2020-07-18 [twitter投稿]
hippocampus460カノコユリ - 絵画風 https://t.co/MjybbMKAKr @hippocampus460より07/17 18:06 hippocampus460おはようございます!6時起床、天気 /欠けていく三日月(6時29分、輝面比10%)視認できず。今日は有明月、月齢26.7。月の出:2時43分、月の入:17時22分です(北九州) /今朝の空は少し霞んでいるが晴れ!お日さんが眩し… https://t.co/kzpj1f7pvf07/18 06:34 hippocampus460『【直をもって怨みに報い、徳をもって徳に報いん】』hippo@home|https://t.co/C45AmWrBX907/18 12:18 hippocampus460『シロカナコユリ(白鹿の子百合)!』hippo@home|https://t.co/IGejxu46KX07/18 17:01 hippocampus460日中、晴れのち曇り。PM2.5のレベルは24(12→24)、AQI:平常 /午前中、ブログを更新しようとログインすると「通信は保護されていません」と警告!すべてのPC、ブラウザも同じ!(;´Д`) 他のウエブサイトはログインできる… https://t.co/cUqAWK7ohY07/18 17:27 hippocampus460(続く)オペレーターに現状を診てもらう。「リスクを理解して続行」を押すことになった。結果、ログインできるようになった。セキュリティーソフトの所為だろうとのこと。その後、外仕事。ソテツをノコギリで三等分して片付ける。大汗!疲れた(>… https://t.co/qVVehTriAB07/18 17:39
【直をもって怨みに報い、徳をもって徳に報いん】 [かわうそ@暦]
【直をもって怨みに報い、徳をもって徳に報いん】
悪意には理性で、善意には善意で報(むく)いるのがよい。《論語(久米旺生訳。徳間書店刊・二版)抜粋》
これは論語・憲問篇に登場する言葉です。この言葉は、ある人と孔子との問答に登場します。やりとり自体は短いので書いておきましょう。
あるひと曰く、「徳をもって怨みに報いはいかん」。子曰く、「何を持って徳に報いん。直をもって怨みに報い、徳をもって徳に報いん」《論語(久米旺生訳。徳間書店刊・二版)抜粋》
意訳すればこんな意味です。
----------------------------------
ある人が孔子に問います。
「徳をもって怨みに報いる」という考えがあります。
いかがでしょうか?
孔子がおっしゃいました。
徳をもって怨みに報いたとすれば、徳を受けたときには何を報いればよいの
でしょうか。私は怨みを受ければ、これには理性をもって対処し、徳を受け
れば、徳をもってこれに報いるべきだと考えます。
------------------文責 かわうそ@暦-------
「怨みに報いるに徳を以てす」という言葉は、老子に登場する言葉です。書物としての老子は孔子の時代にはまだ無かったはずですが、既に老子に書かれた内容の説がある程度広がっていたことが分かります。老子にある「怨みに報いるに徳を以てす」は、恨まずにはいられないような仕打ちを受けても、「博愛の心でこれを許し徳を以てこれに報いるべきだ」と云った意味です。老子の言葉のとおりに出来るのであれば、それは確かに理想でしょうね。世の中で理想を語る方々がこうした考えを述べるのを何度も耳にしたことがありますが、そのたびに私はある種の違和感と後ろめたさを感じます。「違和感」は本当にそうだろうかという疑問のため。「後ろめたさ」は自分にはきっと無理だろうなと思うため。そんな違和感と後ろめたさを感じたときに、この言葉を思い出すとホッとします。何もかも理想のとおりでなくてもよいのだと言ってもらえたようで。最良は無理でも、それなりに正しい対応が出来れば、それはそれで上出来だと納得出来るからです。酷い仕打ちを受けてもこれを許すということは言うは易く行うは難し。そのひどく難しいことが出来る人もいるでしょうが、それが出来ない私のような小人もいます。そんな小人に「理想的な対応は無理でも、なんとかここまでで踏みとどまりなさい」という一線を示してくれる言葉です。人間、神様にはなれませんから「怨み」という感情を完全に消し去ることなど出来ませんが、それでもそれを理性で押しとどめることは出来る、あるいは押しとどめる努力は出来るはず。そんな現実的なあり方を示してくれる言葉だと思います。(「2020/07/18 号 (No.5040) 」の抜粋文)
悪意には理性で、善意には善意で報(むく)いるのがよい。《論語(久米旺生訳。徳間書店刊・二版)抜粋》
これは論語・憲問篇に登場する言葉です。この言葉は、ある人と孔子との問答に登場します。やりとり自体は短いので書いておきましょう。
あるひと曰く、「徳をもって怨みに報いはいかん」。子曰く、「何を持って徳に報いん。直をもって怨みに報い、徳をもって徳に報いん」《論語(久米旺生訳。徳間書店刊・二版)抜粋》
意訳すればこんな意味です。
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ある人が孔子に問います。
「徳をもって怨みに報いる」という考えがあります。
いかがでしょうか?
孔子がおっしゃいました。
徳をもって怨みに報いたとすれば、徳を受けたときには何を報いればよいの
でしょうか。私は怨みを受ければ、これには理性をもって対処し、徳を受け
れば、徳をもってこれに報いるべきだと考えます。
------------------文責 かわうそ@暦-------
「怨みに報いるに徳を以てす」という言葉は、老子に登場する言葉です。書物としての老子は孔子の時代にはまだ無かったはずですが、既に老子に書かれた内容の説がある程度広がっていたことが分かります。老子にある「怨みに報いるに徳を以てす」は、恨まずにはいられないような仕打ちを受けても、「博愛の心でこれを許し徳を以てこれに報いるべきだ」と云った意味です。老子の言葉のとおりに出来るのであれば、それは確かに理想でしょうね。世の中で理想を語る方々がこうした考えを述べるのを何度も耳にしたことがありますが、そのたびに私はある種の違和感と後ろめたさを感じます。「違和感」は本当にそうだろうかという疑問のため。「後ろめたさ」は自分にはきっと無理だろうなと思うため。そんな違和感と後ろめたさを感じたときに、この言葉を思い出すとホッとします。何もかも理想のとおりでなくてもよいのだと言ってもらえたようで。最良は無理でも、それなりに正しい対応が出来れば、それはそれで上出来だと納得出来るからです。酷い仕打ちを受けてもこれを許すということは言うは易く行うは難し。そのひどく難しいことが出来る人もいるでしょうが、それが出来ない私のような小人もいます。そんな小人に「理想的な対応は無理でも、なんとかここまでで踏みとどまりなさい」という一線を示してくれる言葉です。人間、神様にはなれませんから「怨み」という感情を完全に消し去ることなど出来ませんが、それでもそれを理性で押しとどめることは出来る、あるいは押しとどめる努力は出来るはず。そんな現実的なあり方を示してくれる言葉だと思います。(「2020/07/18 号 (No.5040) 」の抜粋文)