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2020-04-12 [twitter投稿]



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フデリンドウ(筆竜胆)! [ヘッダー画像]

200407no53.JPG
撮影日:2020.04.09
福智山ろく花公園
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旧暦は地球温暖化を予言していた? [かわうそ@暦]

■旧暦は地球温暖化を予言していた?
 「旧暦は日本に季節によくあった暦である」そんな話を時々耳にします。現在使われている新暦(グレゴリウス暦)の一年の始まりの時期は天文学的・暦学的意味が希薄で、四季の巡りの始まりの時期とも一致していませんから、新暦が日本の季節に合わない暦だと思う方がいることは理解できます。一年の始まりと四季の巡りの始まりの時期との一致という点だけをみれば、旧暦の年初の位置が日本の伝統的な四季の循環の始まりと考えられている立春付近に置かれていることから「旧暦は日本の季節によくあった暦である」と思ってしまう気持ちも理解出来ます。しかし、旧暦の年初は立春付近にあるといっても、それは平均の話であってそれそれの年で見れば、新暦の1/20頃~2/19頃の間で変化します。1ヶ月くらいの差は些細な問題だともいえるかもしれませんが、それなら新暦の年初と立春の時期の差の1ヶ月も些細な問題ですよね?新暦はその年初の位置を別とすれば、季節の循環である「1年」を正確に表し、毎年同じ季節に同じ日付が巡ってくるという点では旧暦よりずっと優れた暦だと私には思えるのですが、こうした話は「旧暦礼賛」の方々には、なかなか通じません。本屋さんでよく見かける「旧暦・・・」という本の中にも、「旧暦こそ日本の季節に合致した暦」という観点から書かれた本が多く、皮肉なことにそうした本の方がきちんとした暦法の説明を行っている本より売れ行きは好調なようです。私から見るとこう言う本は「ちょっと困った本」なのですが。私から見た「ちょっと困った本」の中には驚いたことに地球温暖化現象を「旧暦は予言している」書いた本があります。ここまで来るとちょっと困ったを通り越した暴論・妄論。旧暦への誤解を生むだけの話です。(今回の話とは無関係ですが、私自身は昨今の人類による二酸化炭素排出量増加による地球温暖化という説に、かなり懐疑的。決して地球温暖化自体を肯定するものではありません。悪しからず)私が読んだ本の範囲でその暴論のもとと考えられる本は『旧暦はくらしの羅針盤』 小林弦彦 著です。他の本はこの本を参考にしているようです。小林氏の本には紀元後~21世紀までの間の閏月が何月に何回入っているかをまとめた「閏月配置表」が掲げられています。小林氏の主張は19世紀~21世紀の閏月が夏の時期に集中し、冬には全くと言って良いほど入っていない事が地球温暖化を旧暦が予言した結果だと言うものです。夏の時期に閏月が多いのはそれだけ「夏が長い」ことを意味するという考えです。この表をせっせと作ってくださった小林氏の努力はたいしたものだと思います。また表示自体には大きな間違いは無いよう(ちょっとだけ、合わないところもある気がしますが)ですのでその表から1~18世紀と19~21世紀の閏月挿入の全体に対する割合を読み取ってみる事にします。

  春( 1~ 3月): 25.4% と 25.1%
  夏( 4~ 6月): 25.7% と 49.1%
  秋( 7~ 9月): 25.0% と 21.4%
  冬(10~12月): 24.1% と  4.7%

 前の%が1~18世紀のもの。後の%が19~21世紀までものです。()内の月は旧暦の暦月。どちらも合計が100%とならないのですが、これは0.1%でまでに四捨五入した結果ですので大目に見てください。%の計算の分母になるそれぞれの期間の閏月の数は662と108ですから、上の数値は統計的な揺らぎで偶然発生するようなものではありません。確かにこの結果を見ると「一目瞭然」で18世紀までは各季節が平均的に 25%前後であったのに、19世紀以降は圧倒的に夏の閏月が増えて、冬の閏月が減っています。小林氏は閏月の入る季節の割合の変化に着目し、この事実を以て夏に閏月が多くはいるというのは、夏が長い(閏月が入ると夏の期間が 4ヶ月になる)、つまり暑い期間が長引くということで温暖化の証拠である。と主張なさっています。ところがこの「事実」の説明は地球温暖化を持ち出すまでもなく「旧暦の計算方法」そのものによって説明出来てしまうのです。

◇19世紀、その前と後とで旧暦の計算方法が変わった
 我々は明治の改暦以前に使われていた太陰太陽暦を十把一絡げに「旧暦」と呼んでしまいがちですが、これは正しくありません。この太陰太陽暦の時期にも暦の改良(ときには改悪?)があって、ずっと同じ暦が使われていたわけでは有りません。まあ、違うといっても明治改暦で太陰太陽暦から太陽暦へ変わったという「大改変」ではなく、学者にしか判らないような「小改変」がほとんどなので、あまり問題にされないだけです。ところが、この学者にしか判らないような小改変が、夏に多く冬に少ない閏月を作り出してしまったのです。旧暦での閏月の挿入は、「何ヶ月に一度閏月とする」といった単純な規則ではなくて、新月の日から次の新月の日の直前までという暦月の中で、二十四節気の「中気」を一つも含まない暦月が閏月となるというのが、原則です。ですから、真面目に新月の日付と二十四節気を毎年計算しないと決まりません。なかなか大変です。19世紀になって変わったのは、ここで登場した二十四節気の計算方法です。19世紀の半ば、1844年に天保の改暦があり、日本の最後の太陰太陽暦である天保壬寅暦が使用されるようになりました。この暦は明治改暦以後も非合法(法的に認められていないという意味)の暦として、ほぼそのまま踏襲され「旧暦」と呼ばれるようになりました。いわゆる「旧暦」と言われる暦の日付はこの暦の取り決めに沿って計算されています。この天保暦の大きな特徴の一つに、二十四節気の計算に「定気(ていき)」と呼ばれる方式をとったことがあります。定気とは太陽が一年で一巡りする黄道の 360°を角度で24等分した15°毎のポイントを太陽中心が通過する瞬間を二十四節気の節入りとするという計算方式です。これに対してそれ以前の暦では「恒気(こうき)」と呼ばれる方式を採用していました。これは一年の長さを決定し、その一年の長さを24当分して二十四節気の節入りを決定するという方式です。

◇定気法と恒気法の変更で何が変わるのか?
 この変更によってどんなことが起こったかというと、閏月と関係する二十四節気の中気の間隔が変化したのです。

  定気法での中気の間隔 29.44~31.46日
  恒気法での中気の間隔 30.44日

 旧暦の暦月は新月から次の新月直前までです。この長さは多少変動するのですが、平均すると 29.53日(これを平均朔望月といいます)という長さになります。恒気時代の二十四節気の中気の間隔 30.44日は平均朔望月の 29.53日より長いので、その差である0.91日の差が累積して朔望月より長くなる間隔でほぼ平均して閏月が入ることになります。この間隔は、

   29.53 / 0.91 ≒ 32.5

 ということで、32~33ヶ月に一度閏月が入ります。幸いこの間隔はほぼ 3年の長さですが、32も33も 1年月数である12ヶ月では割り切れない数字ですので、閏月は入る毎にその入る時期が変化します。結果として閏月はどの季節でも均等に入るものでした。これが定気法になると、中気の間隔が29.44~31.46日と変化するようになりました。これは太陽の周りを巡る地球の軌道が円軌道ではなくて楕円軌道で有るためです。地球が太陽に近い位置にある時には中気の間隔が狭まり、遠い位置に有るときにはこの間隔が拡がります。そして、現時点では地球が一番太陽に近づくのは新暦では 1/6あたり。これは旧暦でいえば、12月ないし11月にあたります。つまり旧暦では冬とされる時期の中気と中気の間隔は大変狭いのです。中気と中気の間隔が最短である 29.44日は平均朔望月の 29.53日より短いので、こうなってしまうと「中気を含まない月が閏月」という定義から、閏月はこの時期には入らないことになります。逆に中気の間隔が 31.46日と長い時には閏月が入りやすいわけですが、この時期は新暦では 7/6頃、旧暦でいえば 6月ないしは 5月、夏です。つまり、それまでの恒気法から定気法への変更が夏に多くて、冬に少ない閏月を生み出す原因になってしまったのです。

◇定気法採用について
 定気法の採用は中国の時憲暦が採用し、天保暦はこれを真似て(?)採用したものです。これは西洋天文学が流入したため、地球の軌道が楕円だという概念が最新の天文学の知識が作暦に影響したものです。つまり、天文学的な精密さを誇るために導入されたものですが、結果として閏月の挿入時期が特定の季節に偏在するという暦としてみると欠点となる現象を生み出してしまいました。この定気法の導入による弊害は、天保暦の欠点として批判されることの多いものです。

◇「旧暦が地球温暖化を予言していた」という誤解とその余波
 小林氏の著作を読むと、どうやら小林氏はご自分で暦計算が出来る方では無いようです。そのため、計算された「旧暦」から閏月の拾い出して「閏月配置表」としてまとめ、これを見て「地球温暖化の証拠を発見」したように思いこんでしまったようです。自分で暦計算をなさる方であれば、この恒気法と定気法の違いという基本的な計算方法の違いによってこれが起こってしまうのだとすぐに気が付いたはずなのですが。小林氏は、旧暦を使うと季節の変化が正確に予測出来「異常気象」と騒がれるような年があってもそれは「閏月の配置」で説明が付くといった論を本の中で展開しています。そして困ったことに、「旧暦は日本の季節にピッタリの暦だ」と主張する方々はこの本の内容を鵜呑みにしている方が多く、そうした人々が旧暦に対する誤解を振りまいているようです。小林氏の本の内容を引用している本がいくつもあります。小林氏の説を信じている人は多いようです。

◇「旧暦」は魔法じゃない
 日刊☆こよみのページの読者の方は、暦について興味がある方々でしょうから、こうした迷信みたいな話に振り回されることはないと思うのですが、世の中にはこうした話に飛びついてしまう人が結構いるのです。もし、旧暦で地球温暖化問題(←疑ってますけど)が予想できるのであれば私は今頃、そっちの方面の活動家にでもなっていたと思います。長く使われてきた旧暦には、長く使われてきただけの何かがあると思いたい気持ちも分からないではないですが、旧暦は暦の一つ、魔法じゃありませんてところですね。(「2020/04/12 号 (No.4943)」の抜粋文)


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