KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]
薄明の青の中。
— KAGAYA (@KAGAYA_11949) 2018年11月8日
見上げれば、静かに見守り照らす月。
(以前、能登半島にて撮影)
今日もお疲れさまでした。明日もおだやかな1日になりますように。 pic.twitter.com/pPKTITtThv
2018-11-09 [twitter投稿]
hippocampus460サネカズラの実 - 絵画風 https://t.co/a199CljT2611/08 17:30 hippocampus460おはようございます!6時半起床、天気 /ほぼ新月(7時16分、輝面比1%)視認できず。今日は二日月(既朔)、月齢1.3。月の出:7時55分、月の入:18時40分です(北九州) /昨晩の雨、上がる。空は雲に覆われているが一部晴れ… https://t.co/a4kbjF4owK11/09 07:21 hippocampus460『太陽暦採用記念日』hippo@home|https://t.co/5zopUR0oyk11/09 14:23 hippocampus460『シュウメイギク(秋明菊)!』hippo@home|https://t.co/q7xdR7irkJ11/09 16:37 hippocampus460日中は晴れたり曇ったりの天気。PM2.5のレベルは5(1→5)、AQI:良い /午前中、花公園のHPでキチジョウソウ、イソギクが咲いているとの情報があったので期待してして出かける。咲いている場所に直行、撮りました!(*^_^*) その後、茶店で常連さんと談笑して帰宅する。11/09 17:11
太陽暦採用記念日 [かわうそ@暦]
□太陽暦採用記念日
明治 5(1872)年の今日、11月 9日、「太政官布告 第三百三十七号」として改暦の布告という詔書が発せられました。もっとも、この11月 9日は明治 5年当時使われていた暦ですので、今でいうところの旧暦の日付け。西暦に換算すると1872年12月 9日となります。まあ、ここは旧暦か新暦かにはこだわらず「11月 9日」という日付けで記念日としておきましょう。明治の初期、まだ議会もありませんから現在の法律に相当するものが「太政官布告」として発せられました。太政官布告は「法律に相当する」ものですから、この時期に出された古い布告もその後、法律で廃止や修正がなされていないものは、いまもまだ「法律」としてその効力を保っています。
◇改暦の布告
この改暦の布告もまた「現在も有効な太政官布告」の一つで、これが現在私たちが「新暦」と呼んで使っている暦を使う根拠となっています。その始まりの部分には、次のように書かれています。
『朕惟うに我邦通行の暦たる太陰の朔望をもって月を立て、太陽の躔度(てんど(天体の動く度合い))に合すゆえに二三年間必ず閏月を置かざるを得ず、置閏の前後時に季侯の早晩あり、ついに推歩(すいほ(天体の運行を推測すること))の差を生ずるに至る。殊に中下段に掲る所の如きはおおむね妄誕無稽(もうたんむけい(根拠の無いこと。でたらめなこと))に属し人知の開達(かいたつ(知識などが進むこと))を妨げるもの少しとせず。けだし太陽暦は太陽の躔度に従て月を立つ。日子多少の異ありといえども季候早晩の変なく四歳毎に一日の閏を置き七千年の後わずかに一日の差を生ずるにすぎず。これを太陰暦に比すれば最も精密にしてその便不便ももとより論をまたざるなり。よって自今(じこん(以後))旧暦を廃し太陽暦を用ひ天下永世これを遵行せしめん。百官有司これその旨を体せよ。明治五年壬申十一月九日』
そのままではあまりに読みにくいので、片仮名は平仮名に、現在は仮名書きが当たり前となっている漢字は仮名書きに改めるなどしております。まあ、そうしたところでやはり読みにくいですが。
◇旧暦は季節に合わないから「改暦」しました
今もって「旧暦の方が季節を正確に表している」などという誤った認識が幅を効かせておりますが、この改暦の詔書にあるとおり旧暦には、置閏の前後時に季侯の早晩ありこの欠点を是正するために新暦に変えたのです。実際の改暦が準備が整わないうちに大急ぎで行われたことや、上に掲げた文面も点検が不十分で大きな間違い(!)が入ったままだったりしたことの裏には、法律の建前的な合理ばかりでは無い理由もありますが、基本的には間違いではありません。それなのに 130年以上もたってもなお、旧暦の方が季節に合うなんて言う、妄誕無稽、根拠のないでたらめな話しが信じられている。この詔書が発せられたときに考えられたほど「人知の開達」はうまく進んでいないようです。もちろん、日刊☆こよみのページの読者の皆さんは、妄誕無稽な話しに惑わされることはないと思いますが、気をつけましょう。
◇大変だったんだろうな・・・
この太政官布告第三百三十七号によって翌年、翌年とは言っても、年の切り替わりまでは、実は20日ほどしかないときにこの布告がなされ、旧暦から新暦へと切り替わったわけですから、大変だったんでしょうね。現在の予定のとおりに事が進めば、来年は 5月から新元号になり、祝日の配置も変わるということで、カレンダーや暦に係る方々は大変。そうでない方も、それなりに影響を受けることと思いますが、元号や祝日の変更程度でもそれなりに大変なんですから、こんな暦の大変革を、たった20日あまりで何とかしろなんていわれたら、これはえらいことだったでしょうね。そんな時代に生まれていて、そして暦に係るような仕事をしていたらと考えただけで眩暈がしてきそうです。当時の方々、御苦労、お察しいたします。(「2018/11/09 号 (No.4423) 」の抜粋文)
明治 5(1872)年の今日、11月 9日、「太政官布告 第三百三十七号」として改暦の布告という詔書が発せられました。もっとも、この11月 9日は明治 5年当時使われていた暦ですので、今でいうところの旧暦の日付け。西暦に換算すると1872年12月 9日となります。まあ、ここは旧暦か新暦かにはこだわらず「11月 9日」という日付けで記念日としておきましょう。明治の初期、まだ議会もありませんから現在の法律に相当するものが「太政官布告」として発せられました。太政官布告は「法律に相当する」ものですから、この時期に出された古い布告もその後、法律で廃止や修正がなされていないものは、いまもまだ「法律」としてその効力を保っています。
◇改暦の布告
この改暦の布告もまた「現在も有効な太政官布告」の一つで、これが現在私たちが「新暦」と呼んで使っている暦を使う根拠となっています。その始まりの部分には、次のように書かれています。
『朕惟うに我邦通行の暦たる太陰の朔望をもって月を立て、太陽の躔度(てんど(天体の動く度合い))に合すゆえに二三年間必ず閏月を置かざるを得ず、置閏の前後時に季侯の早晩あり、ついに推歩(すいほ(天体の運行を推測すること))の差を生ずるに至る。殊に中下段に掲る所の如きはおおむね妄誕無稽(もうたんむけい(根拠の無いこと。でたらめなこと))に属し人知の開達(かいたつ(知識などが進むこと))を妨げるもの少しとせず。けだし太陽暦は太陽の躔度に従て月を立つ。日子多少の異ありといえども季候早晩の変なく四歳毎に一日の閏を置き七千年の後わずかに一日の差を生ずるにすぎず。これを太陰暦に比すれば最も精密にしてその便不便ももとより論をまたざるなり。よって自今(じこん(以後))旧暦を廃し太陽暦を用ひ天下永世これを遵行せしめん。百官有司これその旨を体せよ。明治五年壬申十一月九日』
そのままではあまりに読みにくいので、片仮名は平仮名に、現在は仮名書きが当たり前となっている漢字は仮名書きに改めるなどしております。まあ、そうしたところでやはり読みにくいですが。
◇旧暦は季節に合わないから「改暦」しました
今もって「旧暦の方が季節を正確に表している」などという誤った認識が幅を効かせておりますが、この改暦の詔書にあるとおり旧暦には、置閏の前後時に季侯の早晩ありこの欠点を是正するために新暦に変えたのです。実際の改暦が準備が整わないうちに大急ぎで行われたことや、上に掲げた文面も点検が不十分で大きな間違い(!)が入ったままだったりしたことの裏には、法律の建前的な合理ばかりでは無い理由もありますが、基本的には間違いではありません。それなのに 130年以上もたってもなお、旧暦の方が季節に合うなんて言う、妄誕無稽、根拠のないでたらめな話しが信じられている。この詔書が発せられたときに考えられたほど「人知の開達」はうまく進んでいないようです。もちろん、日刊☆こよみのページの読者の皆さんは、妄誕無稽な話しに惑わされることはないと思いますが、気をつけましょう。
◇大変だったんだろうな・・・
この太政官布告第三百三十七号によって翌年、翌年とは言っても、年の切り替わりまでは、実は20日ほどしかないときにこの布告がなされ、旧暦から新暦へと切り替わったわけですから、大変だったんでしょうね。現在の予定のとおりに事が進めば、来年は 5月から新元号になり、祝日の配置も変わるということで、カレンダーや暦に係る方々は大変。そうでない方も、それなりに影響を受けることと思いますが、元号や祝日の変更程度でもそれなりに大変なんですから、こんな暦の大変革を、たった20日あまりで何とかしろなんていわれたら、これはえらいことだったでしょうね。そんな時代に生まれていて、そして暦に係るような仕事をしていたらと考えただけで眩暈がしてきそうです。当時の方々、御苦労、お察しいたします。(「2018/11/09 号 (No.4423) 」の抜粋文)