2021-01-26 [twitter投稿]
hippocampus460チューリップ咲きゼラニウム - 絵画風 https://t.co/yTMrHr6aAd @hippocampus460より01/25 17:49 hippocampus460『KAGAYA (@KAGAYA_11949)』hippo@home|https://t.co/6ZlbabkAwN01/25 21:34 hippocampus460『KAGAYA (@KAGAYA_11949)』hippo@home|https://t.co/RJaU2fgBaH01/25 21:35 hippocampus460おはようございます!7時半起床、天気 ☂ /満ちていく凸月(8時00分、輝面比90%)視認できず。今日は小望月(待宵月)、月齢12.7。月の入:5時09分、月の出:15時09分です(北九州) /今朝は小降りですが雨、空は一面グレー… https://t.co/F7wXztP36x01/26 08:07 hippocampus460『【左遷】(させん)』hippo@home|https://t.co/msakfsX7Pm01/26 08:14 hippocampus460【試し撮り!】シグマのマクロレンズです。 https://t.co/YneZVGCZVU01/26 09:57 hippocampus460『セイヨウクモマグサ(西洋雲間草)!』hippo@home|https://t.co/JP54YWJpaV01/26 17:05 hippocampus460日中、雨降り続く。PM2.5のレベルは9(7→9)、AQI:良い /午前中、家事手伝いをして早めの昼食を摂る。その後、車のリコールでヘッドランプバルブを交換するため出かける。部品交換後光度確認、基準以上だった。帰宅後、疲れたので昼寝、今日は読書は中止。01/26 17:32
【左遷】(させん) [かわうそ@暦]
【左遷】(させん)
[漢書](中国で、右を尊び左を卑しむ習慣があったところから)高い官職から低い官職におとすこと。
また、官位を低くして遠地に赴任させること。左降。「閑職に左遷される」《広辞苑・第六版》
昨日、1/25は「左遷の日」でしたので、遅ればせながら「左遷」を取り上げてみました。それにしても「左遷の日」とは、いろいろな記念日があるものです。ついでながら1/25は、「お詫びの日」でもあります。1/25、散々な日でしたね。出典の漢書は、劉邦が開いた中国の漢王朝の歴史を記したものです。左遷の語はその劉邦がその後ライバルとなる項羽によって「漢」の王に任じられた処遇について、劉邦の配下の者が語った言葉の中に登場します。劉邦は秦の都に一番乗りした武将で、秦打倒の功労者であるにも関わらず、当時は僻遠の地と考えられていた漢中の地を与えられたことは、降格にも等しい処遇であることが「左遷」という言葉で表現されています。
◇右と左
「左遷の日」は、右大臣であった菅原道真が、左大臣藤原時平の策略で大宰権帥に左遷された日を記念(?)したものです。さて、ここで右大臣と左大臣、「右」と「左」の大臣が登場します。左遷という言葉は「右から左にその位置を遷す」ことで、これが降格の意味になるとするなら、右大臣の方が左大臣より偉いことになります。広辞苑の説明には「中国で、右を尊び左を卑しむ習慣があった」とあるように、中国の場合は一般的に右と左の大臣があれば、右の大臣の方が上位となります。漢書で描かれた時代でもこれは同じ。たとえば漢の時代には、右丞相と左丞相という位がありましたが、右丞相の方が上位の官職でした。これなら「左遷」が降格であると云うことは間違いないですね。ところが日本においてはこの関係が逆になっていました。日本において右大臣と左大臣がいれば、左大臣の方が高い地位となります。これは、日本が官職制度の手本とした時代の中国の王朝が中国の伝統からすると異例の「左を上位」とした王朝だったからです。「左遷の日」が菅原道真の故事によって考えつかれた日本生まれの記念日なら、降格人事を表現するのも日本の官制を考えて「右遷」とするべきだったかも・・・。まあ、「降格は左遷か右遷」なんて戯言をいう前に、そんな憂き目を見ないよう願いたいものです。(「2021/01/26 号 (No.5232) の抜粋文)
[漢書](中国で、右を尊び左を卑しむ習慣があったところから)高い官職から低い官職におとすこと。
また、官位を低くして遠地に赴任させること。左降。「閑職に左遷される」《広辞苑・第六版》
昨日、1/25は「左遷の日」でしたので、遅ればせながら「左遷」を取り上げてみました。それにしても「左遷の日」とは、いろいろな記念日があるものです。ついでながら1/25は、「お詫びの日」でもあります。1/25、散々な日でしたね。出典の漢書は、劉邦が開いた中国の漢王朝の歴史を記したものです。左遷の語はその劉邦がその後ライバルとなる項羽によって「漢」の王に任じられた処遇について、劉邦の配下の者が語った言葉の中に登場します。劉邦は秦の都に一番乗りした武将で、秦打倒の功労者であるにも関わらず、当時は僻遠の地と考えられていた漢中の地を与えられたことは、降格にも等しい処遇であることが「左遷」という言葉で表現されています。
◇右と左
「左遷の日」は、右大臣であった菅原道真が、左大臣藤原時平の策略で大宰権帥に左遷された日を記念(?)したものです。さて、ここで右大臣と左大臣、「右」と「左」の大臣が登場します。左遷という言葉は「右から左にその位置を遷す」ことで、これが降格の意味になるとするなら、右大臣の方が左大臣より偉いことになります。広辞苑の説明には「中国で、右を尊び左を卑しむ習慣があった」とあるように、中国の場合は一般的に右と左の大臣があれば、右の大臣の方が上位となります。漢書で描かれた時代でもこれは同じ。たとえば漢の時代には、右丞相と左丞相という位がありましたが、右丞相の方が上位の官職でした。これなら「左遷」が降格であると云うことは間違いないですね。ところが日本においてはこの関係が逆になっていました。日本において右大臣と左大臣がいれば、左大臣の方が高い地位となります。これは、日本が官職制度の手本とした時代の中国の王朝が中国の伝統からすると異例の「左を上位」とした王朝だったからです。「左遷の日」が菅原道真の故事によって考えつかれた日本生まれの記念日なら、降格人事を表現するのも日本の官制を考えて「右遷」とするべきだったかも・・・。まあ、「降格は左遷か右遷」なんて戯言をいう前に、そんな憂き目を見ないよう願いたいものです。(「2021/01/26 号 (No.5232) の抜粋文)