月様の基礎データ
・新月の瞬間は 2/12 4時 5分 (月齢は 0.0) ※新月とは、月と太陽の黄経の角度差が0度となる瞬間です。
・月出:2/12 7時 2分 月没:2/12 17時40分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):2/12 12時18分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 386800 km (平均距離の 1.01倍)。
月は平均距離付近にあり、見かけの大きさも平均的です。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
今日の月は日の出の頃に昇り、日の入りの頃に沈みます。空に昇っている時間は概ね太陽と同じ。日食でも起こさない限り、月の在処はわかりません。旧暦では、この新月の日が暦月の一日(朔日)となります。
◆お月様の基礎データ
・新月の瞬間は 2/12 4時 5分 (月齢は 0.0) ※新月とは、月と太陽の黄経の角度差が0度となる瞬間です。
・月出:2/12 7時 2分 月没:2/12 17時40分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):2/12 12時18分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 386800 km (平均距離の 1.01倍)。
月は平均距離付近にあり、見かけの大きさも平均的です。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)