日本標準時制定記念日 [かわうそ@暦]
□日本標準時制定記念日
今日は日本標準時制定記念日です。記念日データにも
◇日本標準時制定記念日
1886年(明治19年)のこの日、東経 135度を ・・・ (以下省略)
という記述が見つかるはずです。日本標準時制定記念日といわれて「なるほど」とすぐうなずけない方もいると思います。一体何がどうなるか考えてみることにします。
◇始まりは「地方真太陽時」
本当の太陽の位置(中心の位置)が、その地の真南を通過する瞬間を正午とする地方真太陽時というものがまずはじめにありました。我々の一日の周期は長い間太陽の動きにしたがって考えられてきましたから太陽が真南に来るのを見れば「ああ、お昼だな」と思うわけです。その場所(地方)で本当の太陽(真太陽)を測って時刻をきめるわけですから、これを「地方真太陽時」と呼びます。まあこれが、私たちが手に入れた最初の時刻だと言えますね。(「真太陽」はまた見たままの太陽ということで「視太陽」とも呼ばれます。「真太陽時」も「視太陽時」とよばれることもあります。)
◇時計と「地方平均太陽時」
はじめはこれで何の問題も無かったのですが、人間が「時計」を発明して太陽の動きをこの時計で測ってみると、真太陽による一日の長さが季節変化することが判ってきました。まあ、違うと言ってもその差は精々 2~数日分累積して 1分程違ってくるだけのことですが、それでも時計が正確になってくると、毎日チェックして時刻あわせをしなければならなくなってしまいます。みんなが時計の時刻によって生活するようになると、実際の太陽が真南にくる瞬間よりも時計の示す正午の方が社会生活には重要になってきました。こうして、地方真太陽時から地方平均太陽時へと使用する時刻がかわって行きました。日本では明治13年(AD1880年)から、実生活に地方平均太陽時が取り入れられるようになりました。
◇電信と「日本標準時」
さて、時計の発達で平均太陽時を使うようになりましたが、それでもまだ東京は東京、京都は京都、長崎は長崎といった具合に、各地まちまちでした。これが「地方標準時」。今から考えると何でこんな不便なことをと思いますが、昔はこれで全然問題無かったのです。考えても見てください。今なら札幌の人と那覇の人が電話で「ああ、いまちょうど正午になったから、そろそろお昼にするよ」なんてこと会話の中で伝えることが有るでしょう。また、「このデータを明日の正午までに必ず送ってください」なんていうこともよくある話です。でもここであたりまえに考えてしまったコンピューターのネットワークや、電話といった機器は昔は有りませんでした。「今こちらは正午です」と手紙に書いて、札幌の人が那覇の人に速達郵便で送ったとしてもこれを受け取り人は手紙を「正午」から大分遅れて受け取るはず(何時間じゃなくて何日か違いますね)。札幌と那覇でそれぞれ「地方平均時」を使ったとすると、この二つの都市の間ではそれぞれの時計はおよそ1時間ずれている(那覇の方が遅い)はずなのですが、郵便の配達を待ってはおれぬといって自分で運んだとしても、どんなに頑張っても当時は「1時間以内」でこの手紙を届けることなど出来ませんでしたから、「今は正午です」と書いた手紙を「正午」に届けることは出来ませんでした。このように太陽(本当は地球の自転)より早く情報を伝達する術を持たなかった当時においては、それぞれの地方が独立した地方標準時であっても、お互いに困ることは有りませんでした。これは、現在外国と日本に時差が有っても、その国と関係しない限りは時差なんて無いのと同じという状況と同じです。明治時代初期の日本では、北海道から見た東京とか、東京から見た九州などは、全く「外国」みたいなものだったのです。そして現代、地球の裏側で行われているサッカーの試合の生中継を見たり、国際電話を掛けたり、はたまた外国の証券市場が開くのを待って取引を開始したりといったことをする場合に、「ああ時差があるんだ」と気づくのと同じことが、明治の「電信」の普及によって起こります。電信が日本の主な都市間を結ぶようになると、
福岡支社 発信時刻11:45・・・福岡地方標準時
『札幌支社へ至急。12時までのこの件の処理をお願いします』
札幌支社 受信時刻12:29・・・札幌地方標準時
「12時までって、もう過ぎてるけど?」
なんて云うことが起こり得るようになりましたので、これではいかんと日本標準時というものを制定し、統一を図るようになったのがこの日です。そして、標準時の基準としては日本の真ん中に近く、かつ経度の区切りのよい 135度の経度線が標準子午線と決定されました。こうして日本標準時が正式運用を開始したのは明治21(AD1888)年1月1日。今からおよそ 130年ほど前のことでした。
(「2020/07/12 号 (No.5034) 」の抜粋文)
今日は日本標準時制定記念日です。記念日データにも
◇日本標準時制定記念日
1886年(明治19年)のこの日、東経 135度を ・・・ (以下省略)
という記述が見つかるはずです。日本標準時制定記念日といわれて「なるほど」とすぐうなずけない方もいると思います。一体何がどうなるか考えてみることにします。
◇始まりは「地方真太陽時」
本当の太陽の位置(中心の位置)が、その地の真南を通過する瞬間を正午とする地方真太陽時というものがまずはじめにありました。我々の一日の周期は長い間太陽の動きにしたがって考えられてきましたから太陽が真南に来るのを見れば「ああ、お昼だな」と思うわけです。その場所(地方)で本当の太陽(真太陽)を測って時刻をきめるわけですから、これを「地方真太陽時」と呼びます。まあこれが、私たちが手に入れた最初の時刻だと言えますね。(「真太陽」はまた見たままの太陽ということで「視太陽」とも呼ばれます。「真太陽時」も「視太陽時」とよばれることもあります。)
◇時計と「地方平均太陽時」
はじめはこれで何の問題も無かったのですが、人間が「時計」を発明して太陽の動きをこの時計で測ってみると、真太陽による一日の長さが季節変化することが判ってきました。まあ、違うと言ってもその差は精々 2~数日分累積して 1分程違ってくるだけのことですが、それでも時計が正確になってくると、毎日チェックして時刻あわせをしなければならなくなってしまいます。みんなが時計の時刻によって生活するようになると、実際の太陽が真南にくる瞬間よりも時計の示す正午の方が社会生活には重要になってきました。こうして、地方真太陽時から地方平均太陽時へと使用する時刻がかわって行きました。日本では明治13年(AD1880年)から、実生活に地方平均太陽時が取り入れられるようになりました。
◇電信と「日本標準時」
さて、時計の発達で平均太陽時を使うようになりましたが、それでもまだ東京は東京、京都は京都、長崎は長崎といった具合に、各地まちまちでした。これが「地方標準時」。今から考えると何でこんな不便なことをと思いますが、昔はこれで全然問題無かったのです。考えても見てください。今なら札幌の人と那覇の人が電話で「ああ、いまちょうど正午になったから、そろそろお昼にするよ」なんてこと会話の中で伝えることが有るでしょう。また、「このデータを明日の正午までに必ず送ってください」なんていうこともよくある話です。でもここであたりまえに考えてしまったコンピューターのネットワークや、電話といった機器は昔は有りませんでした。「今こちらは正午です」と手紙に書いて、札幌の人が那覇の人に速達郵便で送ったとしてもこれを受け取り人は手紙を「正午」から大分遅れて受け取るはず(何時間じゃなくて何日か違いますね)。札幌と那覇でそれぞれ「地方平均時」を使ったとすると、この二つの都市の間ではそれぞれの時計はおよそ1時間ずれている(那覇の方が遅い)はずなのですが、郵便の配達を待ってはおれぬといって自分で運んだとしても、どんなに頑張っても当時は「1時間以内」でこの手紙を届けることなど出来ませんでしたから、「今は正午です」と書いた手紙を「正午」に届けることは出来ませんでした。このように太陽(本当は地球の自転)より早く情報を伝達する術を持たなかった当時においては、それぞれの地方が独立した地方標準時であっても、お互いに困ることは有りませんでした。これは、現在外国と日本に時差が有っても、その国と関係しない限りは時差なんて無いのと同じという状況と同じです。明治時代初期の日本では、北海道から見た東京とか、東京から見た九州などは、全く「外国」みたいなものだったのです。そして現代、地球の裏側で行われているサッカーの試合の生中継を見たり、国際電話を掛けたり、はたまた外国の証券市場が開くのを待って取引を開始したりといったことをする場合に、「ああ時差があるんだ」と気づくのと同じことが、明治の「電信」の普及によって起こります。電信が日本の主な都市間を結ぶようになると、
福岡支社 発信時刻11:45・・・福岡地方標準時
『札幌支社へ至急。12時までのこの件の処理をお願いします』
札幌支社 受信時刻12:29・・・札幌地方標準時
「12時までって、もう過ぎてるけど?」
なんて云うことが起こり得るようになりましたので、これではいかんと日本標準時というものを制定し、統一を図るようになったのがこの日です。そして、標準時の基準としては日本の真ん中に近く、かつ経度の区切りのよい 135度の経度線が標準子午線と決定されました。こうして日本標準時が正式運用を開始したのは明治21(AD1888)年1月1日。今からおよそ 130年ほど前のことでした。
(「2020/07/12 号 (No.5034) 」の抜粋文)
2020-07-12 [twitter投稿]
hippocampus460サクユリ - 絵画風 https://t.co/n8Bre3GEDy @hippocampus460より07/11 17:25 hippocampus460『KAGAYA (@KAGAYA_11949)』hippo@home|https://t.co/yTsQ3IwCwz07/12 06:26 hippocampus460おはようございます!6時起床、天気 /欠けていく凸月(6時23分、輝面比62%)視認できず。今日は宵月、月齢20.7。月の入:11時41分、月の出:23時58分です(北九州) /今朝の空は一面グレー一色です。福智山も視えません… https://t.co/IYeyDZIug507/12 06:34 hippocampus460『ムクゲ(木槿)!』hippo@home|https://t.co/9j5LVrGScU07/12 16:52 hippocampus460日中、雨降続く。PM2.5のレベルは5(10→5)、AQI:良い /午前中、家内外出なのでお留守番です。PC作業と録り溜めたビデオを観て過ごす。退屈な一日でした。07/12 17:20
KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]
太陽系を翔る旅人、彗星の姿。
— KAGAYA (@KAGAYA_11949) July 11, 2020
本日夜明け、梅雨のわずかな晴れ間に見られたネオワイズ彗星です。
2枚目は望遠鏡を使って撮影。
夜明けの北東の空低く、肉眼でも見えましたがより楽しむには双眼鏡が必要です。 pic.twitter.com/QCkgdV9X8l