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2021-01-26 [twitter投稿]



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セイヨウクモマグサ(西洋雲間草)! [ヘッダー画像]

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撮影日:2021.01.15
福智山ろく花公園
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【左遷】(させん) [かわうそ@暦]

【左遷】(させん)
 [漢書](中国で、右を尊び左を卑しむ習慣があったところから)高い官職から低い官職におとすこと。
 また、官位を低くして遠地に赴任させること。左降。「閑職に左遷される」《広辞苑・第六版》

 昨日、1/25は「左遷の日」でしたので、遅ればせながら「左遷」を取り上げてみました。それにしても「左遷の日」とは、いろいろな記念日があるものです。ついでながら1/25は、「お詫びの日」でもあります。1/25、散々な日でしたね。出典の漢書は、劉邦が開いた中国の漢王朝の歴史を記したものです。左遷の語はその劉邦がその後ライバルとなる項羽によって「漢」の王に任じられた処遇について、劉邦の配下の者が語った言葉の中に登場します。劉邦は秦の都に一番乗りした武将で、秦打倒の功労者であるにも関わらず、当時は僻遠の地と考えられていた漢中の地を与えられたことは、降格にも等しい処遇であることが「左遷」という言葉で表現されています。

◇右と左
 「左遷の日」は、右大臣であった菅原道真が、左大臣藤原時平の策略で大宰権帥に左遷された日を記念(?)したものです。さて、ここで右大臣と左大臣、「右」と「左」の大臣が登場します。左遷という言葉は「右から左にその位置を遷す」ことで、これが降格の意味になるとするなら、右大臣の方が左大臣より偉いことになります。広辞苑の説明には「中国で、右を尊び左を卑しむ習慣があった」とあるように、中国の場合は一般的に右と左の大臣があれば、右の大臣の方が上位となります。漢書で描かれた時代でもこれは同じ。たとえば漢の時代には、右丞相と左丞相という位がありましたが、右丞相の方が上位の官職でした。これなら「左遷」が降格であると云うことは間違いないですね。ところが日本においてはこの関係が逆になっていました。日本において右大臣と左大臣がいれば、左大臣の方が高い地位となります。これは、日本が官職制度の手本とした時代の中国の王朝が中国の伝統からすると異例の「左を上位」とした王朝だったからです。「左遷の日」が菅原道真の故事によって考えつかれた日本生まれの記念日なら、降格人事を表現するのも日本の官制を考えて「右遷」とするべきだったかも・・・。まあ、「降格は左遷か右遷」なんて戯言をいう前に、そんな憂き目を見ないよう願いたいものです。(「2021/01/26 号 (No.5232) の抜粋文)
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2021-01-25 [twitter投稿]



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チューリップ咲きゼラニウム ! [ヘッダー画像]

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撮影日:2021.01.19
福智山ろく花公園
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2021-01-24 [twitter投稿]



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我が家のロウバイ、満開です! [ヘッダー画像]

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撮影日:2021.01.24
自宅
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「八甲田山の日」と大寒 [かわうそ@暦]

■「八甲田山の日」と大寒
 昨日の「今日の記念日」に八甲田山の日と言うのがありました。これは明治35(1902)年の陸軍の冬季軍事訓練中に起こった遭難事故を記念したもので、兵士210名が遭難し、そのうち199名が死亡したという世界的に見ても最大級といえる山岳遭難事故でした。1/23はこの遭難事故にあった兵士達が出発した日で、これからほぼ十日の間に、その多くが亡くなりました。つまり、大寒の期間に起こった遭難事故でした。

◇日本の最低気温記録
 大寒の時期ですので、寒いのは当たり前ですが、この1902年のこの時期は、そんな寒い大寒の中でもとりわけ寒いものでした。日本の最低気温の記録と云えば、1902/01/25に旭川で観測された-41.0℃。この記録は大変有名で、 100年以上たってもいまだ更新されていない大記録です。ついでながら、歴代2位の最低気温の記録もこの年の1/26に帯広で記録されたもの。歴代1位2位の記録を作った、正に記録級の寒波が北日本を襲っていたのでした。大寒は、暦の上では一番寒さの厳しい時期とされているわけですが、歴代1位、2位ともこの期間にあることを見ると、寒さの件に関しては「大寒」と云う名に恥じないものですね。冒頭で書いた八甲田山の日の遭難となった行軍訓練もおそらくは、大寒という一年で一番寒い時期を狙って行われたものなのでは無いかと推測しますがよりにもよって、こんな寒い年に行われてしまったというのが、つくづく不幸な巡りあわせだったなと思います。そして今、ここまでひどくはありませんがやっぱり大寒、今年も寒い季節です。ああ、外に出たくないよう~。(「2021/01/24 号 (No.5230)」の抜粋文)

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